2013/01/31

メモ 情報機器の活用で国語教育は何を目指すか


現在、情報機器を使った授業改善に取り組みはじめている。

教室にあるテレビに、アップルTV経由でさまざまなものを映し出している。
生徒のノートをその場で映し出す。
参考になる写真を映し出す。
ビンゴアプリで抽選をする。
などなど。

単純に、やってみて楽しいということもある。
しかし、ただ単に楽しいということだけでは、機械に振り回されて終わりということになってしまう。
しっかりと目的を見定めることが重要だ。
まだ、自分自身使いこなしているとは言い難い段階だが、情報機器を活用した授業には大きな可能性があると直感的に感じている。

情報化時代の国語教育では、なにを、どのように変えていくことができるのか?

情報機器を活用することで、次のような時間を生み出すことができるだろう。
(そうなるようにしむけるべきだろう)

情報機器を活用することで、
A、情報を浴びるように入力する時間が生まれ、、
B、沈思黙考、じっくりと立ち止まって考える時間のゆとりを生みだし、、
C、考えたことを効果的にかつ大量に表現することができるようになること。


A、情報を浴びるように入力する時間
文章、写真、動画、他の生徒のノート、発言、参考になるサイトなどなど。
多種多様な情報を、大量に、生徒に与えることが可能になる。
情報の多様さ、即時性が段違いであるが、その質はよく教師が精査する必要があるだろう。

B、沈思黙考、じっくりと立ち止まって考える時間のゆとりを生みだす。
情報機器の活用により、能率的、効果的に授業を進行させることで、じっくりと考える時間のゆとりを生み出せるようにしていきたい。
機械に振り回されるのではなく、機械を使いこなす。
機械が生み出すゆとりにとって、より「人間にしかできないこと」の時間を確保していきたい。

C、考えたことを効果的にかつ大量に表現することができる
ワープロなどで、テキストを素早く、見栄え良く書き出す。
データやコメントの共有によって交流を促す。
マルチメディアのリテラシーを高める。


デメリット、及び留意点
1、情報の「フォアグラ」状態にしない
教師による情報の一方的な注入でなく、生徒が主体的、目的的、自覚的に情報を選択する配慮を忘れないようにする。情報の消化不良を防ぐ。
目的や意図に応じて情報を収集し活用していくことが本来的な目的である。

2、情報機器は常に発展途上であること
情報機器は日進月歩、常に発展途上である。
現在の情報機器の活用能力の育成に追われてはいけない。
その本質にある情報活用能力をこそ鍛えるべきであろう。
たんなるワープロの使い方レベルの学習に留まってはならない。
ワープロで「書く生活」の何が変わるのか、ワープロ活用の意義や活用法をこそ、学ぶ必要があるだろう。
「使い方」から、「活かし方」へ、「活かす意義」の理解へ





2013/01/30

竹取物語 第6の貴公子を創作する

竹取物語から発展して創作の言語活動を行っています。
5人の貴公子に続く第6の貴公子を考えます。
貴公子が難題に取り組む様子を描く物語を創作していく学習。
(詳しい指導案は以前の投稿から探してください)

貴公子の登場人物例をいくつか提示しました。
酒作りの皇子
子持ちの皇子
左大臣明之明星
中納言小倉大福
うーん、センスがいまいち。

子どもたちはこれに触発されていろいろなアイディアを出しました。
流離(さすらい)の皇子
三日月の皇子
悪知恵の皇子
など。

それと、かぐや姫が貴公子に出す難題も例を出しました。
A じょうはりの鏡
B くさなぎの剣
C 打ち出の小槌
D 天の羽衣
E 魔法のランプ

これも、いろいろなアイディアが飛び出しました
狸が化けるときに頭に載せている葉っぱ
どこでもドア
世界一の美女
火の鳥の生き血
恐竜の卵
など。

ここから構想を立てて、創作文を書いていきます。
どんな作品が生まれるか、楽しみです。






2013/01/29

メモ 評価のいろいろ(未整理)




「評価」という言葉はとても幅広い概念だ。
「評価」という言葉は、聞き手によって、さまざまな意味に受け止められる。
「評価」について考える際に、「評価」が示す言葉の意味を腑分けする必要があるのではないか。

「評価」のいろいろ
主として授業時間前に行われる評価
A「診断」としての評価
……いわゆるレディネス(学習の準備状況)を把握するための評価。
生徒の関心や問題意識、授業で必要とされる知識や技能を把握しておく。
それを授業づくりに活かしていくことが目的。

主として授業時間内に行われる評価
B「アセスメント」としての評価
………学習の進捗状況を教師がリアルタイムでキャッチする。
的確に学習状況を知り、教師がそれを学習活動に反映させていくことが目的。

C「フィードバック」としての評価
……学習の適否を生徒に伝える。丸を付けたり、レベルを示したり。
学習の達成度を学習者自身が知って、学習を促進させることが目的。

主として授業時間後に行う評価
D 総括的な評価……授業終了後、どの程度の学力が付いたかを診断する→次の授業に活かす
E「評定」としての評価……いわゆる成績評価。通知表などに評価を下すこと。

