2014/10/26

「語られない言葉」に耳を澄ますこと〜「言ったもん勝ち」の世の中にあらがうために〜

戦争体験をされた方4人とお話をする機会があった。
4人のうち、2人は戦争当時、国民学校の生徒で学童疎開を、もう2人は高等女学校で軍需工場で勤労動員をしていた経験を持たれている。
お知り合いのつてを頼って、この4人とお会いし、お話をするチャンスを得た。

私が一番知りたかったのは、戦争当時、人々が何を考え、どう自分たちの状況を感じていたのかという点だ。
空襲や疎開の様子などを伺ううちに、この核心に迫る話題になっていった。

「やっぱり、工場で働きながら、この戦争がずっと続くのかなあと思っていましたか?」 
「今の戦況がどうだとか、そういうお話は家ではされていましたか?」
「軍需工場では、空襲で負傷した人とか亡くなった人がいたそうですが、友達とは当時それについてどんな話をされていたんですか」
「疎開から時々面会に来る親と、東京の空襲とか戦争の様子を聞いたりはしなかったんですか」

それらの質問について聞いた答えは(自分にとっては)とても意外とも思える言葉だった。
「まあ、あなたはお若いから分からないのでしょうね」(と、あきれた感じで、お笑いになって)
「そういう戦争についての話は、当時はいっさいできなかったんですよ」
私「話すと特高警察とかに捕まってしまうからですか?」
「軍事機密とかの話題はもちろんそういうのもありますけれども、戦争について話題にしようとも思わなかったという気持ちでした。親も家ではいっさい戦争について話しませんでした。なんとなく、そういう話題を避けていたんです」

戦争について「話せなかった」「話そうとも思わなかった」。
この言葉は。空襲で焼け出されたり、原爆で亡くなったりすることと同じくらいに、強烈に戦争の持つ恐ろしさを「語って」いるのだと思う。
「戦争はいやだ」
「死ぬのはいやだ」
「自由に生きられないのがいやだ」
こういうごく当たり前のことを、ごくふつうの市民が当たり前に語れなくなってくる、語ろうともしなくなってくる。それこそ「戦争」のもつ本当の恐ろしさなのだろう。

声高に語られる絶叫の影に、ベストセラーの書籍の下に、こうした普通の市民の「語られない」言葉が埋もれている。「言ったもん勝ちの言葉」の前に「語りたくもない言葉」は圧倒的に無力だ。でも、せめていま「語られない言葉」に耳を澄ましていたい。そして「もっとも恐ろしいのは、それが語られなくなったときだ」という教訓を胸に刻んでおきたい。