2015/07/10

単元「わたしの素」〜本との出会いのこれまでとこれから〜

「わたしの素」ができるまで
中学3年、読書生活を振り返る学習。
学首指導要領では、中3「読むこと」の言語活動例に以下のように示されている。
「自分の読書生活をふり返り、本の選び方や読み方について考えること」。
「読書生活をふりかえる」とはどういうことか、「本の選び方や読み方について考える」とは何をどうすることなのか。
授業をする二ヶ月ほど前から、それをぼんやりと考え続けていた。
ぼんやりと考え続けてたある日、学校図書館をうろうろと眺めていたら、次の本と「出会った」。

『ほかの誰も薦めなかったとしても今のうちに読んでおくべきだと思う本を紹介します。 』
この、長ったらしい名前の本は、角田光代、森達也、村上陽一郎、上野千鶴子、木田元、金原瑞人などのそうそうたる執筆陣が、14歳の少年少女にむけて、「今のうちに読んでおけ」という本について熱く語っている本だった。
この本に登場する方々は、どれも10代に強烈な読書体験をしている。そして自分の人生に影響を与えている1冊を、いくつになっても熱く語り続けることができる。
これだなと思った。
本にはそういう力がある。読書の力とはそういうものなのだ。
「読書生活をふりかえる」というのは、単に一日何分読んだとか、何冊読めたというレベルの話ではない。今までの人生の中で、あるいは日々の生活の中で、どのような一冊と出会い、そして自分の運命を変えていったか、切り開いていったのか、そのルーツまでたどらないことには「ふりかえる」なんていうことにはならないのではないか。
この風変わりなタイトルの1冊と出会ったことで、授業の発想が一気に膨らんできた。

授業を構想するとき、私はまず授業のタイトルから考える。
最初の案は「私のつくり方」・・・・・うーん、そういうことなんだけどちょっと違うなあ。「つくり方」っていうような、外側からこしらえる感じじゃなくて、もっと内的な必然性に導かれるようにして、一冊の本と人は出会っていくのではないだろうか?
悩みに悩んで、最終的には「わたしの素(もと)」という授業タイトルにした。
「わたしの素」。「味の素」みたいに、自分という存在の、「味」を作り出す要素のようにも読める。また、「もと」をたどっていく、ルーツをさかのぼっていくようなイメージにも連想が進んでいく。これはなかなかいいかもしれない。
このような紆余曲折を経て、ようやく一ヶ月前に、授業のおおまかな構想が固まった。

