2014/10/08

「表現の自由」と「文学」

「文学なんか何の役にも立たないとかよく言われるんですけど、政治家が真っ先に弾圧するのも文学なんですよね」(安部公房)

最近、また安部公房にはまっている。
最近はyoutubeで安部公房の肉声に触れることができるようになった。うれしい。






安部公房は文学と自由との関係、いや、人間存在と自由との関係をとことん追求しようとした文学者である。

文学を創作する授業における「表現の自由」はどこまで尊重すべきなのだろうか?
いや、むしろこの問いよりも、「表現の不自由」なところに、いったいどんな文学が生まれるのだろう、と考えた方が建設的かもしれない。
文学とはある面において、「表現の自由」への戦いでもある。
それは、政治・社会・慣習・モラル・言語などおよそあらゆる制度によって囲まれた不自由や、自分でこしらえた不自由との戦いとも言える。
それらの間隙を縫って表現される「あるもの」が文学の胚胎となる。
それこそいわゆる「文学のふるさと」(坂口安吾)なのだ。