2015/07/13

対話が深まれば深まるほど、他者が顕在化する

今日のディスカッションで一番面白かったのは、対話の中で、聞き手の受容的な姿勢はどこまで必要なのかという点だった。
相手を尊重し、受容することが大事なことは言うまでもない。でも、相手をどこまでも受け入れることはできるのか、そうするべきなのか。
ここでは「受容」とはいったいどういうことなのか考える必要がある。
「受容」はややもすれば、安易な同調、一体化、うなずき合いになってしまう。
そうではなくて、本当に受容的な構え、相手を尊重することを突き詰めると、相手と自分自身の違和にぶち当たる。そのズレを認めるということになる。
深い対話をすればするほど、相手と自分の立ち位置の微妙なズレに気づき、ズレを共有し、そのズレを心地よいものと感じることができるんだろう。
対話とは、自分の目の前の存在を、自分にとって必要な違和、他者として認識し、その違和から生まれる何かを楽しむ作法なのだ。