「引き出す質問」を学ぶためにはどうすれば良いか
この授業のもう一つのねらいは、「わたしの素」の交流を、一方的に伝え合う活動にするのではなく、質問を通して引き出し合う活動にすることだった。「引き出し合う質問」を学ぶ学習活動にしたかった。
「質問」ということでいえば、ほとんどの生徒が日常的に「質問」はしている。分からないことを教師に聞いたり、興味を持ったことを友達に「質問」したり。
しかし、世の中で必要とされている「質問」は、もう少し広がりのある概念だ。自分が知りたいことを「質問」するだけでなく、相手の気持ちや考えを引き出すときにも「質問」は用いられている。
「今日の体調はどう?」
「君のこの取り組みは、どのへんをゴールにして進めているの?」
「この話し合いのテーマが何か、もう一度確認しませんか?」など。
このように、相手の意向をうかがったり、相手との相互関係の中で新たな文脈を作り出すことも社会生活における「質問」の大きな働きの一つだ。
また、コーチングやカウンセリング、ファシリテーションといった職業の専門性の根幹にあるのも、このような相手やチームの力を引き出すための「質問」にあることはいうまでもない。
これらの質問は、自分が知りたいことを聞く、分からないことを質問するというタイプの「質問」ではない。そうではなくて、相手が話したいこと、相手が解決したいこと、相手が心の中でもやもやしている部分をクリアにするために行われる「引き出す質問」だ。
このような後者の「引き出す質問」を日常的に使えるようになって欲しい。すぐには使えなくても、中学生が「引き出す質問」を意識できるくらいにはなって欲しい。そういう願いから「引き出す質問」の授業プランを考えることにした。
「引き出す質問」を学ぶことの難しさは、いままでの「分からないことを聞く」というタイプの「質問」から「引き出す質問」というものがあるんだということへ発想を転換するところにある。
このような「引き出す質問」について、理論や理屈で中学生に説明しようとしてもそれは無理なことだ。そういうやり方でなく、「引き出す質問」を一気にイメージできる便利な方法はないか?
それはある。生徒の身近な生活の中で「引き出す質問」を目にする機会が、実はある。
それはテレビのトーク番組だ。
トーク番組では、ゲストを番組に招き、ホストから質問を投げかけ、ゲストの魅力を引き出していく。阿川佐和子や黒柳徹子という対談の名手がいる。「さんまのまんま」の明石家さんまがゲストに質問する「振り」も、そういう「引き出す質問」の一種だろう。トーク番組には「引き出す質問」のワザが縦横無尽に飛び交っている。
このトーク番組というフレームを使い、中学生を「ゲストの魅力を引き出すホスト役」にしてしまえばいいのだ。そうすれば、くだくだとこちらで説明をしなくても、一気に「引き出す質問」をイメージさせることができる。このような発想から、授業のフレームを「トークショー」とすることにした。
去年この学年で行ったビブリオバトルの手応えも、この「わたしの素」のヒントとなっている。
「質問」についてより詳しくは、ひとつ前の記事「質問考」へ
なお、この実践のトーク番組のフレームを使った先行実践は以上の文献に詳しい。中学校における「対話」学習の実践研究として筆頭にあげられる一冊だろう。先達はあらまほしきことなり。『国語授業における「対話」学習の開発』


読書生活をふりかえる仕掛け、三冊読書
今回の「わたしの素」では、今までの人生で出会った本の中から三冊をチョイスして紹介し合う活動を行う。
この「三冊」というのが意外にキモだったりする。
取り上げる三冊は同じようなものは避ける。(例えば「名探偵コナン」1巻、2巻、3巻みたいに)
三冊は、なるべく違う時期、違うジャンル、内容のものとするようにさせる。
一冊とか二冊でというのは比較的スムーズに決まる。ちょっと多そうだったら四冊という手もある。しかし三冊選ぶというのは不思議と難しいのだ。
プラスとマイナス、白と黒だけでなく、第三項を選ばなければいけない。そのため「三冊」は、選書が立体的なものになってくるようなのだ。そんなバカなと思うかもしれないけどやってみるとそれが実感できる。三冊は悩ましい。
今まで読んできた本を絞り込むこと、これだけでも、一体何を選べば良いか、どのような本を組み合わせれば良いかと頭を悩ませることになる。ためつすがめつ、昔読んだ本を引っ張り出して、読みかえしていくことになる。それを三冊組み合わせて、立体的に「わたしの素」を表現しなければならないのだ。このように「三冊に絞りこむ」というプロセスを経ることで、これまでの読書生活を立体的に捉え、ふりかえる意識へと、一気に高まっていくこととなる。
※なお、三冊を立体的に組み合わせる発想は、松岡正剛の「三冊屋」をヒントにしている。こんなところにも「編集」が潜んでいるのである。

いろいろと能書きをたれたけど、ここからが授業の実際となる。

単元名
「わたしの素(もと) 〜「本との出会い」のこれまでとこれから〜」

授業の概要
今までの十四、五年間の人生で出会った本の中から、印象に残っている一冊、大好きな作品、夢中になって読んだ本など、人生を変えた!というような本を紹介し合う活動をし、読書経験を共有していく。