全部で5つ。
もうすこし評価の機能を調べれば出てくるだろう。

私の100年の人生から学んだ生き方


日野原重明先生が来校。講義を拝聴しました。

「私の100年の人生から学んだ生き方」と題し、日野原先生の100年の人生をふりかえる内容のご講義だった。
若い頃に腎炎や結核などの大病を患った経験
人生のモデル、ウィリアム・オスラーとの出会い
よど号ハイジャック事件が自分に与えた影響など、日野原先生のライフヒストリーをうかがうことができた。

以下、メモから

大病の経験から学んだこと
……苦難のあとには恩寵(grace)として感謝されるときがくる。



ある人との出会いによってこそ、新しい運命が始まる
1)先人の著作との出会い
2)師や先輩、同僚、友人などとの出会い
3)患者さんとの出会い


邂逅(エンカウンター)と受容体(レセプター)
どんなに良い出会いがあっても、それを受け止めるレセプターがないとキャッチできない。
そのレセプターの感度を良くするためには「教養」が必須。
「教養」を養うためには多方面の本を読むこと。
大学時代は、大学の授業で学ぶことよりも、むしろいろいろな本を読んで教養を養うだけの時間を持つことが大切。


ナースに必要なものは「感性」(ナイチンゲール)
人の悲しみや喜び、痛みを知ることが決定的に重要な資質だ。
その悲しみや痛みを感じるためには文学を読む必要がある。


ターミナルケアの一番大切なことは”Be with the patient.”
患者と共にあること。一緒に死ぬような気持ちで立ち会うこと。
患者と一緒に苦しむこと。

よど号事件では山村代議士に身代わりになってもらって解放された。
無事に金浦空港に降り立ったとき、足の裏からくる霊感を感じた。
「私に与えられたこれからの人生を誰かのために捧げよう」と。

「成人病」という名称を「生活習慣病」と替えるまでに30年かかった。

何かを変えようと思えば20年、30年かかるものだ。


88歳の時「新老人の会」を設立。
3つのスローガン
 1、愛し愛されること
 2、創(はじ)めること
 3、耐えること
 「生きがいの3原則」フランクル

一つの信念
 子どもたちに平和と愛の大切さを伝えること
……毎週のように小学校で授業を行っている。


人間というものは、自分の運命は自分で作っていけるものだということをなかなか悟らないものである。(ベルグソン)

自分の運命は、私がデザインして作ろう。

自分では実現できないことも、次の代の人がそれを受け継ぎ、実現してくれるかもしれない。

日野原先生はこのところ毎年うちの大学に来て、年に一度だけ講義をしてくださっている。
「また来年お会いしましょう」
かくしゃくと手を振って教室を出られた。



2013/01/28

「子どもも教師も前向きになる評価のあり方」の課題


評価なきところ印象はびこる~評価についての一考察~

評価について最近考えたことをまとめる。

1、評価について考えたくない??心理について
評価の研究は、何となく「後ろ向き」のイメージがある。
評価の研究をするくらいなら、もっと面白い教材を開発している方がよい。
評価をすればするほど実践がやせ細る。
実際に耳にしたことがある評価についての批判である。
これほど重要だと皆が認めておきながら無関心な領域もない。

そのほか、評価について考えたくなくなるような、次のようなつぶやきもある。
評価の資料を集めるのが煩雑だ。
どのように、何を評価したらいいのかわからない。
果たして自分に評価ができるのか?
公正公平な、客観的な評価はできるのか?
5年後、10年後力が付いたかどうかを、現在評価できるのか?
評価するということは、子どもの可能性を限定してしまわないか?

2、評価についての考えたいこと
評価について、現場レベルで取り組むべき喫緊の課題は、
「子どもも教師も前向きになる評価のあり方」だろう。
どんな評価法が子供を伸ばすか、
どんな評価法だったら負担感なく、なおかつ妥当な評価ができるか?
どんな評価法だったら教師の授業改善のモチベーションがあがるか?
評価の負のイメージをポジティブな営みとしてとらえ直すとしたらどのような発想が必要か?

3、研究者の視点
という発言をあるところでしたら、大学の研究者として活躍しておられる、無藤先生、黒上先生から以下のようなコメントをいただいた。

無藤先生(白梅学園大)
「教師は、相手が,5分先か、1年先かはともかく、なってほしい状態をかなり具体的に思い描き、それに向けての働きかけをする。
それは通常の人間関係とやや異なるもので、そこに評価と指導という二つの教師の専門的働きがセットになるゆえんがあるのでしょうね。」

黒上先生(関西大)
「根源的な話をすると…人と接するとき,必ず相手を評価しています。
評価を否定する人も,必ず自動的に子どもを評価しています。
でなければ指導なんてできません。
そういう評価の良いところを活かして,主観的に過ぎて歪んでいる部分を剪定するような評価の仕方が大事なのだと思っています。
そして,それが,指導という目的的な活動に沿うようにするための工夫も必要なのだと思っています。
評価を否定する気持もわかりますが,その人(あるいはかなり多くの普通の人々)の評価のイメージが問題なのでしょうね。
あまりに負のイメージがつきまとうなら,言葉を変えるという手もあるかも知れませんね(私は嫌ですが)。」

