2014/07/24

本を薦める教師になりたい

高校時代、大好きだった国語の先生に、
「君たちは死ぬまでに『源氏物語』と『史記』を読みなさい。現代語訳でもいいが、原文の方が圧倒的に面白い」と卒業間際に言われた。
そこまで迫力を込めて言われると、この歳になっても忘れないものだ。
私もそれくらいの気迫で、何かの一冊を生徒に薦められるだけの人間になりたい。
あっ、でも、その前に『源氏』も『史記』も読んでおかないと。死ぬまでには読みたいが。

……という話題をフェイスブックに投稿したら、さっそく友人からこんな本を紹介された。
史記列伝の韓非子や、項羽本記、
原文だったら『新釈漢文体系』
中島敦『李陵』
パールバック『大地』
スタインベック『怒りの葡萄』
曹雪芹の『紅楼夢』
ちなみに私が好きなのは、武田泰淳『司馬遷ー史記の世界』
いやあ、中国モノは熱い! 久しぶりに読んでみたくなった。

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四月当初、ヘッセを愛読していると言っていた生徒に『デミアン』を紹介したらすっかりはまってくれたらしく、会うたびに選書の相談をしてくれる。
今日は『ファウスト』か、『カラマーゾフ』か、どちらがいいか、迷ってるらしい。なんでも、夏休み開けのビブリオバトル文学決戦で、どちらかの本でエントリーしたいらしい。これもビブリオバトルの効果か?
しかし……デミアンからファウスト、カラマーゾフはいくらなんでもは飛びすぎだろう……まずは『罪と罰』読んだら?と紹介させていただいた。
げに、先達はあらまほしきことなり。
罪と罰も、ファウストも、何度も挫折して、やっと大学時代に通読したことを隠しているのは言うまでもない。

国語で古典と言うと、決まって源氏だ、枕だ、というのが不思議で仕方が無い。なぜ日本の古典に限定するのか?
そんな偏狭な「古典教育」で、世界の古典的作品に触れる機会がどれだけ生まれるのだろう?
それでも、知的関心が高い生徒は自分から古典の価値を見出し、読もうとしている。
もちろん彼らには、日本も世界もない。
ギリシャ神話、聖書、ドストエフスキーなど、そういう類の本を背伸びしても読みたくなる中高生が必ずいる。そんな彼らの意欲を後押しすることはできないだろうか?

本を、しかも、一生で何度も読み返し、味わうことのできる作品を薦められる教師になりたい。そして世代を超えて、一つの作品について語り合いたい。
そんなことのできる作品は、やはり、日本に限らず世界の古典的な作品しかないだろう。