授業の展開(全三時間展開)
1時間目 本との出会いをふりかえる
①単元の概要を確認する。
(授業については、一週間前に生徒たちには予告しておいてある)
②教師のデモンストレーションをみて、学習のイメージをつかむ
 教師とゲストとで「本との出会い」のトークショーをする。(「徹子の部屋」みたいなやつね、と言ったら一気に生徒とイメージを共有することができた)
③「本との出会い年表」を書く
④③の年表の中から、「わたしの素」を三冊に絞り、フリップに書く。(下写真)
このフリップや本の実物を提示しながら次の時間のトークショーが進んでいく。

(例)「〇〇さんの素」の三冊と、それに添えたコメント
3歳『さるかに合戦』……必ず最後に正義は勝つのだ!!
小学校3年生、『名探偵コナン』……あまりのおもしろさに人生を後悔
中学校1年生、東野圭吾『パラドックス13』……ミステリー系にドハマリ

このように、フリップには、それぞれの本の下に簡単なコメントが添えられている。
インタビュアーは、本の内容や、添えられたコメントという限られた情報から質問の切り口を考えていくことになる。
(写真の赤い付箋はトークショーで交わされた質問。トークショーを終えた後に貼ったもの)

2・3時間目 「わたしの素」トークショー
五人グループを作り、一人ゲストを決めて、そのゲストの読書体験を質問して引き出し合うトークショーを行っていく。
なお、授業は次のような展開で行っていった。

①トークショーの打ち合わせ(3〜4分程度)
ゲストは退席してグループから離れる。
その間、インタビュアーである四人は、ゲストが提示したフリップから質問内容を考えたり、質問を調整をしたりする。
質問が重複していないか、質問の順序は適切かなどを考えていく「作戦会議」を行っていく。この打ち合わせの段階で、すでに「引き出す質問」のメタ認知が高まっていくことになる。

②トークショー(7分くらい)
ゲストを拍手で出迎えてトークショーが開始。
それぞれの質問者は「二問ずつ」質問をしたら他の人にバトンタッチをしていく。(トーキングスティックであるぬいぐるみがバトン代わり)
この「二問」というところにもこだわりがある。
一問目は①の「打ち合わせ」で事前に考えておく質問。
二問目はアドリブでその場で考える質問。
言うまでもなく重要なのは、二問目のアドリブ質問だ。
二問目の、即興的に考える質問をひねり出すためには、ゲストの話を真剣に聞き取って、文脈を押さえ、どのタイミングで、どのような問いを切り込めばいいか考えていくことになる。特に、自分が知りたいことではなく、相手を引き出すための質問を意識していかなければならない。しかも、前の質問者や後に続く質問者の質問内容も意識して、上手くつないでいかなければならない。そのため、この質問はかなり難易度の高いものとなる。さすがにフリーハンドでは難しすぎると判断して、その支援として、質問のパターンをカードにしてテーブル上に並べておいた。
(全員ではないが、このカードを頼りに質問を考える姿は見られた。だから一定の効果はあったと言える。しかし、上手くトークの文脈をつなげるように質問を繰り出していくのはなかなか難しかった。きっとこれは大人でも難しいことなのだろう)








この「質問のカンペ」は、トークショーで質問として交わされそうな内容を片っ端から分析してカードに書き起こしたものだ。質問が思い浮かばなくなってしまったら、このカンペをチラ見しながら即興的に質問を思い浮かべることになる。(別にこのカードの言葉を言わなければいけないというものではない。ヒントカードのようなもの)
こういう学習言語、学習語彙を、子どもの活動内容に合わせて提示する手法は、先日、つくばの研修で学んだJSLカリキュラムの発想を参考にしている。

テーブルのセッティングは以下の通り。

三冊を紹介するフリップボード、質問のカンペ(質問の文型をカードにしたもの)、ゲストからのフィードバック用のカード、一問目の質問をメモするための付箋、トーキングスティック(ぬいぐるみ)、各グループの交流を録音するためのボイスレコーダー。

