2013/06/21

発問をしたあとが実は大変なのだ~一斉授業による学びの6つのステップ(仮)~

一斉授業は難しい。
「そんなの、発問して、挙手をさせて、指名をして、答えさせればいいだけでしょ」
と何の疑問も持たずに考えている人にはこの難しさはわかるまい。

一斉授業の一番の難しさは、実は発問ではない。
発問した後が実は大変なのだ。
発問をした後に、どうやって個々に考えを持たせるか、どうやって個々の意見を拾うか、どうやって意見を吟味していくか、そして、どうやって学習内容を共有させるかが大変なのだ。
つまりは、どのように学習者の反応を受け止め、学習の成果を共有していくかに一斉授業の難しさがあるのだ。

そのステップは、だいたい次の6つに分けられると思う。
①子どもたちが問題や課題を持つステップ
②子どもたちが、個で意見や考えを持つステップ
③他者に意見を発表するステップ
④意見を吟味するステップ
⑤学習内容を説明するステップ
⑥成果・知識の共有をするステップ

それでは、一斉授業を行う場合を例にとり、発問からスタートして学びを共有するまでのステップのたたき台を次に示したいと思う。

①子どもたちが問題や課題を持つステップ
 ○教師の授業行為
   発問をする
   ワークシートで課題を与える
   子どもの疑問を引き出し、疑問から出発させる
   目的・意図を語って自発的な行動を促す
   ミッションを与える

 ☆ポイント
  問いの意味を理解できているか
  課題解決にどれくらい時間が与えられているかを把握しているか
  答え方を理解しているか。(答える方法、答えの文量など)
  答えに至るための情報や、思考の方略を把握しているか。
  ※たとえばこうやって答えるんだよ、と答え方のモデルを提示するといい。
 

②子どもたちが、個で意見や考えを持つステップ
 ◎言語による表出
  つぶやく
  ノートやワークシートに書く
 ○非言語による表出
  うなずく・首を振る
  ハンドサインを出す(OK・×など)
  動作化する(音読/演技)
  操作する(線を引く・丸で囲む・組み合わせる)
  イラスト・図・表を描いて表現する


③他者に意見を発表するステップ
 ○教師による発言の取り出し
  つぶやきを拾う
  挙手-指名ー応答
  指名する(様々な方法がある)
  ランダムに意見を言わせる(指名なし発言)
  黒板に書き出す、貼り出す
  ノートやワークシートなどを提出させる
  小グループで話し合わせる(拡散的な話し合い)
 

④意見を吟味するステップ
 ○教師による発言のさばき
   音声言語による評価
    正解! ピンポン!
    ……というところはいいね。〈部分的な評価)
    ……はどうだろうか?
    それは……と考えたからということ?(解釈)
    それは……ともいえるのかな。(新たな文脈の提示)
    それだったら、……の場合はどうなる?(問い返し)
    どうしてそう考えたの?なぜそう言えるの?(根拠を聞く)
 
    ほかにありますか(多様な発言の促し)
 
    なるほど、すごい!(共感)
    ……をよく読んでいたね。……を頑張ったね。〈ねぎらい)
  
    んー、それはどうかなあ〈否定的な評価)
    おしい!
    残念! ブブー!
   
   板書に発言を位置づけて書き出す。

   非言語による評価
    褒める
    うなずく・にっこりする・グーサイン
    だまる
    首をひねる

 ○子ども同士に相互に吟味し合わせる(収束的な話し合い)

 ☆吟味のポイントは、
  基本的には、肯定的な共感、受け入れるという姿勢が大切。
  サッカーのパス回しのイメージで、ゴールに向けてボールを前に進めていく。〈ピンポンのように  打ち返すのではない)
  ビリヤードのように一つの発言から他者へ、他の要素へと広がっていくことを意図する。
  学習内容の観点、視点、方略を適宜,助言したり提示すること


⑤学習内容を説明するステップ
 演繹的な説明
 帰納的な説明
 具体的・抽象的な説明
 一般化と個別化
 エピソード・物語による説明
 真理、法則、格言などによる要約
 思考の方略の提示(手続き的知識と宣言的知識、学習用語の提示)


⑥成果・知識の共有をするステップ
 参考になった意見、知識をノートに書きとめさせる
 理解した内容をノートに整理し、知識を再構成させる
 理解した内容を念頭に置いて、もう一度問題に取り組む
 学習した内容をまとめる・振り返る 
    