4、評価をどうとらえ、どう実践していけばよいか、その3つの視点
視点1 質的評価と量的評価の特質を理解し、使いこなすことが重要。
教育評価の本質は「質的」なものであること。
「量的」な評価が客観的で正しいという思い込みを捨てる。
すべての評価は、「相対的」に、正しかったり客観性があるに過ぎない。
重要なのは、「信憑性」があるかどうかである。
評価は、他ならぬ人間が、人間を評価するわけだから、もやもやしていいんだ。
もやもやしているものなんだ。
質的研究の考え方による評価はそういう、もやもやを自覚する営みでもある。
そのもやもやを、どう束ね、相手に了解できる形で表現するか。信憑性をもたせるか。
そこに評価の大きな課題がある。

視点2 教師が見ようと思うものしか見えない。
何かを見ると言うことは、何かを見ないと言うことでもあること。
ルビンの壺
ルビンの壺のように、何かを見るということは、何かを見ないということでもある。
何かを見ない(評価しない)という断念がないと、何かを見よう(評価しよう)ということはできない。
教師のしている行為(教育活動)は何を意図しているのか?
教師のしている行為(教育活動)によって子どもがどんな姿になって欲しいのか?
それをどのような観点や方法で見取るのか?質的か?量的か?
その結果、何が見えて、何はわからないのか、何を断念したか。評価の範囲や限界を自覚することが必要だ。









これは何に見える? 何に見えない?
















視点3 子どもの理想像をイメージできることが必要であること。
それは評価者(教師)の力量に大きく依拠するということ。
教師の意図や、理想像というフィルターがあって、はじめて評価という行為が成立する。
教師の意図がないぼんやりとした活動であれば、子どもの何を見たらよいかはわからない。
教師が理想を描き、それを目の前の生徒に当てはめたり、イメージすることなければ、それは評価ではなく感想であり、印象批評にすぎない。
その意図や理想をどこにおくか、理想像をどのような姿にイメージするかが教師の評価の力量の一つだろう。
結局は、自分(教師)の身の丈にあった評価しかできない。生徒を評価することは自分自身のちっぽけな教育観をふりかえることでもある。だからこそ、教育(授業)の大きな可能性を信じ、イメージし続けること、試行錯誤を繰り返すことで、自分のちっぽけな教育観(評価観)を更新していかなければいけない。

5、「子どもも教師も前向きになる評価のあり方」の課題
課題1 評価のさまざまな方法とその特徴を理解する。
質的・量的評価のさまざまな方法を、現場の先生が理解し、それを使いこなせるようにする。
とくに、質的研究のさまざまな手法を知ることで、現場レベルでの評価法は大きく前進することができるだろう。

課題2 子どもの見方を学ぶ
子どもの学ぶ姿や成長をどうやって見ればよいか、その見方、マインドを体得する。
熟達した教師がどのように子どもを見ているかを学び、知見を活用できるようにする。

課題3 子どもへのフィードバックの方法を学ぶ
どのように子どもへ評価結果を返していく(フィードバック)のが効果的か、その方法を開発していく。
教師の声かけや通知表の所見などの方法も含め、コーチングやファシリテーションなどのさまざまな技術や知見を活用することができるだろう。

課題4 手間のかからない、効率的な評価方法を開発する
簡便で、誰でも手軽に取り組める評価方法を開発する。
ノートチェックの方法、ポートフォリオの活かし方、自己評価と連動させた評価、パフォーマンス評価などのさまざまな評価法の日常的な実践例の掘り起こし。そのノウハウを共有する。

「授業時間内」に評価をする工夫を開発したい。
「指導と評価の一体化」というのなら、授業時間内に評価をするのは当たり前のことだ。
(もちろん、ほめたりなどの声かけは日常的に行っている。
それらの評価をいかに意識的、意図的に行うか)
評価は授業後にやったり、家に持ち帰ったりしなければできないようなものではないはずだ。
ある程度は仕方がないにせよ。
観点を絞り、評価手法を吟味し、授業時間内でフィードバックを返す。
全員なくても、一部の観点でも、授業時間内でできる範囲の評価を積み上げていく。
「授業時間内で」っていうのがポイント。
なんとか突破口はあるはずだと思う。







2013/01/27

クラシック音楽の楽しみ~私の場合~

クラシック音楽が好きだ。
きっかけは、親戚のおじさん。
そのおじさんは無類のクラシックマニアで膨大なコレクションがあった。
それで、中学時代以降、よくCDを借りにいっていた。(そのころはCDもまだ出たてで、3000円以上するとても高価な代物だった)

私はピアノなんか弾けないし、当然、楽譜も読めない。
家族で誰一人クラシックなんて聴く人もいない。
けれども、そのおじさんの影響で、私一人だけ、クラシックが生活の一部になっていた。

私の音楽の嗜好はかなりの偏食だと自覚している。

クラシックと言っても、そのなかでいろいろなジャンルに細分化される。
交響曲
協奏曲
室内楽
器楽曲
声楽曲
オペラ
宗教音楽
現代音楽・音楽史
などなど。

しかし、あらゆるジャンルの作品をまんべんなく聞くわけではない。
幅広く聞きたいとは思うけど、なかなか触手が伸びない。
むしろ、同じ作品を、いろんな指揮者で演奏しているのを聞き比べるのが好きだったりする。
一番CDを持っているのがベートーヴェンの第9。これなんて、何枚CDを持っていることか。
……こういうタイプのクラシック好きは多いのだろうか?