③ゲストからのフィードバック
ひとしきりトークショーが終わったら、ゲストから、このトークショーの質問をフィードバックしてもらう。
このフィードバックでは何も示さずにフリーに話してもらっても、もちろんいいんだけれども、そうなると「楽しかったです」で終わってしまい、浅いものとなってしまうことを危惧した。そこで、以下の四つのパターンをカードで示した。
(なお、この四つのパターンは、ゲストにとってフィードバックを引き出すという意味だけでなく、インタビューアーにとっても、トークショーの目指すべきゴールを共有するためのものとして機能していく。このトークショーの最高のゴールは「考えてもいなかった気づきを得る」ようなインタビューとなることだ。)
ゲストはトークショーが終わると、このカードを示しながらトークショーのフィードバックをコメントしていくこととなる。
よかった質問は? よかったところは? 質問を受けての感想は? などなど。

このような流れでトークショーのワンサイクルが終了する。

※なお、事後に、「わたしの素」の三冊、「本との出会い」年表、「本との出会い」の「これまで」と「これから」を振りかえるコメントを含む内容で、八つ切り画用紙に表現して掲示物にして他のクラス、学年とも共有していく予定。これは夏休みの宿題とした。

さて、この「わたしの素」の試みは、ひと言で言って、とても面白いものだった。
「思い入れのあるとっておきの本」というトークの題材、そして、それを引き出し合う仲間の存在、それを楽しむトークショーという虚構のフレーム、それらの相乗効果で、この交流は熱をおび、大いに盛り上がった。

実はこの授業は、学芸大の岩瀬先生も飛び入り参加をしてくださった。
あるクラスでは、1時間目のトークのデモンストレーションを岩瀬先生と。もう一つのクラスでは2時間目のトークショーを参観していただいた。
授業後、岩瀬さんから長文のフィードバックをいただいている。
このフィードバックが、活動場面での子どもたちの様子や、この試みの課題を知ることのできる何よりのレポートであると考え、最後に、以下、全文を紹介させていただく。


【授業参観記:長文】

今日は〇〇中学校の▲▲さんの授業を参観させていただいた。かねてから自分と同じ「匂い」を感じていた▲▲さん。今回突然のお願いにもかかわらず快くお引き受けくださり、研究室の院生の方々ら6人と一緒に2時間参観させていただいた。

一番の感想は「幸せな気持ちになった」だ。ボクは授業を参観するときに、そこに子どもとして座って授業に参加している自分を想像する。子どもである仮想の「ボク」は、本当に楽しそうに授業に参加していた。
そして生徒の皆さんが幸せそうに語り合う姿を見ていて、ボクも本当に幸せになった。

授業は、「わたしの素~「本との出会い」のこれまでとこれから~」。これまでの人生で出会った本、大好きな本、自身の人生に影響があった本など「わたしの素」になっている本を3冊選ぶ。その選んだ3冊についてグループごとに交流する授業だ。
グループごとに「徹子の部屋」のイメージでトークショーを行う。一人一人がゲストになり、グループのメンバーが「徹子役」(ファシリテーター)として、ゲストの「わたしの素」を引き出していく。

中3の皆さんは自身の「素」となった本について本当に嬉しそうに語っていた。思い入れのある本にはエピソードが埋め込まれている。本との出会い、その頃に体験したこと、本とのつながり。グループのメンバーはいかにゲストの魅力的なエピソードを引き出すかを「質問」でチャレンジしていく。全3時間の単元なので質問をブラッシュアップしている時間はあまりない。
そこは▲▲さんが周到に準備されていて、「質問カード」が各グループに配られている。
例えば、「具体性を引き出す質問」、「記憶を引き出す質問」、「感情・イメージを引き出す質問」等々。それぞれのカードに質問例が載っている。
これは、ボクがブッククラブの実践で使っていた「質問例集」に近いものを感じた。
http://d.hatena.ne.jp/iwasen/20140121
このカードを手がかりに質問をしていくわけだが、話し手に
「話したいストーリー」
があるので、次々に魅力的なエピソードが飛び出してくる。
ボクは生徒の皆さんのトークについつい引き込まれていった。うっかり質問したくなるくらい。ある生徒が語っていた『遠い町から来た話』は、帰り道で思わずアマゾンで注文してしまったほど引き込まれた。院生の皆さんもやはり参加したくなった!と言っていた。それくらい豊かな学びの場だった。こんなステキな授業を見たのはいつ以来だろう。
中3男子が「オレ、小学校の頃、黒魔女さんシリーズ読んでたんだよ−!」と嬉しそうに語っているのも何ともステキだった。

