2015/05/03

説明文の読解に「序論ー本論ー結論」は必要??

教科書に掲載されている説明文の読解学習では、どんな文章でも判で押したように「序論-本論-結論」に分ける学習が行われる。これは本当に適切なことなのだろうか。
学術的な論文ならさておき、たかが教科書にして6ページたらずの文章、しかも随筆に近いような科学読み物に「序論」なんて存在するのか、必要と思って筆者は書いているのか?? それとも教科書会社に書かされているのか?
「結論」なんて、だいたい決まり切った「自然を大切にしよう」程度のとってつけたような文章が付け足されるのが多い。(とくにその傾向は「論説文」よりも「説明文」に顕著)
説明文の一番面白いところは、(面白いものは)取り上げている説明内容の新奇さ、意外性にあるのではないか。またはその筆者の科学的なプロセスの手腕にため息をつくのが、読者の立場から見た、楽しみかたなのではないか。
そう考えると、機械的に「序論-本論-結論」と分ける学習に、一体どのような意味や価値があるのか、ちょっと悩んでしまう。