2014/10/09

「鶏口となるも牛後となるなかれ」の真意とは?

ノーベル賞と獲った中村さんは、大企業ではなく中小企業で、たたき上げで一から取り組むことができたからこそ、これだけの成功を収めることができたのだろう。

この中村さんの記事は圧倒的に面白い。平成の立志伝だ。
中村さんの話題は、どうしても青色LEDを開発した後の悶着にクローズアップされらがちだけど、むしろ開発に至るまでの軌跡がとても勉強になる。
おそらく大企業のコマの一つで動いていたら現在の彼はなかっただろうと言うことがよく分かる。

「私がギャンブルできたのは、研究開発、製造、品質管理までの一連の技術を手掛け、研究室にこもらずに客先を訪ね歩いた経験が大きいと思う。自分が手掛ける開発テーマは世の中でどのように位置付けられるか。つまり売れる技術は何かを確認する技術者としての基本的な体力を、入社後の10年間で養えたのではないか。」

畑村さんが確か『失敗学のすすめ』で述べていたけれども、創業者やたたき上げの人の最大の利点は、業務の全体像が見えると言うことだそうだ。それは実感的によく分かる。
一からプロジェクトを立ち上げた創業者世代の人間は、その趣旨や成り立ち、システムの構造を隅々まで熟知している。
創業者から二代目、三代目と世代が移っていくと、その創業自体に培われたノウハウはマニュアル化し、効率化へと進んでいくが、それが行きすぎると、形骸化してしまう。創業当初の「ここは押さえとかなきゃダメだろう」というキモが忘れ去れていくことになるのだ。そうして大企業になればなるほど組織は硬直化していく。
小さい規模でもいいから、一人(か少人数)で全体を回してみる経験をするということは、大企業の隅っこで働くことよりも遙かに勉強になる。
昨日読んだ池上正さんのサッカーの教えにも似たようなことが書かれていた、「まず小さいチーム編成で戦う経験を積ませる」と。
→この記事を参照。

学校で言えば、実は公立学校というのは、その本質は大企業と同じだ。教育委員会という本庁があって、地域に所轄の公立学校がある。だから、なかなか小回りがきかない面が多い。たとえば、教科書一つさえ自分たちで選ぶことができない。予算の自由もあまりない。
一方、私立学校や国立学校の利点は、自分たちで一から作り上げることができる「中小企業」であるという点だろう。それ以外のメリットは実はあまりない。お金や設備、人員だって、地域の公立の方が遙かに恵まれているなんて例はザラだ。国立学校だって学級崩壊のような生徒指導上の問題も存在する。
しかし、「本庁」から求められる経営やカリキュラム上の制約はほとんど無い。本庁から求められる書類もほとんど無い(週案さえない学校も多い)、それが最大の強みなのだろう。
だからこそ、その現状にあぐらをかかないで、現代の課題にチャレンジしていくリスクをとる必要があるのだろう。