1時間はあっという間に過ぎていった。
「続きはまた次回」の言葉に「えー!」という声が出たところに、いかにいい時間だったのかがわかる。ボクももう終わりとは信じられない!というぐらい時間が短く感じた。
たった3時間の単元(今日は2時間目)でここまでできることに素直に驚いた。もちろん日頃の授業での積み重ねがあるからこそだろうけれど、その時間で深められるような丁寧な準備。その丁寧さが▲▲さんの実践を支えているのだろう。そしてきっとその準備はとても楽しいはずだ。(ボクもそうだったから 笑。▲▲さんほど丁寧じゃなかったけれど・・・・)
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以下印象に残ったことをざっくばらんに。
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・場の雰囲気がとてもやわらかく、もはやワークショップ。トークショーというフレーム、トーキングスティック(ぬいぐるみ)や、本の紹介用パネル、わざわざゲストの人は一旦退出して拍手で入場、と場を楽しむ仕掛けがふんだん。生徒の皆さんもそのフレームを楽しんでいた。時間が来ると、▲▲さんは「CM入りました-」笑。こういうユーモア、ステキだなあと思う。
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・トーキングスティックを回していってグループのメンバーが交代で質問するというルールになっていたのだが、回していないグループもあった。▲▲さんが「ぬいぐるみいる?どう?」と1回目と2回目の間に問いかけると、「いるー!」「いやされるー」。「じゃあ使おうか」。何気ないやりとりだが、この学習を共同で作っていくという▲▲さんの立ち位置が表れているなあと感じた。「共同修正」は授業はもちろん、学級経営でもキモになるとボクは思っている。一緒に作っていくもの、なんだと考えているからだ。
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・この授業は中学生に限らず、大人も十分楽しみ、深まる授業だ。ボクは「いい学びは年齢を問わない」を信念にしてやってきたが、この授業はまさに!だ。完成度の高い、豊かな学びのワークショップ。授業後▲▲さんに「授業のこだわりはなんですか?」とお聞きしたら、「大人に通用しないことを子どもにやるのは失礼だから、大人にやらないことは子どもにしない」とおっしゃっていた。この共通点は本当にうれしく、そしてそれを高い次元で実現している▲▲さんはすごいと改めて感じた。
▲▲さんはきっと授業を構想するときに「その授業に参加している自分」を見ているのではないか。自分もやりたい学び。だからこそ、生徒の皆さんの様子をあんなに嬉しそうに観察されていたのだろうなあと想像した。「自身を学び手として設定して授業や学級を考える」という視点は、ボクたちにとって一番大切なのかもしれない。
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・4時間目はこの授業の導入だったのだが、ボクもゲストとして生徒の皆さんの前でトークをさせていただいた。すごく緊張して汗が止まらなかったが(笑)、とても楽しい時間だった。話しているうちに「これも聞いてもらいたい」ということが湧き上がってくる自分がおもしろい。「ああこれを話したい」というときにそれを引き出す質問が出てくるか、違う方向に行ってしまうか、ということが起きるということも実感できた。
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・この授業を貫いている問いは、「いい質問(インタビュー)とは?」。この場合いい質問は、どういう質問だろう。①インタビュアーが聞きたいこと ②ゲストが話したいことでは質問が違ってくる。ゲストの主訴を意識して質問を組み立てるのもおもしろそうだ。作戦会議の作戦の方向性を定める感じだろうか。
そしてトークショーというフレームでは「お客さん」がいる。
お客さんを意識するかどうかで質問が変わる。
そのあたりを深めていってもおもしろいなあと感じた。そのためには、例えば、ゲストとインタビュアーがペアでトークショーを行い、他のメンバーは「お客さん」役にしてはどうだろう。金魚鉢の要領だ。インタビュアーにとって「お客さん」の聞きたいことはなんだろう、という視点が生まれて、いい質問についての洞察が深まりそうだ。トークショーをメタに見る視点も生まれる。これはボク自身が、生徒の皆さんの前で渡辺さんにインタビューしたときの実感から生まれたアイデア。観客を意識するとゲストとしてもインタビュアーとしても質問や話すことが変わっていく。その意味ではトークショーという場は豊かな可能性が含まれている。
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・一つだけ欲を言うと、7〜10分という時間はあまりにも短い。これは中学であるという現実的制約上やむを得ないのだろうけれど、もっと長い時間設定にしたいなあと思う。「いい質問とは?」を深めるためには、もう少し質問する機会が必要に感じた。トークショーとしては「いよいよここから」というところで終わってしまう班もあった。
また、時間に余裕があればどこかの班のプロトコルを読んで、生徒自身が質問の機能を分析してもおもしろいなあと思ったが、これは欲張りすぎか。いずれにせよ「語りきる」みたいな時間ができるとホントに幸せだろうし、生徒の皆さん同士のつながりもより生まれただろう。そう、この授業は「本」を媒介に生徒同士がつながり合うデザインの授業でもあったのだ。ああ、やっぱり短くても1人20分はほしいなあ。
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・昼食を取りながら院生の方々の質問にも丁寧に答えてくださり、ただただ感謝。ここには詳しく書かないが、評価の話や、「いらないものを捨てていく」という授業づくりの話、「やらなきゃいけないこと」と「やりたいこと」の関係など、院生の皆さんには今後の支えになる深い話をしてくださった。飾らず本音で話してくださるので、院生も激しくうなづきながら聞いていた。ああ、ありがたいなあと思う。
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・ボクが大学生の頃、東京学芸大学の平野朝久先生は、バスをチャーターして全国の小学校に連れて行ってくださった。「いい子どもの学びをたくさん見ておいてほしいんですよ」とニコニコしておっしゃっていた。ボクはその時が教員としての原体験になっている。「すべての子どもには力がある」「すべての子どもは学びたがっている!」を具体的な姿で知ったことで、自身の信念になった。
今回、▲▲さんの授業を院生と共有できたのは、まさにあのときと同じだ。いい学びを実際に見て体験すること。これ以上の教師教育はもしかしたらないのかもしれないなあと思う。中学志望の院生は、未来の可能性を感じたと思う。ボクも未来を感じた。

