2015/07/10

わたしの授業づくりの原体験

昨日ある先生と話していて思い出してしまった。わたしの授業づくりのルーツのようなものを。
ここから先は大変個人的などうでもいいエピソードだ。そして、大変尾籠な話になって恐縮だけど、私は、中、高時代、お腹が弱い少年だった。
でも、当時は、こっから先は話さなくても何となくわかってもらえると思うけど、男の子が学校のトイレの個室に入るのは、かなり難易度の高いことだった。
朝からお腹が痛みだすと、もうその日一日がブルー。平安に過ごせますようにと、神にも祈らんほどの悲痛な思いで一日を過ごしたものだった。
とくに授業中にお腹が痛み出したときは最悪。黒板の前で、直立不動の姿勢で立つ教師の声だけが響きわたる、あのシーンと静まり返った教室空間。その静寂を破って「先生……ちょっとトイレに……」なんていうことは、かなりのハイリスクな行為だった。
そんな「授業」についての原体験が私にはある。だから、わたしが教壇に立って真っ先に心がけたのは「私の授業だけは、気軽にトイレに行けるものにしよう!」というものだった。
たとえば、
・教室を息苦しい空間にしない。
・教師が机間指導をして生徒に近い位置にいき、声をかける。
・生徒も気軽に手を上げて教師に話しかけられるような雰囲気にする。
・そしてなにより、生徒が時間や体調を気にしないくらい没頭する時間を作る、などなど。
こんなルーツや発想で授業を作っているのは、この世界でもわたしだけかもしれない。
いやあ、思い出してしまった。どうしよう。