2013/08/31

子ども同士で教えあう学習スタイルについての素朴な疑問~教えることと学びはセットなのか?~

授業の中で教師と生徒のコミュニケーションだけでなく、子ども同士でコミュニケーションをして、ともに学び合うことがたいせつであることは誰もが否定しないだろう。
私も、単元の中で生徒がお互いにコミュニケーションをとりあって学ぶ機会をできるだけたくさん取り入れたい思っているし、そうすべきだともおもっている。

しかし、「子ども同志が教えあう」スタイルの交流については、学習効果の面で素朴な疑問がある。
一番の疑問は「教えないこと」を選びにくいという点だ。
「みんなで教えあおう!」と教師が指示したとする。
素直な子どもたちならば、そこで、お互いに教えあって学んでいく。
しかし、「学ぶこと」は必ず「教えること」とセットなのだろうか?
「教えなくても学んでいく」ことはないのか? 教えることが学ぶことをスポイルし、学んだつもりにさせてしまうということにはならないだろうか?

※ここでの「教えること」を定義すると、答えにいたる視点やヒントを出したり、答えについての根拠などを説明することとする。

もちろん、オールオアナッシングではない。教え合うスタイルの学習活動が、ある時には有効、ある時には不要ということが言いたいだけだ。

国語科の学習活動、とくに言語活動を通した学習活動においては、子どもが自分なりに創意工夫し、試行錯誤しながら言語活動に取り組んでいくことが重要だと思う。
つまり、自転車に乗る練習のように、まずは自転車に乗ってみて、転びながら上手に運転する技能をマスターしていくというスタイルの「学び」である。
作文を書く技能を身につけるためには、なによりも書くことによって、読む力をつけるにはなによりも読むことそのものによって、能力が高まっていく。
このような「活動を通した学び」においては、答えにいたる視点やヒントを出したり、答えについての根拠などを説明することは必ずしも有効とは限らない。
「答え」というものがそもそもない場合がある。それに「答え」とか「やり方」を教わったとしても、それができるようになるかどうかは別問題だ。
作文の書き方を1年間教えられても、作文が上手に書けるようになるとは限らない。
文章の読み方を教えられても、それで読めるようになるとは限らない。
実際に文章を書き、文章を読む、その創意工夫と試行錯誤の繰り返しの中に、国語における「学び」があるからだ。
創意工夫と試行錯誤を促進させるための「教え合い」であれば有効だろう。(たとえば感じたことをフィードバックしたり、多様な考えを交流したり)
しかし、もし「教え合うこと」が目的になってしまったら、個の「学び」がないがしろにされる危険性はないのだろうか?
じっくりと考えたいのに思考が邪魔されたり、粘り強く問題を解決したいのにそれが他者によって中断させられたり、失敗したり練習するための時間が十分にとれなかったり。

他者が教えないこと、放っておくことも「学び」においては実は重要だったりする。
学ぶ環境、「場」さえ整えれば、教え合ったりしなくても、ひとりでに学んでいくと言うこともある。
「教えること」は必ずしも「学び」とセットではないのではないか。

読書活動における三類型とその課題~給食型活動とお弁当型活動、そして立食パーティー型活動~

読書活動における三類型、給食型活動とお弁当型活動、そして立食パーティー型活動。
読書活動、読書指導は、子どもがどのようにして本に手を伸ばすかという点に着目すると、次の三つにタイプに分けることができる。
給食型活動とお弁当型活動、そして立食パーティー型活動である。

給食型の活動とは、全員が同じものを食べる。つまり、同じテキストを読んで学ぶスタイルの学習。教科書教材を取り上げた授業、読書活動における「集団読書」がこれに当たる。
一方、それぞれがテキストを持ち寄って、お気に入りの本を読んだり、交流し合うタイプの授業は、いわばお弁当型の読書活動。
さらには、教師が魅力的な本のラインナップを用意して、それを子どもたちの主体性に任せて取り分けさせるスタイルの読書活動は、言ってみれば、立食パーティー型の読書活動ということになるか。

給食型読書活動の課題
給食型読書活動とは、古くは集団読書、最近ではリーディングワークショップ、リテラチャーサークル、ブッククラブなどの読書会、読書へのアニマシオンなどの読書ゲーム、さらには教師によるブックトークや読み聞かせも、広い意味でとらえればこのカテゴリーにはまりそうだ。(しかし、現状では十分な授業時間が確保できないためか、中学校において集団読書的な取り組みはほとんど行われていないのが現状だろう)
学校で取り組まれる給食は、そもそも貧富の差に関係なくバランスのとれた食事をとらせることが目的だったと聞く、
現在、その給食の位置づけも変化しつつある。
ほとんどの家庭では食べるものには困らなくなった。だがら、栄養をとらせるということももちろんあるが、それ以上に良好な食習慣を形成したり、食のありかた、意義を学ぶ機会としての「食育」として位置づけである。
「給食型読書活動」のあり方のヒントは、実は「食育」にあるのではないか。バランスのよい栄養をとるということだけでなく、日常の読書生活をふりかえり、読書の習慣を形成したり、読書の意義を考えてみる機会としての読書活動である。
そもそも、日常の食生活と最もかけ離れた食事が「給食」だ。日常の読書生活ともっともかけ離れた読書が「集団読書」でもある。好きな本を好きなように読ませずに、全員が同じ本を、同じ読むスピードで、同じ読み方をして読む。そのような「不自然」な読書活動であるからこそ、教師は日常の読書生活との関連性を意識することが必要だし、その不自然な読書活動と、日常の読書とを対置させる意義も生まれるのである。
日常の読書生活との連続性をどのように考えるかが、給食型読書活動の課題であろう。

お弁当型読書活動
お弁当型の読書活動の基本は、自分で本を用意してくるところにある。(もちろん、本は自分で買っても、図書館で借りてもよい)
たとえば、朝読書や好きな本の紹介、推薦などの読書活動がこれに当たる。
さらには自分が選んだ本の読書感想文、読書感想画に取り組んだり、ポスター、ポップづくりなどの表現につなげていくスタイルの読書活動も、お弁当型の読書活動のスタイルをとるものが多いだろう。
好きな本を選んで活動をすることは、子どもの主体的な意欲を尊重するという意味では意義のあることだろう。好きな本がある生徒はきっと進んで学習にも取り組むだろう。
しかし、読書の習慣がほとんどなく、好きな本が見当たらない生徒にとっては「好きな本を」という自由が制約になることもある。それで、好きな本がない生徒、読書の意欲がそれほど高くない生徒は、仕方なく、図書館にある本(で簡単に読めそうなもの)を適当にとって形にしようとする。
いやいや紹介したり、仕方なく選んだ本では、せっかくの読書活動が十分に魅力的なものにすることができない。
読書が嫌いなのは、言い換えれば、自分を虜にするような魅力的な本にまだ出会えていないということだろう。そんな本に出会えるように、特にお弁当型の読書活動では、個に応じた選書の配慮を意識したい。そのときに有効なのが、いうまでのない、交流だ。
私たちはどのようなきっかけで魅力的な本に出会うだろう。それは、知人の紹介だったり、Amazonのレビューだったり、本を読んでいくうちに芋づる式に関連する本に手を伸ばしたりとさまざまだ。
そのような口コミや「キュレーション」の機能を十分に活用して魅力的な本に出会える場を設定することが有効だろう。
お弁当型の読書活動の課題は、選書と交流であろう。