好きな作品は何度聞いても聞き飽きない。一日中聴いていてもいいくらいだ。
まさにヘビーローテーション。
クラシック音楽のいいところは時代が立ってもちっとも古びないところだ。
だから、中学時代に聴いた演奏を今聴いても、ちっとも古くささを感じをしない。
いつ聴いても、その時々に新たな感動が得られるのだ。
合唱は聴くのも歌うのも好きだ。ちょこっとだけ合唱に関わったことがある。
(歌ったのは、第九、モーツァルトとフォーレのレクイエム)
マタイ受難曲かカルミナ・ブラーナを将来いつか歌ってみたいと思っている。

そんな、私にとってのヘビーローテーションの作品とは、例えば次のような作品だ。


作曲家「作品名」(指揮者など)

合唱曲
オルフ「カルミナ・ブラーナ」(ヨッフム、ケーゲル)
モーツァルト「レクイエム」(トン・コープマン)
ベートーヴェン「ミサ・ソレムニス」(クレンペラー)

宗教曲
バッハ マタイ受難曲(ショルティ)

交響曲
ベートーヴェン 交響曲第9番(クレンペラー)
マーラー 交響曲「大地の歌」(クレンペラー)

室内楽
ヴィバルディ「四季」(ビオンティ)

ピアノ曲(ピアノ以外でも演奏されることが多い曲もある)
ドビュッシー「月の光」
ラヴェル「亡き王女のためのパヴァーヌ」
バッハ「主よ、人の望みの喜びよ」
バッハ「ゴールドベルク変奏曲」

オペラ
モーツァルト「魔笛」

もし少しでも興味を持たれたら、YOUTUBEなどで聴いてみて欲しい。

メモ:ワープロによる文章作成の授業アイディア

池田修先生が以前、次のような問題提起をしていた。
大人になったらワープロで文章を書くのが当たり前なのに、それをどこも指導していない。と。

確かに、作文教育でワープロを活用した学習なんてあまり聞いたことがない。
高校の情報科の先生にも聞いてみたら、ゼロから文章を書くというよりは、通知文のリライトするような学習はあるにはあるという。

そこで、もし中学校でワープロを使った作文の学習をするとしたら、という仮定でどんなことができそうか考えてみた。
この発想を膨らませてそのうち授業するかもしれない。

レベル1 ワープロ視写
いわゆるタイピングの学習。すばやく正確にタイピングする技術を習得する。

レベル2 ワープロ聴写
耳で聞いた言葉をその場でワープロで打つ。レベル1よりはすこしハードルが上がる。

レベル3 講演を聴きながら、ワープロで要点をメモする。
講演(スピーチでもよし)ある程度の中身とボリュームのある話を聞きながら、要点をメモする。要約能力が要求される。

レベル4 ワープロ構造化
簡単な説明文を読み、そのキーセンテンスを構造化してワープロに打ち込み、他の人に説明する。
(アウトラインプロセッサで分解していく)

そのほか、次のようなエクササイズを適宜取り入れる。
・ワープロブレインストーミング
あるテーマに沿って思いついたことを次々と箇条書きにして書き出す。
書き出したあとで、分類したり構造化する。

・アウトラインプロセッサを使った文章作成
・ワープロの編集機能をつかってリライト作文。「縮約」

・ワープロ板書
いろいろな人の発言を聴きながら「板書」のようにワープロ上にメモしていく。

・ツイッター要約記録
講演を聴きながら、ツイッターサイズの単文で要約メモを取る。他の人とできばえを比較する。

こういう授業、どっかでやられていないんだろうか??


2013/01/25

失敗が許される校内研究~やってみたい校内研究~


校内研究あれこれ

校内研究のパターン
1、学習形態(学び方)の開発
 ……例)協同学習・探求型学習

2、学習内容(学ぶ内容)の開発
 ……例)21世紀型スキル・メディアリテラシー

3、能力に着目した授業の組み直し
 ……例)思考力・判断力……を育てる生徒の育成

4,姿勢・態度に着目した研究
 ……例)学び続ける子ども 意欲的に……

校内研究の裏パターン
1,目新しい用語をくっつけただけの見せかけ研究(無藤先生の言う「ふりかけ」研究)
 ……一見かっこよく、人目を引く。
が、授業改善にはほとんど繋がらず、研究主任の見栄だけが先行する結果に。

2、新しい考え方にキャッチアップしようとする研究
 ……自分たちの身の丈に合っていないことも。
どこかに無理があったり背伸びをしたりする結果に。
新しいことを必死に吸収するため職員が疲弊する。
あっという間に時代遅れに。

3、いままでやってきたことを理論的にわく付けしている研究
 ……誠実に積み重ねていけば、研究として見るべきものになる。
 が、他との差異化や新規性を求めるのは難しい。

やってみたい校内研究
1,ボトムアップ式の研修型校内研究
一人一人の教員のニーズに沿った研究。
それぞれの教員が一番研究したいことをやる。
それを他の教員がサポートし合う。成果を共有する。

2、失敗がゆるされる(むしろ推奨される)研究
失敗体験を大事にし、失敗体験を丁寧に学ぶ研究。
失敗と誠実に向き合うことで、身の丈にあった成長が望まれる。

2013/01/20

他の人の実践を参考にするとはどういうことか

他の人の実践を参考にするとはどういうことか
これにはいくつかのレベルがあると思う。

1,テクニックをまねる(授業技術レベル)
授業の中でのちょっとした工夫などを、そのまままねする。
ノートの取り方、指名の仕方、板書の方法など。
メリット:自分の実践のバリエーションが増え、一時的な効果も期待できる。
デメリット:自分のスタイルに合わなかったり、しっくりいかず長続きしないこともある。