 ☆成果を共有するポイントは
  学習内容の効用、効果、意義などの学習した価値を理解させること
  学習内容を転用、応用することへの促しをすること

2013/06/20

「いい子は敵」、あるいは、我が痛恨の失敗

「今日の授業では、最初っからいろんなトラブルが起こって、とにかくいっぱいいっぱいになっちゃったんです」
目を真っ赤にして実習生が話す。
今日の実習生の授業の「反省の弁」だ。
「はじめに文章の説明をさらっとやるつもりだったんです。
でも、それを聞いてた子どもの反応がぜんぜんなくて。
わかっていないみたいだから、焦って、さらに説明を付け加えていくうちに、時間がどんどんたってしまって……」
結局、予定した授業内容の半分も終わらずに時間が来てしまったということだった。

それを聞いて、私は
「でも、それってすごいことだと思うよ! 
失敗を慰めるとか、苦労をねぎらうとか、そういうのじゃなくてね、単純にすごいと思ったんだよ。
だって、子どもの様子を見て、それからその場で授業を変えていこうと思ったわけでしょ。
それって、初任の先生でもなかなかできない、結構すごいことなんだよ。
確かに、説明の方法のつたなさとか、わかりにくさとか、反省すべき要素はあったかもしれない。
でも、少なくとも、あなたは子どもを見ようとしていたわけだし、その子どもの姿から、臨機応変に授業を何とかしようと思ったわけじゃん。そういう点は、とってもいいことだと思ったよ」
と語った。

さらに、私の「痛恨の失敗談」をお話しした。
「っていうのもさ、実は、いままでの人生の中で、一番大失敗した授業っていうのがあったの。
それはね、以前いた学校のことで、学年6クラスくらいの大きな学校で、いっぱいクラスを持っていたから授業内容とかもごちゃごちゃになっていたの。
それで、一度勘違いして、前回とまったく同じ内容の授業を、そのままそのクラスにしてしまったことがあったの。
でもさ、ぜんぜん気づかなかったの。授業が20分以上過ぎても。
20分くらい授業をしていて、みんな黙って聞いているんだけど、ノート全然書いていないし、おかしな空気だなあと思って、生徒に聞いてみたら、それで初めて自分の失敗に気づいたというわけ。
同じ授業を繰り返してしまったことはショックだったけど、それ以上にショックだったのは、子どもが前回と同じだっていうことを伝えてくれなかったこと。伝えられるような空気を私が作っていなかったこと。もっと言えば、今まで、自分は、子どもをぜんぜん見られていなくて、独りよがりの一方的な授業だったんだということが、はっきりわかってしまったことだったんだ。

それとね、初任の頃、指導教官に言われた言葉で「いい子は敵だ」って言う言葉もあるの。
教師の失敗を責めない、何にも言わない、いつもにこにこしているような、一見「物わかりのいい子」ほど、教師をだめにする「敵」はいないんじゃないかということなの。
子どもが悪いっていうんじゃないよ。教師に都合のいい「いい子」だけを見て、それでいい気になっているのが悪いということ。
授業についてこれない子、つまずいている子、困っている子、文句を言う子、集中できずに遊んでしまう子がいるおかげで、自分の授業がどんなのかがわかる。
そういう反応があるおかげで、その子に対して、何がいけなかったのかとか、何をすればいいのだろうかと考えようとするわけだし、うまくいかなかったという反応に、授業改善のヒントがいっぱい詰まっていると思うんだよね。
だから、そういう子たちには感謝をしなければいけない。そういう子たちの姿を通して、いっぱい勉強をさせてもらっているんだということを。

2013/06/19

新聞記事における「事実と意見」

読むことの指導事項の中に「事実と意見を区別する」というものがある。
しかし、この「事実と意見」は、突き詰めると明確に分けることが難しい場合があり、やっかいだ。
意見や気持ちを明言している場合はわかりやすいのだが、一見客観性を装う文章、たとえば新聞記事などの場合、「何を記事として取り上げたか」という「話題の選択」や「記事の切り口」そのもののなかに、意見や見解などの「編集意図」があらわれる場合が多いのだ。
(たとえば、反原発のデモなどを全く取り上げない新聞社があった場合、多くの人はそこに明確な「メッセージ」があると感じる)
新聞の場合、たとえば次のような要素に「編集意図」が現れるのではないか。
・何を話題(事実)として取り上げたか
・新聞の何面に取り上げたか、記事の位置は?
・記事の文量、ボリュームは?
・写真や図、見出しから何が伝わってくるか?
・取り上げる事実の順番は?
・インタビュー記事の意図は?
・文体、語尾などは?
など、文章に現れた「事実と意見」だけでなく、新聞のメッセージはあらゆるところから垣間見えるものだ。