立食パーティー型の読書活動
立食パーティーでは、パーティーの開催者が会場に料理を並べ、それを自由にとりわけさせる。これを読書活動になぞらえると、教師が並べた本を子どもたちが自分の興味関心に応じて本に手を伸ばし、それを読んでいくスタイルの読書活動になる。
テーマ読書等の取り組みで重要なのは、どのような読書活動の枠組みを作るかと言うことだ。
どのような本を教師がチョイスし、それをどのような切り口で子どもたちに選ばせ、さらにはどのような読み方の技能を活用させるかという点だろう。
この枠組みやねらいがしっかりしていればいるほど、教師のねらいに沿った効果的な読書活動になる。しかし、ねらいがぼやけ、資料の準備も不十分なものであれば、効果的な読書活動とすることができない。
ざっくりと言って、読書活動のねらいには、読書意欲を喚起させることをねらうのか(興味付け)、読書技能を高めるための活動なのか(読書技能の育成)、あるいは、そのテーに対する理解を深めることを目的とするのか(内容理解)、この3点のどれかに重点をあてた活動になるものと思われる。(もちろん両者は緊密に関連し合う)
さらに、読書活動をデザインする際には、どのようなねらいで、どんな本を用意し、それをどのように読ませるか、どんな学習活動や環境を用意するかという視点が重要になる。
立食ペーティー型は給食型に比べて子どもの自由度があるため主体的に読書に取り組めるというメリットがある。また、お弁当型に比べて教師が活動をコントロールしやすいことも利点である。それらの利点を生かした読書活動にするために、立食パーティー型の読書活動では、とくに緻密に学習をデザインすることが求められる。
立食パーティー型の読書活動の課題は、ねらいを明確にした授業デザインにあるだろう。

「じたばた」型実践記録を書いてみたい。

「じたばた」型実践記録を書いてみたい。
一つの単元の開発には、無数の試行錯誤、紆余曲折、選択とか判断とか断念とか諦念がまぜこぜになっているものだ。
そういう「じたばた「うだうだ」を記録することは、綺麗事だけを並べた指導案よりもずっと生々しく、実践の真意や経緯を伝えることができるかもしれない。断念した発想の断片に新たな実践のヒントが転がっているかもしれない。
そんなことをほのかに期待しつつ、単元を作り上げるまで、また、実践に取り組み始めてからの、考えたこと、迷ったこと、決断したことなどを、できるだけリアリティを失うことなく記録したいと思う。近日公開!

ドキュメンタリー『OZAWA』(1985年作品)


「教師」小澤征爾の魅力を伝えている傑作ドキュメンタリー。
共演者と心を交わしあい、若い指揮者の心に火をつける、小澤征爾のエネルギッシュな姿に驚嘆、そして感動。
クラシックに余り興味がない人も、ぜひ見て欲しい!
「君のために言うぜ、音楽は旋律だけじゃない。もっと内的で、深
……それはバーンスタインやカラヤンを見てもダメだ。あれは彼らのやり方だ。マネだけはするな。カラヤンにはカラヤンの道がある。バーンスタインもしかり。
君の道は君が創るんだ」

2013/08/27

旅行のお供はiPadminiで

旅行はできるだけ身軽に行きたいものだ。
しかし海外や長期の滞在などでは何かと荷物かかさばる。
そんなときに、最も重宝したのはiPadminiだった。
iPadmini一台さえあれば、紙媒体で持ち歩いていたさまざまな情報を電子化して持ち歩くことができるのだ。

・旅行の日程表
・持ち物リスト
・地図
・ガイドブック
・外国語の会話フレーズ集
・美術館の解説
・海外保険の保険証
などなど。
これらを紙媒体で持ち歩いていたらかさばってしまってしょうがない。
Evernoteやドロップボックス、iBooksにぶち込んでいけば好きなときに見ることができる。
るるぶやマップルなどのガイドブックも、惜しげもなく電子化する。(写真に撮って保存)
さらに便利だと感じるのは、文字や図を拡大できるという点だ。どんな細かい込み入った情報でも、拡大すればしっかりと読むことができる。これもタブレットならではの特徴だ。

もちろん、上記以外にも次のような機能も一緒に付いてくる。
・(ビデオ)カメラ
・辞書
・メモ帳(Evernote)
・グーグルマップ
(当たり前のことかもしれないけど、ロシアで路線検索したら、ちゃんとロシアの地下鉄の時刻を教えてくれた!驚き!)
・通貨換算用の電卓
・グーグルカレンダー
・時計
・インターネット(海外のホテルはほとんどWi-Fiが利用できる)
など。
iPadminiは旅行先でこそその力を十二分に発揮できる。
もはや手放せないツールとなっている。

2013/08/25

タブレット端末を使った授業、現場の声~便利すぎるのも考えものだ~

これからの学校教育でICTを活用した授業がだんだんと進められていくことだろう。
従来の、教科書、ノート、そして黒板だけにとどまらず、電子黒板や、電子教科書や、タブレット端末による電子ノート?が使われる日もすぐそこまで来ている。
ある地区では、コンピュータ室にパソコンを置くのではなく、デスクトップパソコンの代わりにタブレット端末を置こうと検討しているとも聞く。
タブレット端末の教育利用の方法を検討することは急務であろう。
さて、ICT活用について、ICTに精通した方がソフトやハードを開発することはもちろん重要なことであるけれども、そのときに、ぜひ現場のささやかな声をリサーチして欲しいと思う。

たとえば、当たり前のことだけれども、タブレット端末を使った学習では、次の視点を生かすことは不可欠だ。
・タブレット端末を使うことで、学力が効率的に上がることが期待できる。
→タブレット端末の機能を使うことで、それ以前に行われてきた「非効率的な」学習が「効率的に」行われるという見通しが立たなければいけない。
タブレットの操作や準備が煩雑で、かえって非効率的だったりしてしまっては意味がない。時間がかかりすぎたり、大した情報量ではなかったり、学習が充実していなかったら意味がない。
タブレットを使っているという「華々しさ」「目新しさ」があるうちは、現場でも使ってもらえるかも知れないけど、そのうち「やっぱり使わない方がましだ」と飽きられたらおしまいだ。

・タブレット端末を使うことで、今までできなかったことができるようになる。
→たとえば、タブレット端末などをはじめとするICTの特徴はいくつかある。
・思考を補助してくれる
(計算、OCR、検索機能などの情報処理)

・大量の情報を保存できる。
(これはいうまでもない。電子書籍などのコストも印刷メディアに比べて格段に低い)