2、授業構想を自分の実践にアレンジする。組み合わせる。(授業構想レベル)
例えば、小学校で行われた説明文の単元を、自分が教える中学校の教材で同じようなパターンで取り入れてみる。他の教科や分野で使われている方法を、自分の領域に応用する。
いくつかの要素を組み合わせて、ひとつの実践として構成する。
メリット:一つ一つの理論的な裏付けがある場合は、自信を持って授業プランを立てることができる。
デメリット:統一感を持った学習活動を組織するのが難しく、ちぐはぐしてしまうことも。

3、○○先生だったらどうするか?という発想を持つ。(教育観レベル)
自分の実践を、他の先生の発想を観点にして振り返る「○○先生軸」をもつ。
例えば、大村はま軸、齋藤孝軸など。
大村はまだったらどう言うか、齋藤孝だったらどう評価するか。
自分の直面する課題に当てはめて、シミュレーションをする。
メリット:判断や発想をするときのよりどころになる。
デメリット:知らないうちにその価値観に縛られてしまう。その価値観から逃れられなくなる。

いすれにせよ、教師の実践は、自分の身体性(スタイル、くせ、世界や他者との関わり方)と切り離すことができないものだ。
教育観と結びつかない技術はしっくりこない。結局身につかない。
いくら立派な教育観を持っていても、それを具現化する技術や知識を身につけなければ、実践を向上させていくことはできない。
他の人の教育技術、教育観を 知る → わかる → できるようになる、この三者の間には、計り知れない断裂がある。
その断裂を乗り越えるのは、日常のささやかな実践とふりかえりの積み重ねにしかない。

2013/01/18

20年後の国語教育

昨日は今年度最後の修論指導だった。

この修論指導(課題研究という名称)は、複数の先生方や院生を前に自分の研究を発表する機会である。年3回、このような形式の発表を行った。
それ以外の週は研究室で指導教官を中心にご指導いただく。

私が所属する研究室は「授業実践開発研究室」。
そして修論指導をする専攻が「カリキュラム開発」(旧)となっている。
(旧)と付いているのは理由がある。
現在は「カリキュラム開発」は解体されてしまっている。
しかし、研究指導では「カリキュラム開発専攻」の先生方が指導をしてくださっている。
所属する組織は変われど、「カリキュラム開発」の志を持った先生と学生たちが集って修論を磨き合っているのだ。(おそらく、このような形での修論指導はかなり異例のことなのだと思う)
私自身も「教科教育科学専攻」よりも「カリキュラム開発専攻」のほうに魅力を感じる。

昨日の修論指導ではぼろぼろだったが……そのあとの反省会(と称する飲み会)はとても盛り上がった。

先生「○○さん、20年後も教師やってるんでしょ、
だったら、20年後の国語教育はどうなってるか考えなきゃいけないと思うんですよ」

……20年後、教育は、そして社会は、どれだけ変わっているだろうか。

「手書きの文章?原稿用紙?もうそんなの無くなってるかもしれない。」
「キーボードもなくなって音声認識になってるんじゃないですか?」
「でもみんなが音声認識したら教室がうるさそう!」
「音声認識で書いた文章は、書き言葉?それとも話し言葉?」
「もっと違った形の入力形式になるかもしれないね」
反省会では、20年後の国語教育についておれやこれや大いに話し合った。

20年後の教育を考えるとき、20年前の状況と比較してみるとわかるかもしれない。
現在が2013年、20年前が1993年。
そのときは携帯もなかったし、パソコンも普及していなかったし……、
ワープロは、親が知り合いからもらってきて、それを高校時代の私はひたすらいじっていた。

20年前と聞いて思いだした。高校時代の恩師の存在だ。
私の恩師、東大卒のT先生はとてもユニークな先生だった。
国語の授業でも実験的な取り組みをたくさんしていた。
「ディベート」とか「反論」という言葉を初めて聞いたのもT先生の授業だった。
高校時代に書いた「卒業論文」の学習はいまでも私の記憶に残っている。
「こころ」や「羅生門」の学習もT先生の面影とともに思い出す。

高校時代に受けた「ディベート」の学習は、その当時見たことも聞いたこともない「国語」の学習だった。もちろん教科書なんかには載っていない。
しかし、20年後のいまでは「ディベート」は国語の教科書に載っている。
全国の教室で当たり前のように実践されている。その高い教育効果も認知されてきている。
T先生は20年、30年先を見越して授業をしてくださっていたんだなあと、感慨を新たにする。
そしてその当時、T先生の元で、せっせと学級通信をワープロで打って編集&出版していた変人がこの私である。

そしてどういう縁か、その高校時代の恩師、T先生の後輩のF先生に、大学では指導教官としてご指導を仰いでいる。
さらには、私の研究内容は「編集」。
結局まわりまわって、自分の原点に戻っていくのだなあと感じている。

さて、修論。
20年後の国語教育について考えていきますか。

2013/01/01

ニンゲンは犬に食われるほど自由か? ~インド文化私観~

12月31日までインドに旅行してきた。
学生時代に1ヶ月一人旅をしたときから、じつに14年ぶりの再訪となる。(今度は妻も同伴)
忘れないうちに、起きたこと、感じたことを書き留めておこうと思う。
インドに行ってみたいと思っている人にとって、多少は参考になる?かもしれない。
観光地などのことは「地球の歩き方」などのサイトでも十分情報が得られるだろうから、それ以外の、インドのいくつかを。
インドの硬貨、いいねボタンみたい。文盲対策?