2013/06/13

テストの採点がびっくりするくらい高速化する「顔スキャン法」と、得点計算を高速化する「数列法」。

1、テストの採点が高速化する「顔スキャン法」

テストの採点を効果的、能率的に採点をする方法を考えた。

名付けて「顔スキャン法」である。
「顔スキャン法」の正しい採点用紙(ダミー)のさばきかた
採点がもたつく一番の原因は何か? 視線の移動である。
視線を、模範解答←→解答用紙と往復している時間が、一番もたつくのだ。
次に時間がかかるのは、ページめくりである。
ページを高速にめくれれば、一気に採点は早くなる。
さらにいうと、一人一人、一枚一枚めくりながら採点していると、つい飽きてきてしまい、気が散ってしまい作業が中断するのも私の悪い癖だった。

それらの原因を解決するために開発したのが「顔スキャン法」である。
(3クラス、100人以上の中・大規模校向け)

顔スキャン法とは、

1、答案をクリップなどでまとめる。(私は全クラスいっぺんに採点している)
2、最後の人の答案から※
3、一行ぶんの解答欄を
4、スキャナーのようにその欄のみ見て、採点していく。
という方法である。
(※めくりやすければ最初からでも最後からでもどちらでも良い)

ポイントは、模範解答をいちいち見なくても暗記して採点できるくらいの狭い範囲に限定して一気に採点することだ。
同じ設問を続けて採点していれば、解答なんてすぐに覚えてしまう。
模範解答はすぐ脇に置いておくと、さらに視点の移動が少なくてすむ。

この方法のメリットは、同じ設問を一気に見るので解答基準にぶれが出にくいことと、誤答の傾向をその場で確認することができることだ。
採点をしながら気づいたことはどんどんメモしておき、あとで生徒に誤答の傾向も併せて解説をしている。

今までいろんな方法を試してみたけど、なんだかんだ言ってこれが一番効率的みたい。
って、同僚は知らなかったみたいだけど、この方法やっている人いるよね。知る人ぞ知る方法?

2、得点計算を高速化する「数列法」
テストの得点計算も苦手分野の一つだ。
情けない話だが、暗算に時間がかかってしまう。
急いで採点していると、2点問題を3点で計算してしまったりと、うっかりミスしてしまうことも多い。
そんな私のためにあみだした方法が「数列法」である。
「数列法」 解答欄(ダミー)の左下に注目!

数列法とは、あらかじめ得点のパターンを印刷しておくというごくシンプルな方法だ。
たとえば左の大問の解答用紙。3つ間違えているので、3つチェックをつければ自動的に15点というのがわかる。(この大問はすべて3点の問題です)
右の方の大問は、3点問題が1つ不正解で18点、5点問題が正解で丸がついている。
このような「数列」のかたちで小計をつけておくのだ。

3、エクセルに小計を入力する
採点をし、大問ごとの小計を答案に記入したら、あとはエクセルの表に小計ごとに入力していく。
合計点は自動的にエクセルで計算してくれるから電卓なんか使わない。
こうすれば、平均点を出したり、観点別にデータを利用することなんかもすぐにできる。

ひょっとしたらもっといい方法があるかもしれないけど、現時点ではこれがまあまあいい方法かなあと思っている。
ものぐさで、おっちょこちょいで、計算も苦手な私だが、効率的、効果的に採点をする方法を常に模索している。


ちなみに、採点はプラチナソフトペン!柔らかくて書きやすい。
これ知らない学校の先生、モグリですよ~


2013/06/09

教育実習で何を教えられるか、教えられないか

毎年何人もの教育実習生の指導をしている。
現在勤務している学校では四週間の実習期間だが、はたしてたった四週間で何を学べるか(教えられるか)正直途方に感じている。
が、それでもたった四週間なんてお遊びだ、意味がない、とも言ってはいられない。
現時点での私の考えを書いておきたい。

