2014/10/16

「価値」と「評価」は違う

ということを、あらためて、しみじみと、考えないといけないと思う。
私たちが行っている教育活動は、それが何らかの「価値あるもの」という信念があるからこそ行っている。しかし、その「価値あるもの」が「評価できるもの」とイコールであるかどうかは別次元の問題だ。「価値あるもの」が全て「評価できるもの」であるとは限らないからだ。

小説を創作する授業を検討しているときに、真っ先に言われるのが「それをどう評価するんですか?」という問題。評価できないものは授業として成立しないとでも言うのだろうか?……でも、今の授業の流れは明らかにそう。
でも、「評価」が難しくても、「価値」があれば断行する。それが教育というものじゃないのかな?

ただその「価値」というのは大勢の人から「価値あるもの」として共感してもらわないことには「価値」は生まれないというからくりがある。
たとえば紙切れや金属片で作られたお札やコインは、紙の原価とか、金属の材料費以上の「価値」を多くの人によって共有されているからこそ、500円玉として、一万円札として「評価」されているのだ。
評価は難しくても価値あるものとして共感してもらえるように伝え続けることが重要なのだろう。