2015/07/31

倉澤栄吉先生の思い出

といえるのかどうか分からないけど、私にとって、ほとんど唯一と言える思い出がある。
いったい何年前だろう?、そのときは、私はとある公立中の教諭だったんだけど、××大での月例の研究会で発表をする機会をいただいた。
当時の勤務校は結構大変な職場だったので、がむしゃらに取り組んだ実践をかき集めて、とにかく数で勝負!と思い勇んで、研究発表に臨んだのだった。
当時、××大の月例の研修会では倉澤先生が毎回のようにいらっしゃっていて、私の発表の会でも臨席されていた。(もう80代後半?90台くらいはなずだったがかくしゃくとされていた。)
私にとっては「国語教育のレジェンド」のような存在の方だ。そんな先生に、私の未熟な発表をどのように聞いてもらえるのだろうか、と不安で仕方がなかった。
私の発表はなんとか終わった。すると、「はい!」とすっと手が上がった。
倉澤先生だ! 
なんど先生が、私の発表にコメントをしてくださるとは?!
しかし、こんな質問をいただいたのは、後にも先にもこれっきりのことだろう。
それはこんな質問だった。
「先生のアイディアの豊かさには敬服しました!
 ところで、普段はどんな映画を見ているんですか?」と!
えっ?どんな映画??
今にして思えば、先生の質問の真意は、こういうことなんだろう。
倉澤先生の興味は、きっと「アイディアの源」にある、教師自身の言語生活を知りたかったのだと。
国語教師がどんな映画を見て、どんな小説を読み、何を話し、書いているか、その日常のありふれた言葉の生活の中に、アイディアや授業の源があるのだと、そういうことなのだろう。
(当時は何て不思議なことを倉澤先生は質問されるんだろうと感じていたけど)
その発表会の後、感動して感謝のはがきをしたためたら、すぐに直筆のお葉書を頂戴した。
その文面も非常に味わい深いものだった。当時倉澤先生がこだわっていた「唱歌」の一節を引用し、「あなたの中学校でも子どもたちと一緒に歌わせてご覧なさいと。」

倉澤先生が亡くなった知らせを聞いたときに、すぐにそのはがきを家中探し回ったけれども、先生のはがきはついぞ見つからなかった。