・マルチメディアに強い。
(動画、画像、音声、ARなど)

・インターネット等で相互交流できる。
(学びのネットワークが格段に広がる。調べたり、発信したり、交流したり)

つまり、時間、空間という限界を突破し、人間の情報処理を助け、多様なメディアの越境ができるという点が最大の特徴である。
それらを生かして、今まで考えもしなかったような学習が展開できれば「タブレットを使ってよかった!」ということになるはずだ。

一方、タブレット端末を使うことのデメリットはどこになるのだろうか?
とっても卑近な例だけど「多機能すぎる」「便利すぎる」という点も、ひょっとしたらあるのではないだろうか。

たとえば、本校ではタブレット端末を使った授業はそれほどやられていないけど、電子辞書を使うことは授業の中で奨励している。
電子辞書を常時使用することで語彙や知識などが増えるので、とても重宝している。
しかし、最近の電子辞書は辞書機能だけでなく、さまざまな機能がくっついている。
・動画や画像を保存する機能
・音楽を聴ける機能
・インターネットができる機能
・イラストを描く機能
など
もちろん、機能が多くあればあるほど便利なのだけれども、授業内容とは関係のない機能がありすぎるのも、教師としては困りものなのだ。実は、電子辞書を持ち込むことで、授業中に生徒がこっそり自分のお気に入りの動画を眺めていることが学校で問題になったこともある。
これは卑近な例に過ぎないけれども、多機能にすればするほど、学習者の自由度は上がるけれども、裏返せば「サボる自由」「気が散る自由」「勝手なことをする自由」も増大するというデメリットもある。
学習を効果的にするためには、教師は生徒に与える情報を制限し、「自由」を上手くコントロールすることが、授業技術では大切な要素でもある。
たとえば、授業の中で発言する時に、なぜ挙手を求めるのだろうか。これは、発言したい時に発言させるという「自由」をコントロールすることで、教師の誘導で、生徒の発言を効果的に取り上げるという一斉授業の技術である。
黒板を用いる最大のメリットはどこにあるのだろうか? それは、教師が生徒とのインタラクティブ(やりとり)の中で、臨機応変に授業内容を組み替えていくことができる点にある。
学習内容に応じて学習者の「自由」をコントロールできるという要素や、臨機応変に授業内容を組み替えていくという視点では、まだまだICT活用の授業では不十分な点であると思う。
この二つの点において、タブレット端末よりも、黒板とノートのほうが圧倒的に優位だ。
……まあ、それでも、ノートや教科書に「落書きする自由」は残されているんだけれどもね。

と、勝手なことをいい散らかしてみましたけれども、「最近のICTはそんなもんじゃない!」という情報があったら是非教えてください。

2013/08/24

私は「若者」にしか期待しない~「無礼ボーイ」のすすめ~

先日、ある先生方が集まる飲み会でちょっと寂しくなる出来事があった。
私は飲み会ではほとんどお酌をしに行かない人間だ。
せわしなく歩き回ることよりは、食べるものを食べ、飲むものを飲んで、しかる後に、話したい人のところに行って話す。そういう流儀だ。……話したくなる人がいない場合は一人で静かに飲む。
……と格好つけて言ってはみたけれども、基本的にはシャイだし、めんどくさいだけなのだ。
がつがつと人に関わっていくのが、余り得意ではないだけなんだけど。

で、そんな私に、両手で瓶ビールを捧げた「若者」がかいがいしく酌をしに来るではないか!
「ご挨拶が遅れて申し訳ありません××先生。」
「あ、はい」
「いつも先生の……中学校でのご研究に感銘を受けております」
……
と、とても礼儀正しく腰を折る若者。
一気に酔いも覚めて、身が縮こまるほどであった。
恥ずかしくなるくらいのお褒めの言葉をいただいた後、その若者
「ところで、先生はおいくつになられるんですか?」
と、年齢を聞いてくる
「あ、私昭和……生まれですよ」
「昭和……年の何月生まれなんですか」
(ずいぶんマニアックなことを聞くなあといぶかりつつ)
「昭和……年の10月です」
「そうなんだ。私は昭和……なんですよ」
と。
そこで気がついた。その「若者」は、実は私よりも一つ年上だったのだ。
生まれた月までわざわざ確認したのは、同学年の早生まれでないかどうかを確認したかったのだろう。これで、私のほうが学年が一つ下、「後輩」だと言うことがはっきりとした。
そこから、さーっと潮が引いたように雰囲気が変わったのを私は見逃さなかった。
礼儀正しい態度だった彼の様子が、どこかよそよそしいものに変貌したのだ。

……ちなみに、私は見た目はかなり老けている。
実際の年齢に10歳プラスしても気づかれないくらいの「貫禄」を持っている。
だから私の外見と態度のでかさに触れた人ならだれでも、実際の年齢を知ると一様に驚く。そして人によっては態度を変えるのだ。……

そこからの会話はさらに奇妙だった。
「いまどんな研究をしているんですか?」と私、
「ええ、……ですけど」と素っ気なく彼
「……という視点で授業とか取り組まれると、きっと面白いですよね」と私
「はい。もちろんそのつもりですけど…」と彼
会話が……会話が弾まない!
自分は、ちょっとでも、一緒に大好きな授業のことを語り合おうと思っているんだけど、そこに「見えない壁」のようなものがあるのだ。何か寂しい。

私は、ひょっとしたら、年長者の方にとっては無礼な人間、年下の人にとっては礼儀正しい人間と思われていることだろう。
年長者だからといって聞きたいことがあったら聞く、言いたいことがあったら言うし、年下だからという理由で、その人の前で尊大に振る舞ったりはしていないつもりだ。
ましてや「肩書き」があるかないかなんて関係がない。
「肩書き」がある人には、さすがと思わせるような見識や知識、経験をもたれている場合が比較的多いということはある。だから、尊敬すべきは「肩書き」という記号ではなく、その人の見識や知識であるはずだ。(見識を持たない「肩書き」のある人、それで偉そうにしている人ほど、人として軽蔑するものはない)

だから、時折、私は寂しい思いをしたくないので、最近では肩書きや年齢をなるべく隠して人と接するようにしている。肩書きや年齢というフィルターによって接し方を変えられるのがたまらなくイヤなのだ。
それと同様に、人に対する時も、年齢や肩書きという記号で態度を変えるのではなく、経験や知識、見識から吸収して学ぶように心がけて接するようにしている。

本で読んだ話だけれども、あるクリエイターの方は、仕事のことなどでインタビューをするときに、必ず自分よりも年下の人とだけ会うようにしているそうだ。
「年寄り」からは新しい可能性は生まれないというのだ。
これは極端な話だけれども、分かるような気はする。
「年寄り」というのは単に年齢が上と言うだけではなさそうだ。
歳がいくつかというのではなく、精神的に「老成」している人こそ「年寄り」と呼ぶべきものだろう。
向上するものが枯渇してしまっている人、新しい世界に対する興味がない人、伸びていかない人、そういうひとが、自分の狭い経験だけ取り上げて、持論を延々とリピートする。そして年下の人間に対しては、つまらない見識を振り回して上から目線でのたまわる……
そういう方から学べるのは、おそらく最初の一回だけだろう。

