2014/10/08

成長なんてしない

小学校高学年から中学生時代、「大人」にあこがれていた。
たばこをくゆらしたり、酒を飲んでくだを巻いたりする姿が無性にかっこよく感じた。
子どもには理解できない単語や会話を聞くのが楽しかった。
そこには理解できない他者である「大人」の存在があった。
早く大人になりたいと思った。大人になって、たばこを吸ったり、酒を飲んだり、お金を稼いで好きなものを買ったり、自由な生活を送りたかった。
しかし、二十歳を超え、30歳を超え、大人と呼ばれる歳になって一番びっくりしたのは、自分のなかの「自分」は、ほとんど何も変わっていないと言うことなのだ。
べつに天使のようなピュアな魂を持ち続けていると言いたいわけではない。子ども時代も十分に生意気だったし、大人の今もいっこうにわがままは止まらない。しかし「大人」へと成長していくんだという幻想は見事に崩れ去ったことだけは確かだ。
変わったのは、「自分」にまとわりつく何かかだ。

「自分」には「成長」というイメージがどうしても持てない。
天に向かって、木々や草が伸びていくようなイメージをどうしても持てない。芋虫がチョウチョに脱皮して華麗に変態していくようなイメージを持てない。
その代わりに、いろいろなものがまとわりつき、絡み合って太くなっていく、紡がれていく糸とか縄のようなイメージをもっている。
中心の軸はきっとどこかにあるんだけど(それさえもひょっとしたら空洞かもしれないけれども)、それにさまざまな関係が結びついていくイメージ。
その糸が赤色が多かったら赤い糸になり、青が混じれば紫の糸になる。ひょっとしたら、今後これらが緑や黄色の糸になっていくかもしれない。ぐるぐると回りながら、糸が太く、強くなっていく。さまざまな関わりが、こんがらがりまとわりつき、一つになっていく。
それは「成長」と言うよりも、「成熟」に近いのかもしれない。
上に伸びていくのではなく、太くなっていく、そしてその根っこは、広く、深く広がっていくイメージなのだ。
きっとこれからも成長なんてしていかないだろう。