◆旅行のスタイル
今回の旅行は夫婦二人+インド人のガイドさん(それにドライバーや現地のガイドが時々付く)スタイルでのツアーだった。(旅行会社はパラダイス・ツアーズというインド旅行専門の旅行業者)
学生時代に行ったときは、貧乏旅行のバックパッカーでうろつき回っていたんだけれども、今回は短い時間で色々なところを回るために、ガイドが同行するスタイルを選択することにした。
インド人のガイドが同行することの最大のメリットは、インド人の生活や文化について、あれこれ質問ができること。今回の旅行でも、いろいろなお国事情を知ることができて大変興味深かった。
(ちなみに、私たち夫婦についてもらったガイドさんは、インド人らしからぬ??とーってもきめ細やかに対応してくれる超優秀なガイドさんだったので、もしインド旅行を検討している人がいたらこのガイドさんを紹介します。連絡ください)

◆いやな目に遭う→やりとりを楽しむ、へ。
最初に言っておく。
基本的に、インドに行くとお金関係でいやな目に遭う。
たとえば、
おつりを100ルピー(200円)ちょろまかす。
チケット売り場でおつりがないと言われ、怒ると渋々ポケットから出す。
一方的にガイドをし始め、終わったら寄付を要求する。
はい握手~と手を握ってきて、いきなりそのままマッサージを始めるおやじ。
見るからに怪しげな乞食修行僧(サドゥー)
などなど。
とにかくしたたかで、がめついのがインド商人だ。
インドは物価はとても安いが、それにつけ込んで、観光客には金額を大胆にふっかけてくる。
だが、適正金額は、インド人の目線に近づいてくると、なんとなくわかるようになってくる。
ときには日本の100円が、インドでは500円にも、1000円の価値にも感じられることがある。

工事現場の傍らで大道芸。道行く人が10ルピー(20円)投げていく
ヴァラナシではとても日本語を上手に操って話しかけてくる若者がいる。
ガイドよりもずっとうまくて話題が豊富だったりする。よく話を聞いていると、そのうちお土産屋やシルク屋の話題に変わって……と、つまりは客寄せだったわけで、最初のうちは、そういう、なれなれしく話しかける若者をうっとおしいと思って無視していた。
しかし、話しかけてくるインド人と積極的に会話するように心がけることにしたら、とても旅行が楽しくなることに気がついた。
インド人にとっても、日本人から無視されたり冷たくされるのは(たとえ商売でも)うれしくはないだろう。たとえ売り上げが上がらなくても、楽しい会話をひとときできれば、インド人の若者もいやな顔をせずに引きさがってくれる。おまけに最近のギャグを教えてあげれば彼らも大喜びだ。
インド旅行では、たしかにインド人商人とのやりとりに辟易することはあるが、そのインド人商人のしたたかさを学ぶというつもりで、彼らとのやりとりを楽しめるだけの心の余裕が必要だ。
何日かインドに滞在してインド人商人から鍛えてもらえば、誰でもインド人と対等にやり合えるだけのコミュニケーション能力を身につけることができるかも!?しれない。

◆インドの乗り物は楽しいが……
インドの道路はじつに賑やかだ。
14年前と比べて大きく変わったのが自動車の多さ。TATAの30万自動車も走っているが、結構スズキとトヨタ車が多い。
それにサイクルリキシャー(自転車)、トゥクトゥク(バイクタクシー)、馬車や牛車、トラックの荷台に満載の人を載せている姿も見られる。
その道路に、放し飼いにしている牛が悠然と歩いている。
「譲り合い」の精神は全くなし。反対車線だろうと車1台分のスペースがあれば猛然と突っ込んでいく。あちこちからクラクションが絶叫する。まさに、インドのカオスを象徴する光景だ。
ムンバイではついに私たちが乗っている車も追突事故にあい、警察のお世話になるはめになってしまった……。
トゥクトゥクの車内。涼しい風が入ってくる。

インドは鉄道大国でもある。たいていのところへは夜行列車で行くことができる。
ダージリンの高原列車や、ムンバイの駅舎は世界遺産にもなっている。

しかし、時間通りにはまず運行しない。
これは私も覚悟していた。以前行ったときも、電車が遅れたことがあったからだ。
今回は特にそれがひどかった。冬の北インドは濃霧に包まれる。そのため電車も遅れることが多いのだという。
3段寝台の車内。一番上から撮っています。腰を伸ばせない。
それで、2回電車に乗ったが、どちらも14時間くらい出発が遅れるという、とんでもないことになってしまった。4時間ではない。14時間。半日以上。(アグラ~ヴァラナシ、ヴァラナシ~ブサハル)
幸いにしてヴァラナシとブサハルでは、はじめから1日ずつフリータイムの延泊を追加していたのでツアー内容に変更はなかったが、もし旅行会社の提示した日程のままだったら2日間とも観光はできなくなってしまっていた。待ち時間は車の中やホテルでひたすら待機をすることになった。
そして2回目に乗った電車の中では(あとで話すけど)お腹を壊して、ひたすらうなされて横になっているという地獄のような一日を送ることになってしまった……。