私は「若者」にしか期待しない。
「若者」は年齢がいくつかどうかなんて関係ない。
そんな外面的なものではなく、いくつになっても柔軟性を失わない人、学ぼうと思っている人、外に開かれている人には心から尊敬する。
そして、そんな年長者でも若輩者でも、私は敬意を持って「無礼」に話しかけることだろう。

2013/08/23

「言語活動」に浮かれてはいけない~授業における「創意工夫と試行錯誤」~

今回の学習指導要領国語科の最大のウリは「言語活動」だ。
以前の学習指導要領では「言語活動例」は指導上の計画として配慮する程度のレベルだった。
今回は言語活動が「内容」に格上げされ、指導事項と言語活動が同等の重みで取り上げられるようになった。
文科省公認で「言語活動を通して指導事項を指導する」という「言語活動主義」の国語教育の立場が鮮明になったのである。

私は、基本的には言語活動を通して言葉の力をつけていくという学習スタイルには異論はない。
「畳の上の水練」ではなく、実際にプールで泳いでみないことには泳ぐ力が身につかないのは自明のことだからだ。
これからの授業では、何を教えるかという「指導事項」を研究するのと同じくらい、いや、それ以上の比重で「言語活動」についても「教材研究」をすることが求められることとなる。
……これは一言で言い表せるほど簡単なことではない。

言語活動を通した授業(「単元を貫いた言語活動」とも)が、さまざまな学校で取り組まれるようになってから、いろいろと楽しそうな言語活動が開発されてきている。

たとえば、小学校では次のようなユニークな「言語活動」が開発されている。
・本を紹介するリーフレット
・パンフレット
・ポスター
・本のショーウィンドウ
・本の小箱

・ペープサート

これらの活動はとても目新しく、魅力的なものだろう。
紹介されたらすぐに「やってみたい!」という気になるはずだ。
文科省サイドから、最近このような楽しそうな言語活動がたくさん紹介されている。(これは以前では考えられなかったことだ)文科省から公認、奨励されればなおさら多くの先生方は飛びつきたくなるだろう。

準備さえしっかりとすれば子供もそれなりに動くし、見た目もよいし、なにより楽しそうに活動している。「単元を貫く言語活動」大賛成! 先生方は大喜びだ。

しかし、教育界において、「経験主義」と「系統主義」の振り子が何度となく揺れ動いていることを知っている人なら、安易に言語活動に飛びつく愚は痛感しているだろう。
一見楽しそうな活動にこそ、落とし穴があることを知っているからだ。

文科省の打ち出す「単元を貫く言語活動」の提案の、最も不満、不十分なだと感じることは、
言語活動を通して、子供にどのように力がついていくか、そのために教師がどのように支援や指導をしていくか、という「学力が育っていくプロセス」や「具体的な指導の姿」がほとんど説明されていないと言うことである。
楽しそうな言語活動だけ取り上げて、授業の中での、言語能力を育成する教師の指導なり、子供が学んでいくプロセスをほとんど説明していないという点である。

料理番組を例にとって説明しよう。
まず、料理の準備を事細かに説明する。
こんな食材を用意します。
こんな調味料が必要です。
こんな味になります。
などなど。

で、その後いきなり、
はい、できました!
と完成作を見させられるのである。

料理をする人が一番知りたいのは、その料理をどのように調理するかだ。
食材を煮たり、焼いたりというプロセス、授業で言うと、子供が学力をつけるためにどのようなプロセスをたどっていくかという要素をすっ飛ばして、完成した料理のすばらしさだけをプレゼンテーションしているようなものなのだ。

どんなにすばらしい言語活動でも、「ほれやってみろ」では十分に力をつけることはできないだろう。
どんなに面白い言語活動でも、「やらせっぱなし」ではまずいだろう。
しかし、文科省のこのようなプレゼンテーションでは「ほれやってみろ」的な言語活動が量産されるおそれがあることを、ぷんぷん感じている。
どんな力を育てるかという、最も重要な「調理」過程がすっ飛ばされて、見栄えのする言語活動という「美味しい料理」を完成させることだけが目的化してしまうのではなないかと心から心配している。

子供が活動を通して力をつけるためには何が必要だろうか?
最もシンプルに言えば、活動の中に「創意工夫と試行錯誤」のプロセスをたどらせると言うことではないか。
自分たちなりに、上手くいく方法をイメージして取り組み、
いろいろな手段を試してみて、
それでも上手くいかなくて失敗をしたり、
何度もやり直したり
……
それらの「創意工夫」と「試行錯誤」のプロセスをたどることで、はじめて力というものは身につくのではないだろうか?
「創意工夫」と「試行錯誤」のプロセスを、教師がどう効果的に設定し、指導や支援を加えていくかと言うことこそ、活動の中での学びでは必要になってくると思っている。
「やらせっぱなし」の活動では「試行錯誤」の学びは生まれない。
何が失敗なのか、どうすればよいのか判断することが難しいからだ。
プログラムされすぎた活動では「創意工夫」の余地はない。
そんな活動だったら教師はいらない。思考力も育たない。

繰り返すが、「やらせっぱなし」ではなく、「創意工夫と試行錯誤」のプロセスを、どう教師が介入し、指導し、支援していくかというところこそ「活動を通した学び」では重要なカギとなるところだと思う。

魅力的な言語活動に浮かれてはいけない。
魅力的な言語活動に飛びついてはいけない。
飛びつく前に、子供に経験させたい活動に、子供たちが「創意工夫」をする余地があり「試行錯誤」をする経験があるのかを考えよう。そして、そのプロセスに、どんな教師の指導の手立てがあるのかを考えよう。

また「いつか来た道」をたどらないことを切に願う。
「活動あって学びなし」
「這い回る経験主義」
という言葉が聞かれることを。

2013/08/22

成長すると学ぶことが難しくなる

「成長すると学ぶことが難しくなる」
これは一面において真理だと思う。

新入社員は、どんな職場に行っても学ぶことがたくさんある。
周りにいる先輩方も色々なことを教えてくれる。
時間が経つと、新人さんも色々な経験を積み、ぐんぐん成長していく。
そうなると、「一人前」だと見なされてだれからも教えてもらえなくなる。

教えるとか学ぶということは、どんな段階であっても必要なことだ。
新入社員であろうと、10年目の人であろうと、退職間際の人であろうと。
少なくとも、私はいつまでも学んでいたいと思う。
しかし、経験を積めば積むほど「一人前っぽいオーラ」とか「批判を受けたくないオーラ」、「偉そうなオーラ」を自然に身にまとってしまう。子どもの前に立つ教師ならなおさらそういう傾向は強いだろう。
そうなると、だれもが、めんどくさそうな相手に対しては、助言とか意見を言わなくなる。
(いいね!とかすごいね! とかのおべっかは言ってくれるかもしれないけどね。)
同質性の高すぎるコミュニティーからは学びは生まれにくい。どんどん視野が狭くなる。
なれ合いの集団は心地よいかもしれないけど、退屈だ。