教育実習の目的
・教職選択を考えるきっかけとする
・よい教師として成長していくための方向づけをする

教育実習の目標
1、自分を知ること……教師の適性を考えるきっかけとする
2、教育の現場を知ること……学ぶ立場から、教え、育てる立場への視点の転換
3、力の付け方を知ること……どうやって力量をつけていけばいいかを知る。
4、子どもとの基本的な関わり方を知ること……子どもを大切にする教師になって欲しい


1、自分を知ること
大学卒業後、教師の道を選ぶにしてもそうでないにしても、後悔しないようにして欲しいと思う。
自分は本当に教師に向いているのか?
教師の仕事に生きがいを感じるか?
一生の仕事として選んで悔いないか?
など、真剣に考える機会にして欲しいと思う。
観念だけでイメージしていた教育現場と、実際とでは大きく異なり、ショックなことも多いだろう。
それでも、数ある職業の中で、この教師という道を選び、幸せな人生をイメージできるという人はぜひ選択して欲しいと思う。
(ちなみに、本校に来る実習生はみんな教員になるわけではない。おそらく採用試験を受けるのは半分か、それ以下だろう。しかし私は教職志望だろうとそうでなかろうと区別をしていない。そういった器用な使い分けが私にはできないと言うことと、実習の時点では先生になりたいと思ってなくても、後になって教員の道に進みたくなる人がいるかもしれないからだ)

と同時に、子どもとの関わり方のスタイルを自覚して欲しいと思っている。
やはり、この仕事は自分のスタイル(というか人柄というかキャラクターというか、ようするに属人的な何か)に大きく左右される。
どんなスタイルで子どもと接しようとしているか、それに自覚的であって欲しいと思っている。
きっと教育実習中に振る舞ったそのスタイル(の萌芽)はその後の教師人生(もし教職に就くとして)のヒントとなるだろうからだ。


2、教育の現場を知ること
将来教師になろうがなるまいが、教育の現場を知ることはとても大切なことであると思う。
教育実習に来たからには、中学校とはどういうものか、リアルな姿を知って欲しいと思う。
現場はどれくらい泥臭いものであるか、そのなかで先生方はどんな努力をしているかについて知って欲しいと思っている。
やはり、生徒ではなく教師として教育の現場に立たないとわからないことは山ほどある。
その逆に、学校外の世界からみたらおかしなことや文化の違いもイヤと言うほどあるだろう。
そういう違いを知って欲しいし、考えて欲しいと思っている。
だから、どういう考えでさまざまな教育活動が行われているか、教師の意図をできるだけ伝えるようにしている。


3、力の付け方を知ること
たった数週間の実習、数時間の授業で、一人前の力なんてつくわけはない。
だからといって必要とされるスキルすべてをとりあえずすべて教えるなんてこともできない。
だから、教師になったときに自立して学び、伸びていけるような人になってもらうために、力の付け方は教えておきたいと思っている。
まず、
・授業が上手くいかないのは教師の責任であること。逆に工夫次第では上手くいくこともあること。だから、絶対に子どものせいにしないことを基本的な心構えとしてたたき込み、
・子どもを見ること、知ろうとする努力を怠らないこと。子どもの自然な思考の流れとか、心理を理解するように努めること。
・教材と真っ正面から向き合うことのなかに答えがあること
・さまざまな教育技術がある。それらを貪欲に学び、使いこなせるようにすること。
・常に視野を広くもち、教師自身の好奇心や学ぶ気持ちを持ち続けるようにすること。
などを伝えたいなと思っている。


4、子どもとの基本的な関わり方を知ること
さまざまな教師の、子どもとの関わり方のスタイルを知り、そのなかでどれが自分のスタイルとして取り入れられそうか、考えて欲しいと思っている。
(と同時に、中学校ではさまざまなスタイルの先生が、お互いにそのスタイルを尊重しあい、生かし合ってチームワークで子どもを育てていると言うことを必ず伝えるようにしている)
とくに私の中核的な教育観でもある「沿いつつずらす」スタイルについて、伝えていきたいと思っている。さまざまな場面で私が子どもとどのように関わろうとしたか、なるべく伝えるようにしている。

