2014/10/09

その時々のベストな答えがあるだけだ。

能の大成者、世阿弥には「時分の花」という言葉がある。
これは少年時代には、その時代特有の「花」(今だったらスター性とでもいったらいいかな?)というものがあり、大人のマネをさせずに、存分にそのときだけの、その人の持つ「花」を咲かせるのが良い、ということ(だと解釈している)。そしてその「時分の花」も、ジジイになってしまえばあっという間に色あせてしまう。いつまでも咲いている「花」ではない。
詳しくはこちら

これは、能に限らず、大げさに言えば、人生すべてにおいて当てはまる心理なのではないかと思う。
たとえば、教師人生も、新卒には新卒にしかない「花」があるし、もちろん「発達課題」がある。10年選手には10年目の、30代には、40代には、同様に……、要は、その「時分」に応じた課題も、光らせることのできる魅力もある。
しかし、人は得てして、現在の自分が直面している課題や「花」が、他の人にも、いや、すべての人に通用する課題であり、「花」であると勘違いしてしまう傾向があるのではないか?
それは「時分」の課題に過ぎないし、「自分」だけの課題かもしれないのに。
今日で私もやっと38歳、態度のでかさだけは40代? もう少しで「不惑」といわれる年齢にさしかかってしまう。
まだまだ迷いっぱなしの毎日だ。「時分」で「自分」の課題に向き合っていくしかないと観念している。