学びで必要な「他者」とは、おだてたり、賛同する人ではないだろう。
むしろ異質性を持った他者ではないか?
自分にとって、「冷や水を浴びせる」存在ではないか?
うどんの「びっくり水」のように、ちょっと自分が調子に乗っているとき、視野が狭くなっているときに、我が身を振り返らす存在ではないか?
自分とは別の、異質性を持っている存在として、新たな切り口から観点を提示し、さらに、人が変わることをそそのかす存在ではないか?
その人と対話することによって、内省が促される存在ではないか。

偉ぶっていると、それだけで「意味ある他者」を遠ざけることになる。
成長したり、地位や肩書きを手に入れると、そのたびごとに「意味ある他者」を見失い、学ぶ機会が失われていく。
だから、成長すればするほどに、より積極的に意味ある他者を求めなければならない。
意味ある他者を探すためには、まず自らが、誰かにとっての意味ある他者になれているのかを自省する必要がある。

2013/08/21

「コミュニティーとネットワーク」試論~学級づくりの視点としての「国会モデル」と「会社モデル」~

私の思考の癖は「たとえで考える」ことと「列挙する」ことだ。
目の前の現象を、とりあえず他の似ているものに置き換えてみる。そうすると、その構造や見えない働きなどが明るみになってくることが多い。
また、とりあえず列挙する、数多く出してみるというのも私の思考の方法だ。思いつく限り、もれなく抜けなくダブりなく出してみるのだ。
そうすることで思考が思考を誘発し、あらたな発想が生まれるかもしれない。

「学級づくり」について「たとえ」と「列挙」で考えてみる。
学級づくりにはさまざまなスタイルがあると思う。

・国会モデル……先生は天皇? 生徒は国会議員?
最も一般的なモデルは「国会モデル」ではないか。
どの学校にも生徒会という「議員」がいて、生徒総会という「国会」や学級会などの会議が行われる。委員会などの分担もある。総理大臣としての生徒会長がいる。
学級でもそれと同じ原理で、学級会長や班長がいたり、係があったりする。
先生は会長を支援する「天皇」のような存在か??
しかし、国を統治するシステムという議会制民主主義に、学級という小規模のコミュニティーが適しているのだろうか?

・会社モデル……先生は経営者、生徒は社員
「学級経営」という言葉がよく聞かれる。
「経営」という発想は「会社モデル」の考え方だ。
社長(経営者)のビジョンに従って、社員(生徒)を上手に動かしていく。
しかし、そのスタイルは本当に学級というコミュニティーにとってふさわしいのだろうか?
そもそも「学級」としてのビジョンとか目的というものが必要なのだろうか?
(個人としての目的とか目標をもつことはもちろん否定していない、しかし「クラス」という集合体が「目標」を持つことが、必ず必要だとされる根拠はあるのだろうか?)
ちなみに私は「学級経営」という言葉をほとんど使ったことがない。
なんとなくそういう「経営者」のような感覚になれないからだ。

・家族モデル……先生はお父さん、お母さん、生徒は我が子
いわゆる金八先生のように生徒を我が子として抱え込むスタイルだ。
我が子のためには全身全霊で守り通す。
我が子のためには自分を犠牲にする。
クラスは家族、クラスメイトは兄弟。疑似家族としての学級。

・教会モデル……先生は教祖様、生徒は信者
カリスマ教師の場合はそういうクラスになることもある??
洗脳された生徒の姿……

・レジャーランドモデル……先生は店員、生徒はお客様
マクドナルドやディズニーランドのように、教室に来ているお客様(生徒)を楽しませ、居心地の良いものにするためにひたすら店員(先生)ががんばるスタイル。
ポイントは「おもてなし」。
ゲーミフィケーション、PA、ディズニーランドなどの発想も、ひょっとしたら学校にもあるのかもしれない。

さて、さまざまなモデルを列挙したのだが、これからの学級づくりは、どのようなモデル、スタイルを志向すべきだろうか?

私が学級において一番大切にしたいのは、「個」を生かす人間関係としての集団である。
集団が個を圧殺することがある。
個がばらばらで、孤立をうながす集団(烏合の衆)もある。
そのどちらでもなく、集団が個を生かすような集合体、関係性こそ、理想だ。
そのときに必要な視点はなんだろうか?
・国会モデルだろうか?
・会社モデルだろうか?
・家族モデルだろうか?
……答えはまだでていない。

しかし、私は、クラスを「人間関係の集合体」として見る場合、これからは「コミュニティーとネットワーク」という視点はどうしても必要だと思う。
すべての人間関係は何らかの形で「ネットワーク」をもち「コミュニティー」を形成している。

・コミュニティーは「同質性」によってつながり合う共同体
クラスでいつも一緒にいる仲間がいる。そのとき、クラスの中で小さなコミュニティーが生まれている。
コミュニティーは時間の経過とともに自然に深まっていき、凝集性が高まることを志向する。
凝集性が高い方が生産性が上がるが、凝集性が高すぎると閉鎖的になり、息苦しいものとなる。

・ネットワークは「異質性」を契機につながっていくリンクの集まり
ネットワークは、見知らぬ他者へと働きかけ、つぎつぎと関係を広げ、アプローチしていく流れをいう。
ネットワークは時間の経過と共に自然に広がっていき、複雑になることを志向する。
ネットワークは狭いよりも広いほうが有利だ。
弱い絆であっても、幅広くリンクを張っている方が有益なこともある。
(遠くの親類より近くの他人、「弱い紐帯の強さ理論」)

コミュニティーとネットワークは両者相克しながら関係が変容していく。
A、コミュニティーとネットワークの両方が充実している
B、コミュニティーは充実しているけどネットワークはない
C、ネットワークは充実しているけどコミュニティーは貧弱
集団は常にその3つの様態を揺れ動く。

クラスづくりも「コミュニティー」「ネットワーク」の両方の視点が必要だ。
コミュニティーを深める志向と、ネットワークを広げる志向と
同質性や共感によってつながりを深め合うことと、他者の異質性から学び、広がっていくことと。

実はクラスは一つのコミュニティーとは限らない。
クラス内に無数のコミュニティーがあり、ネットワークがある。
それらは同時進行、多声的なものである。
子どもたち(人間たち)は多声的なコミュニティー、多くのコミュニティーを同時に生きる。

現在の学校の息苦しさの原因は、ひょっとしたら
B、「学級」という単一のコミュニティーはあるけど、外に広がるネットワークはない
というものではないか?
(それが「クラスで心を一つに!」「団結しよう!」という言葉で教師が毎日煽っているとしたら……)

教師の役割は、子どものネットワークを広げ、多声的なコミュニティーを用意することにある。
そのような多種多様なコミュニティーが、クラスの中に、あるいはクラスや学校という枠を超えて、自然発生的に生まれてくるよう「ビオトープ」のような「生態系」を用意することが重要なのではないか?