子どもを見下し、バカにするような教師になって欲しくない。
サルまわしのように、子どもを意のままにあやつることに楽しみを見いだすような教師になって欲しくない。教師の都合で子どもを利用したり不幸にするような教師になって欲しくない。
どんな教師のスタイルを選択しようとも、子どもを大切にする教師になって欲しいと思う。
もちろん、こんなことはいちいち取り立てて教えはしない。
大変不遜な言い方だけど、私自身の姿からそういうものを感じて欲しいと思っている。

実践的研究者、もしくは研究的実践者の落とし穴

自らの戒めとして。
実践的研究者、もしくは研究的実践者の落とし穴

1、先行研究を押さえずに、もしくはその影響を自覚せずに、独自性のある提案だと思い込んでしまう。先行研究へのリスペクトを忘れてしまう。
(いい授業といい研究は違う。いい授業をつくるためには、誰の、どんな手法をまねしてもいいけど,研究ではそれは許されない)

2、目の前の生徒に対して客観的な評価ができにくく、検証が甘くなる。
(そもそも「失敗した」教育研究ってどれくらいあるの? どうすれば「失敗」かが評価できない限り、どんな研究でも「成功」になる)

3、「自分だけの」「この学校だけの」実践を、安易に一般化して「どこでもできる」「だれでもできる」と絶対化してしまう。
(自分にとって一番いい方法が、他の人にとって一番いい方法とは限らない。けれども自分の成功体験を語るときに、えてしてそういう謙虚さを見失いがちだ)

2013/06/06

学習ゲーム「ことわざ下克上クイズ」(車輪の再発明風)

学習ゲーム「ことわざ下克上クイズ」(車輪の再発明風)

たくさんのことわざを覚えるためのクイズを開発しました。
今回はことわざですが、他の分野でも応用可能です。

1、クイズカードを作る
問題文…ことわざの意味と、ことわざの言葉(選択肢)
解答……裏に記載

2、対戦する
2人組を作り、一対一で勝負をします。(教室の列で機械的に相手を組ませます)
カードを使って、それぞれが問題を出し、クイズ対戦をします。

3、カードを交換する
対戦が終わったらカードを2枚ずつ交換します。
相手ができなかったカードを渡すようにします。(ここがポイントです)

4、入れ替える
勝った人は一つ前の組へ、負けた人は一つ後ろの組へ、組み合わせをチェンジします。
(下克上方式)

5、2から繰り返し
何回もやっていくうちに、強い相手と戦うようになっていきます。

※ちなみに、授業でやったときは最後に列ごとのチャンピオンで早押し対決をしました。
「早押しクイズ」はiPadのアプリにあります。
生徒にも大好評でした。

「車輪の再発明」を通して教師は熟達する

今日知った言葉「車輪の再発明」
【車輪の再発明(しゃりんのさいはつめい、英: reinventing the wheel)】
車輪を題材にした慣用句であり、世界中で使われている。「広く受け入れられ確立されている技術や解決法を知らずに(または意図的に無視して)、同様のものを再び一から作ること」を意味する。

「教師あるある」で、自分が見いだした新たな方法とか開発したと思い込んでいた方法を、よくよく調べてみると、以前自分が読んだ本だったり先行実践ですでにやられていることがわかってがっかりすることがよくある。
しかし、見方を変えれば、教師は「車輪の再発明」を繰り返していくことで、熟達していくともいえなくはないのでは?とも思うのだ。
すでに開発されている方法を、我がものとするために組み替えていくことで、一歩ずつ成長していくものなのではないか。
教育方法にも「個体発生は系統発生を繰り返す」プロセスが、ある程度は当てはまるのではないかという思いを最近感じている。
教育方法は、ノウハウやスキルの上澄みだけ取り入れても、あまりうまくいかないことがある、
やはり、目の前の現場で、実態に応じ、自分の体を通して組み替えていく、「車輪を再発明」していくような迂遠なプロセスが求められるのだろう。
多くの先人が言っている「同じことは二度実践しない」とか「人のまねはしない」、「技術だけを学んでも無意味」などという実感は、すべてこれにつながっているのではないか。
昔、なぜ「定石発問」があるのに「見開きで百の発問」を勧めるのが、矛盾していると思っていた。
しかし、今にして思うと、それは「車輪の再発明」をする行為なのだと思い至った。
教師にとっての「車輪の再発明」の意義を考えてみたい。