院生の方々には、自主ゼミでぜひ実際にやってみて「学習者」を体験してほしい、それによって今日の学びがより深まるはずだ。
こんなにステキな授業を見たのはいつ以来だろう。本当に幸せな1日でした。これからも足繁く通わせていただこうと思います。本当にありがとうございました。

あ、一つ書き忘れましたが、
▲▲さんの授業に「持続可能性」を感じました。
特別なんだけど特別じゃない。
先生の肩に力が入っていないし、無理してない。自然体。
生徒にも過度に要求しない。生徒もまた自然な学びの場。
この自然さと「続けられる感」って今の多くの学校教育の実践にかけているなあと。

そしてなにより、両者の「やりたい!」が詰まっている授業でした。
これが授業の原点だと思うわけです。
▲▲さんの本への愛情を感じました。

「あこがれにあこがれる」ですね、▲▲さん。

引用終わり。
そう、そうなんだ。「あこがれにあこがれる」
子どもが好きで好きでしょうがないモノ(ここでは本)へのあこがれに、教師である自分も寄り添って一緒に伸ばしていくということ。
教師があこがれているモノ(ここでは本)への熱い思いに、子どももつられて好きになっていくということ。
その両方のベクトルが授業を作り、人を育てる営みの根幹となる原理となるのだ!