これからの学級作りのモデルとして明確な答えは用意できていない。
わたしは、これからの学級づくりのモデルとして「まちおこしや地域コミュニティー再生」のモデルにヒントがあるのではないかと思っている。

2013/08/20

『はだしのゲン』閲覧規制問題は、「学校図書館の選書規準開示」というパンドラの箱を開けるか?

某市教育委員会における『はだしのゲン』閲覧規制問題がかまびすしい。
『はだしのゲン』の描写や歴史認識が教育上ふさわしくないという理由で地域住民から陳情を受け、教育委員会が学校図書館にある『はだしのゲン』をすべて閉架にしろという指示を出したという問題だ。

『はだしのゲン』がふさわしいかどうかという議論ももちろんあるだろう。
しかし、私は学校図書館に関わっている身として、この問題はもっと深刻なものを提起していると思う。
「学校図書館にどのような本を置くべきか」ということに対して行政が具体的に踏み込んでくるという事態である。

図書館にどのような本を置くべきか、ということについて、図書館関係者と『図書館戦争』の読者だったら誰でも「図書館の自由に関する宣言」という格調高い文章を想起するだろう。
少し長いが資料として全文を引用する。(知っている人は飛ばして読んでください)

図書館の自由に関する宣言

1954  採 択
1979  改 訂

    図書館は、基本的人権のひとつとして知る自由をもつ国民に、資料と施設を提供することをもっとも重要な任務とする。
  1.  日本国憲法は主権が国民に存するとの原理にもとづいており、この国民主権の原理を維持し発展させるためには、国民ひとりひとりが思想・意見を自由に発表し交換すること、すなわち表現の自由の保障が不可欠である
    知る自由は、表現の送り手に対して保障されるべき自由と表裏一体をなすものであり、知る自由の保障があってこそ表現の自由は成立する。
    知る自由は、また、思想・良心の自由をはじめとして、いっさいの基本的人権と密接にかかわり、それらの保障を実現するための基礎的な要件である。それは、憲法が示すように、国民の不断の努力によって保持されなければならない。
  2.  すべての国民は、いつでもその必要とする資料を入手し利用する権利を有する。この権利を社会的に保障することは、すなわち知る自由を保障することである。図書館は、まさにこのことに責任を負う機関である。
  3.  図書館は、権力の介入または社会的圧力に左右されることなく、自らの責任にもとづき、図書館間の相互協力をふくむ図書館の総力をあげて、収集した資料と整備された施設を国民の利用に供するものである。
  4.  わが国においては、図書館が国民の知る自由を保障するのではなく、国民に対する「思想善導」の機関として、国民の知る自由を妨げる役割さえ果たした歴史的事実があることを忘れてはならない。図書館は、この反省の上に、国民の知る自由を守り、ひろげていく責任を果たすことが必要である。
  5.  すべての国民は、図書館利用に公平な権利をもっており、人種、信条、性別、年齢やそのおかれている条件等によっていかなる差別もあってはならない。
    外国人も、その権利は保障される。
  6.  ここに掲げる「図書館の自由」に関する原則は、国民の知る自由を保障するためであって、すべての図書館に基本的に妥当するものである。
    この任務を果たすため、図書館は次のことを確認し実践する。

第1 図書館は資料収集の自由を有する

  1.  図書館は、国民の知る自由を保障する機関として、国民のあらゆる資料要求にこたえなければならない。
  2.  図書館は、自らの責任において作成した収集方針にもとづき資料の選択および収集を行う。その際、
    1. (1) 多様な、対立する意見のある問題については、それぞれの観点に立つ資料を幅広く収集する。
    2. (2) 著者の思想的、宗教的、党派的立場にとらわれて、その著作を排除することはしない。
    3. (3) 図書館員の個人的な関心や好みによって選択をしない。
    4. (4) 個人・組織・団体からの圧力や干渉によって収集の自由を放棄したり、紛糾をおそれて自己規制したりはしない。
    5. (5) 寄贈資料の受入にあたっても同様である。図書館の収集した資料がどのような思想や主 張をもっていようとも、それを図書館および図書館員が支持することを意味するものではない。
  3.  図書館は、成文化された収集方針を公開して、広く社会からの批判と協力を得るようにつとめる。

第2 図書館は資料提供の自由を有する

  1.  国民の知る自由を保障するため、すべての図書館資料は、原則として国民の自由な利用に供されるべきである。
    図書館は、正当な理由がないかぎり、ある種の資料を特別扱いしたり、資料の内容に手を加えたり、書架から撤去したり、廃棄したりはしない。
    提供の自由は、次の場合にかぎって制限されることがある。これらの制限は、極力限定して適用し、時期を経て再検討されるべきものである。
    1. (1) 人権またはプライバシーを侵害するもの
    2. (2) わいせつ出版物であるとの判決が確定したもの
    3. (3) 寄贈または寄託資料のうち、寄贈者または寄託者が公開を否とする非公刊資料
  2.  図書館は、将来にわたる利用に備えるため、資料を保存する責任を負う。図書館の保存する資料は、一時的な社会的要請、個人・組織・団体からの圧力や干渉によって廃棄されることはない。
  3.  図書館の集会室等は、国民の自主的な学習や創造を援助するために、身近にいつでも利用できる豊富な資料が組織されている場にあるという特徴を持っている。
    図書館は、集会室等の施設を、営利を目的とする場合を除いて、個人、団体を問わず公平な利用に供する。
  4.  図書館の企画する集会や行事等が、個人・組織・団体からの圧力や干渉によってゆがめられてはならない。

第3 図書館は利用者の秘密を守る

  1.  読者が何を読むかはその人のプライバシーに属することであり、図書館は、利用者の読書事実を外部に漏らさない。ただし、憲法第35条にもとづく令状を確認した場合は例外とする。
  2.  図書館は、読書記録以外の図書館の利用事実に関しても、利用者のプライバシーを侵さない。
  3.  利用者の読書事実、利用事実は、図書館が業務上知り得た秘密であって、図書館活動に従事するすべての人びとは、この秘密を守らなければならない。