冬のインドはとくに電車が遅れる。これは盲点だった。
短期間でインドを効率よく回ろうなんて発想は捨てた方がよい。
もし遅れた場合は……すべてを受け入れる。これがインド旅行の鉄則だ。


◆シバ神の怒りに触れる。
インドと言えばカレー。
もう少し正確に言うと、インドではカレーしかない。
豆カレー
チキンカレー
マトンカレー
チーズカレー
ほうれん草カレー
カレー味の焼き鳥
カレー味の紅茶(あ、チャイのことです)、などなど。
(本当はそれぞれに色々な名前が付いているのだけれども覚えていない)

日本料理のほとんどが醤油と味噌でできているように、インド料理の味付けはほとんどスパイスで作られている。……もちろん日本で食べるカレーは似て非なるものだ。
マトンカレーに、野菜カレーに、チーズカレーに……
体調がよろしいときには、これらのカレーもとてもおいしく食べられた。
が、旅行も後半に入り、ついに、シバ神の怒りに触れたか、お腹が激しく痛み出し……その後、一切カレー味のものに拒絶反応を示してしまった。
そうなるときつい。
仕方なく西洋料理のレストランを探してもらうことになった。さすがにないわけではないが、インドでは基本的にインド料理以外はほとんど食べることはないそうだ。中華料理さえほとんどない。(あるのはチョーメンというやきそばくらい)
和食、中華、イタリアンなどなど、さまざまな国の料理を日常的に食べている日本という国はやはり特別なのだなと実感をする。
インドに旅行する際には、丈夫な胃袋がないと、必ず旅行先で苦しむことになる。
これは心しておいた方がよい。
(ちなみにインド人ガイドさんもお腹壊してたけどね……)


◆インドに差別問題はあるのか?
インドでやはり気になるのがカースト制度である。実際はどうなのだろう。
インド人ガイドさんとの話の中でもっとも興味深かったのは、このカースト制度の問題である。
インド人は他の人のカーストがわかるか?
すぐにわかるそうだ。
なぜなら、名前の中にカースト情報が示されているから。
名前は3つのパーツで示されている。名前+カースト名+地域名
カーストは、ざっくりというと「士農工商」のように職業の分類を示している。
宗教家のカースト、
肉屋のカースト、
大道芸人のカースト、
洗濯屋のカーストなどなど、それが数千にも渡って細分化されているという。
ちなみに、ガイドさんのカーストはもともとラジャスターン州の王族のものらしい。
このカーストの人は旅行ガイドをすることができる。(旅行ガイドができるカーストも一つではなく、いくつかの名前の人がなることができる)
このように、カーストによって職業選択の自由が著しく制限されるという問題がある。
もちろん、インドの憲法では差別は禁じられているので、公務員や外資系、ITなどの新興産業ではカーストは関係ないという。その辺にIT産業の隆盛や海外でのインド人の活躍の要因があるのだろうか。

カースト制度を、日本の「商店街」に見たててみるとなんとなくわかってくる。
日本の昔の商店街には、八百屋があり、魚屋があり、米屋があり、乾物屋があり、洋服屋があり……といろいろな職業の店が軒を連ねていた。
で、そのなかに、つぶれそうな金物屋があっても、なくなったらみんなが困るので、なんとか細々と店を続かせようとする。住人たちもも、お互いの店を利用し、助け合って生活を送っていた。
インドのカーストの起源も、そもそもはこれと似たようなものだったのではないだろうか。
カーストで指定されている職業は、農業以外の商工業が中心である。(農業はどのカーストに属しても従事できる)
村の生活を存続させるために、農業以外の職業を分担して。家ごとに続けさせようとしたのだろう。
日本でも、古い部落に行くと、名字の他に「屋号」というものが付けられていることがある。
私がかつて勤めていた地区でも、「油屋」「鍵屋」などの屋号をもっている家がたくさんあった。
インドで名前に職業名が付け加えらるのも、ひょっとしたら「屋号」のようなものに近いのかもしれない。
ただし、日本と違ってヒンズーのカーストでは、この縛りが細分化され、かつ厳しく制限されているところだ。
そしてカーストの区別が、「穢れ」の意識が加わり差別につながっているところが大きく問題となるところだろう。

このようなカースト制度は、ヒンズー教の根幹をなすシステムである。
ヒンズー教の大きな特徴は、職業や日常生活までに細かな慣習を規定しているところにある。
そのため、インドでカースト制度を否定した仏教が起こっても、仏教が日常生活の慣習まで規定しようとはしなかったために十分に民衆に浸透していかず、結局ヒンズーに押し切られて現代に至っている。
それでは、仏教やイスラム教などに改宗したらカーストはなくなるのか?
イスラム教や仏教に改宗しても、ヒンズー教の定める、「イスラム教徒カースト」に自動的に移動するだけなので、改宗してカーストを否定しようがインドでの差別は続くことになる。