第4 図書館はすべての検閲に反対する

  1.  検閲は、権力が国民の思想・言論の自由を抑圧する手段として常用してきたものであって、国民の知る自由を基盤とする民主主義とは相容れない。
    検閲が、図書館における資料収集を事前に制約し、さらに、収集した資料の書架からの撤去、廃棄に及ぶことは、内外の苦渋にみちた歴史と経験により明らかである。
    したがって、図書館はすべての検閲に反対する。
  2.  検閲と同様の結果をもたらすものとして、個人・組織・団体からの圧力や干渉がある。図書館は、これらの思想・言論の抑圧に対しても反対する。
  3.  それらの抑圧は、図書館における自己規制を生みやすい。しかし図書館は、そうした自己規制におちいることなく、国民の知る自由を守る。
図書館の自由が侵されるとき、われわれは団結して、あくまで自由を守る。
  1.  図書館の自由の状況は、一国の民主主義の進展をはかる重要な指標である。図書館の自由が侵されようとするとき、われわれ図書館にかかわるものは、その侵害を排除する行動を起こす。このためには、図書館の民主的な運営と図書館員の連帯の強化を欠かすことができない。
  2.  図書館の自由を守る行動は、自由と人権を守る国民のたたかいの一環である。われわれは、図書館の自由を守ることで共通の立場に立つ団体・機関・人びとと提携して、図書館の自由を守りぬく責任をもつ。
  3.  図書館の自由に対する国民の支持と協力は、国民が、図書館活動を通じて図書館の自由の尊さを体験している場合にのみ得られる。われわれは、図書館の自由を守る努力を不断に続けるものである。
  4.  図書館の自由を守る行動において、これにかかわった図書館員が不利益をうけることがあっては ならない。これを未然に防止し、万一そのような事態が生じた場合にその救済につとめることは、 日本図書館協会の重要な責務である。
引用終了。

つまり、『はだしのゲン』問題に関する論点を集約すると、図書館というものは、国民の知る権利を保障するためのものであるから、この本を置くべきだとか、この本は読ませるな、などの行政の不当な口出しは許されないということなのだ。

しかし学校図書館ではどうなのだろうか? 
「図書館の自由に関する宣言」はどの程度認められるのだろうか?

学校図書館は「学校の教育課程の展開に寄与する」(学校図書館法)という大原則がある。
だから限られた予算で図書をそろえなければいけないという制約から「学校の教育課程の展開」に直接関係ないようなものは学校図書館には置かないという選択をせざるを得ない。

「学校の教育課程の展開」とは、つまり学校の教育活動だ。
そして学校の教育課程は「学校において編成する」(学校教育法)とされる。
各学校の裁量に任されているものなのだ。(もちろん教育基本法や学習指導要領等の法令に準拠しなければいけないことはいうまでもない)
学校の教育目標や、その教育活動は学校独自に決められるものである。

学校図書館にどのような本を置くべきかという判断や、どんな本はふさわしくないかという判断、つまり「選書規準」は、どの学校でも暗黙のうちに形作られている。

たとえば
・漫画は手塚治虫以外入れない
・村上春樹はノーベル賞級の文学者だけどHな描写があるから入れない
・山田悠介は中学生に大人気だけど、グロいから入れない
・ラノベは内容が軽薄すぎるから入れない
などなど。
……選書規準というか、司書教諭の暗黙の線引きのようなもの。
こんな具体的に生徒たちに言うことはもちろんないはずです。
学校によってもその線引きは全く異なりますし、そうあるべきものだと思います。

これらの「選書規準」はもちろん教育委員会で指定するものではない。学校ごとに、極端に言えば図書館担当者の独断??で決めているというのが実情なのだ。
だいたい、いちいちすべての作品ごとに、学校図書館に入れるべきかどうかなんて決められるわけがない。すべての本を読んでいるヒマなんてない。だから、ぼんやりとしたものにならざるを得ない。

しかし、今回の『はだしのゲン』閲覧制限騒動によって、ひょっとしたら全国各地の教育委員会が、各地域の学校図書館に、どのような本を入れているのか選書規準を明示せよと指示する事態になるかもしれない。
どんな本を購入したかとか、どのような蔵書があるかとかを情報公開せよ、開示責任を果たせと言われるかもしれない。
そんないやな予感をこの事件から感じるのだ。

そしてその選書規準や、配架されている資料について、行政や「地域の方々」からクレームや要望をいただくような事態にまで発展するかもしれない。
少なくとも『はだしのゲン』騒動では、それがわれわれの目の前で行われているのだ。

「われわれは団結して、あくまで自由を守る」ことができるだろうか?








2013/08/19

「コピペ厳禁!」よりも、引用をこそ習熟させるべきだ~オリジナル礼賛の危険性~

引用無きところ,印象はびこる」 
これはもちろんオリジナルではなくて、宇佐見寛先生の言葉の引用です。

調べ学習などで、資料を集めた後にそれをまとめる学習があります。
そのときに「コピペ厳禁!」と生徒に指示をすることがよくあります。
先生はどういう意図で「コピペ」を禁じるのでしょうか。
きっと、コピペをしてそのまま貼り付けるような安易な方法ではなく、集まった情報をまとめてほしいとか、自分の考えを述べてほしい、という意図なのではないかと思います。
さらに丁寧な先生ならば、コピペを禁じた跡に、
・具体的な情報のまとめ方(たとえば、グラフィックオーガナイザーなどを提示して)
・自分の考えの導き方(たとえば、推論などの論理のパターンを例示して)
などの情報活用の支援をすることでしょう。そこまで指導できてこその「コピペ厳禁!」です。

※情報活用の指導の参考として、この3冊はおススメです。






しかしもし、そういう情報活用の手順をしっかりと指導していなかったとしたら……、
コピペを封じられた生徒は、いったいどう対処するのでしょうか。
A 引用したことを隠して自分の意見ということにする
B 文章の一部を入れ替えたり、語尾をちょこっと変える

そうですね。Aは盗用、剽窃。Bは改変。
つまり、著作権違反、情報活用の悪用の手法です。
大学の研究者がそれをやったら一気に職を失います。
それほど、学問上では重大な違反行為なのです。
剽窃や改変をする誘惑に駆られる生徒の気持ちはよくわかります。
オリジナリティーあふれる「自分の考え」なんてそうそう簡単に出せるものではないし、情報をまとめろといわれても、どうやったらいいか途方にくれてしまうわけですから。

「まねが悪く、オリジナルはすばらしい」という発想が、どこか教育界には根深くあると思います。
「まねがわるい」という強迫観念が強ければ強いほど、子供はできるだけ模倣していることを隠し、オリジナルを繕おうとすると思います。
しかし、学ぶことの出発点は、「まねぶ」です。この語源どおり、学ぶことはすなわち模倣することにほかなりません。
私のこの意見だって、(記憶にはないですが) どこかの誰かが言い出したことをパクって言っているに過ぎません。
パクるという言い方は下品だから使わないようにするとして、引用するとか、参照する、参考にするということの重要性を、しっかりと教え込むことが重要だと思います。

現在は膨大な情報に囲まれた時代です。インターネット等で必要な情報はすぐに手に入れることができます。だからこそ、短時間で、適切な情報を、必要な情報量だけ取り上げて、引用する技能や習慣を身につけていることが重要だと思います。
膨大な情報の中から、必要な情報をすばやく探し出せるようになること、情報を適切に取り出せるようになることの力は、ひょっとしたら、独創性のある考えを述べることよりも世の中では重要かもしれません。
剽窃や改変を誘発する「オリジナル礼賛」という信仰こそ、百害あって一理なしと知るべきです。