カーストの主なルールとして、ほかには結婚問題もある。
基本的にほかのカーストの人とは結婚をしない。
女の人が、高いカーストの男性の家に嫁入りして「レベルアップ」することは可能だけれども、その逆はあり得ないという。
だから、インド人はほとんどがお見合い結婚。
その相手も、現代ではインターネットを駆使して、親が必死になって、自分のカーストに見合った相手を探すのだという。
ガイドさんの長女が結婚したときは、結婚資金が700万もかかったという。相手の男性の家に一生食わせてもらえるように盛大に寄進をするのだという。
かつては夫が死ぬと妻もその火葬の炎で焼かれて自殺させられるという「寡婦焚死」というおぞましい風習まであったという。
カースト制度は男性中心の家制度でもある。
おりしも、私がデリーを訪れていたとき、インド人女性が強姦殺人をされた事件が発生していた。
その抗議のために、デリーはもとよりインド全土で学生らのデモが行われていた。
強姦殺人への抗議でもあり、その根底には女性の地位向上への若者達の要求の声でもある。
デリーでのはげしいデモでは、警官の侮辱に耐えられなくなった女性が抗議の自殺をするという、さらに痛ましいできごとを引き起こしていた。

で、カースト制度のメリットってなんですか?
単刀直入にガイドに聞いてみた。
ガイドさんは虚を突かれたという顔をして、
「え、いやあ、うーん、いいこともあるよ」
(ちょっと考えて)「同じカースト同士でトモダチもできるし……」
と、それ以上のことは出てこない。お互い言葉の壁もあり、十分には聞き出せなかった。
けれども、彼は、カースト制度が、それほど問題とは感じていないと言うことだけは、理解することができた。
日本の自分からしてみれば異常な人権侵害としか見えないこれらの慣習であるが、インド人にとってはヒンズー教の論理のもと、社会的な慣習として、常識ともなっている様子が伺うことができた。
もっとも、彼が比較的高いカーストだから、カースト制度に疑問を感じないだけなのだろうか?
それとも、低いカーストの人でさえ……

◆人生観は変わるか?
藤原新也『印度放浪』のなかの「ニンゲンは犬に食われるほど自由だ」という写真は衝撃的だ。
この写真は、ガンジス川の中州に遺棄されている死体にかじりついている犬の写真である。
学生時代の私は、この写真を見て、「もう、インドに行ってしっかり見届けてくるしかない」と決意を固くしたのだった。
『印度放浪』とか『深夜特急』なんかに思いっきり影響を受け、自己啓発セミナーに行ってくるかのようなノリでインドに上陸したのだ。
今にして思えば、当時はインドに対する過度の「期待」があり、その色眼鏡でインドを見ようとしていたというところがあったのかもしれない。一人旅だったので、そういう妄想とか幻想はますます加速することになる。
今回はインド人のガイドさんもいるので、疑問に思ったことはすぐに聞け、文化や慣習などの事情を知ることができたから、ある程度、覚めた目でインドを観察することができた。
ガンジス川が流れる聖地ヴァラナシ。火葬の煙も見える。
で、死体を食らう犬はいたか?見たか? いやあ、そりゃいないでしょ。
いくらインドでもそんなにご遺体を粗末にすることはない。
犬がかじってたら追っ払うし、火葬の際には遺族も見守っている。あの写真は、よっぽどのイレギュラーなことがあっただろう。
ちなみに10歳以下の子供は火葬されずにそのままガンジス川に沈められる。(「流される」ではない。きれいな布にくるまれ、重たい石に縛り付けられて、船に乗せて川の中程にて沈められることになる)私の目の前でもお二人がそのように直接ガンジス川に埋葬されていった姿を見た。
多くのインド人(ヒンズー教徒)は、このように、皆、火葬して近くの川に流すので、どれだけ人口が増えても「墓」問題に悩まされることはない。

火葬場の光景はそれだけで衝撃的なのだが、さらに驚かされたことがある。
火葬に対する、なんというのだろう、あっけなさというか、日常的すぎる感じが尋常でないのだ。
「火葬場」といっても仕切りがあったり、屋根があったりするわけではない。
ただっ広いスペースに、適宜、薪を組んでその上でご遺体を荼毘に付す。
しかし、その様子をどうみても、まるでキャンプファイヤーか、たき火のように見えてしまうのだ。
火葬をしているすぐ隣で、服をごしごし洗っているおじさんがいる。
おもむろに、そのおじさんは濡れた服を「キャンプファイヤー」の炎に広げて乾かし始める。
また、煙の立ちこめる広場で凧揚げをしている子供達がいる。
「キャンプファイヤー」の周りをぐるぐる回って追いかけっこをしている子供達はさすがに怒られていたけれども。

ここでは何が起きているのだろうか。
そんな脇で、やはり、愛する家族を失った遺族達が悲しみに暮れ、泣き叫んでいる。
喪主であるらしい男性が、親が荼毘に付されていく様子を呆然と見守っている。
この遺族の様子は、確かに日本と違うところがない。

「終活」とか「エンディングノート」をせっせと書いているような日本人には信じられないくらいのカジュアルさ、シンプルさだ。
しかし、そこで行われているのは確かに葬儀である。
うーん、日本とインド、どっちが「普通」なのだろう? どっちがいいの?
何度インドに行ってもこの光景はうまく頭の中で整理できない。

インドに行くと人生観が変わるか?
よく言われることだが、そもそも自分の人生観がどんなものかわからないし、変わった言えるだけの軽薄さも今のところ持ち合わせていない。
が、自分が目で見て、知った限りでの「インド」という世界は、自分の身の回りや日本という国を相対化する、価値観の座標軸の一つになっていることは間違いはない。
何度行っても妖しく、奥深く、そして面白い国である。
インド、行くべし。