板倉聖宣『模倣と創造―科学・教育における研究の作法』の紹介


仮説実験授業の板倉聖宣氏がかつて直面した盗作問題の裁判をきっかけにして「模倣と創
造」について考察した一冊。
科学研究、教育研究や授業開発などでいつも直面する「模倣と創造」の相克、矛盾についてこの本以上に詳細に論じ尽くした一冊はないだろう。
また、こどもへの教育における「独創」「創造」についても鋭い問題提起を行っている。

この本の概要
教育研究には「独創」や「オリジナリティー」を尊重するあまり、「模倣」が軽視される風潮がある。しかし、「模倣より独創がいいに決まっている」という考えによって日本人の創造性をダメにしているのではないかというのが筆者板倉氏の中心的な関心である。
板倉氏は模倣を「創造のための必要悪」としてとらえるのではなく「模倣と創造は相対立しながらなおかつ不可分なものである」というようにとらえ、「模倣と創造」の関係を矛盾論的、弁証法的に考え直すことの重要性を説いている。

以下、私が気になった言葉
・もともと科学における創造とは、模倣を前提になりたつものである。創造は他人の研究成果の模倣の上にたって行われるというだけではなく、創造は他の人々が模倣するに足るような新しい知識の提供を目指すものだ。
・創造を大切にするためには模倣も大切にしなければならない。
・日本人の創造性のなさはむしろ模倣性のなさにその端を発している。
・翻訳、紹介だって単なる模倣ではなくて、そこには創造的な努力が含まれている。
・模倣はかっこわるいとか、独創がすばらしいという思い込みが盗作を生む。模倣を嫌うと独創性も失われる。
・教育者が過度に創造性を重んじ、それをカッコイイものと思い込むようになると、それは子どもたちにも悪い影響を与えるようになる。
・自由研究では……先生から「自分で考えてやってこい」といわれたことを気にする子どもたちは、そこで自分でやったようにウソをつくように追い込まれてしまう。何かの本を読んだり、親からヒントを得たことをひた隠しにして……
・決められた権威以外のものを模倣する創造性を
・無理に模倣しないことに独創性が表れる。「何をいかに模倣するか」独創的に考える
・模倣はやっぱりすばらしいいので、模倣することを無理に抵抗しない方が良いが、しかし、だからといって、特に受け入れがたいと思われることまで無理に受け入れずに、そんなときは自分で新しい考え方を探るとよい。
・権威を十分に尊重すること。しかし、その権威は自分が権威と認めることによって権威なので、自分どうしても納得できないと思うところがでてきてもなおかつ権威として信じ込むことはやめた方が良い。その権威を疑っても、それでもその権威を認めざるを得ないことの方が多いだろうが、たまにはその権威からそれて、新しいものを発見できるかもしれない。

2013/08/18

ロシアの表情~モスクワ、サンクトペテルブルグ、そしてソ連邦~

隣国ロシアをイメージするのは難しい。
というか、いろいろなイメージがつきまとわりすぎてしまっているから、「何となく怖い国」という漠然とした想像しか今まで持てていなかった。
ソ連時代の社会主義、全体主義国家のイメージ
KGBやマフィアが暗躍する危ない国
ドストエフスキーなどの文豪が描いた重苦しい世界
シベリアなどの広大な自然、大地
ロシアに訪れる前はせいぜいその程度のイメージを持っていたに過ぎない。
そしてそれらのイメージが、実際に訪れて大きく崩れたというわけではないが、やはり実際に現地まで足を伸ばし、その国に生きる人の話を聞いた経験はとても貴重だった。
忘れないうちに書き記しておこうと思う。

レーニン廟と全体主義国家、ソ連邦
ロシアの一つ目のイメージは、やはり「ソ連」だ。
社会主義大国ソ連がどのような国であったか、その社会のなかで生きる人はどんな思いでいたかを、現地に訪れて知りたいと思っていた。
首都モスクワはやはりソ連時代のおもかげが今でもかなり残っている。
赤の広場

レーニン廟
レーニン廟の向かいにはグム百貨店がある
「赤の広場」はクレムリン(城塞)の外側に位置するロシアで最も有名な広場だ。
城塞の中央にはレーニン廟が建っている。今でも革命の指導者レーニンが剥製?になって眠っている。もちろん写真は撮れないが、意外に小柄だったのにびっくりした。
皮肉なことにレーニン廟にはかつてのように長蛇の列になって見学をするスポットにはなっていない。若い人にはほとんど人気がない。しかし中国人観光客には大人気だった!
レーニン廟に向かい合って建つグム百貨店は、今では西側諸国のシャネルとかカルチェのような高級ブランドが店を並べる、若者やお金持ちたちの超人気スポットとなっている。

モスクワ市内にはレーニン像や社会主義プロパガンダのレリーフは至る所にある。
レーニンの妻やエンゲルスなどの社会主義の指導者たちの像もそのまま残っている。
(しかしスターリンの像は民主化後移動させられたという。
また、市内にはスターリン様式といわれる、巨大でいかつい建物があちこちにある。
モスクワ大学
外務省
そして特筆すべきは地下鉄の豪華さだ。
これもスターリン時代、市民たちに社会主義のすばらしさ、豊かさを実感させるために命令して作ったものだという。宮殿のような内装のところどころには、社会主義のプロパガンダのためのレリーフが飾られている。

モスクワ市内の地下鉄、キエフスカヤ駅

地下鉄構内のプロパガンダレリーフ
これらの建物を見ると、「ソ連だなあ」という実感する。
スターリン様式の豪壮な建物や宮殿のような地下鉄を見ると、まるで、映画「未来世紀ブラジル」が描いた全体主義国家のディストピアを彷彿とさせられる。(もちろんモスクワが本家、モデルなのだろう)

さて、こんなソ連時代を生活した人はどのように感じているのだろうか。
モスクワをガイドしてくれたBさんは、刑事コロンボのようなくたびれたかっこうのおじさんだ。
ウオッカ好きが顔に表れている陽気な話し好きの方だった。
そのBさんにソ連時代のことをいろいろ聞いてみた。
Bさんはソ連時代、日本の社会党青年団?がソ連に派遣されたときのガイドの仕事をしていたという。
社会党では、毎年5~6人程度の若者の党員をソ連へ派遣し共産党組織で研修をさせていたのだ。
(社会党や共産党の左翼政党がソ連と密接なネットワークを築いていたことを今まであまり知らなかったから、それがまず驚きだった)
それで、民主化になったとたんにその仕事はなくなったから、読売や朝日などの大手マスコミ取材に随行する通訳として転職した。チェチェンなどの危険な紛争地にいくといいお金になったという。

「ソ連が崩壊して何が変わりましたか?」と単刀直入に聞いてみた。
「うーん、なにもかも、ウラシマタロウのようなものです」と、Bさんは語り出す。
ソ連邦の時代は80パーセント以上が貧乏だったから、一部のお金持ちを除いて平等だった。治安もよかった。
しかしロシアになってからは人々は豊かになったけれど、貧富の差はものすごく開くようになった。治安もとても悪くなった。
ソ連邦の時代は医師や学校の先生など、社会のために貢献する職業が人気があった。
しかし現在では若者たちは、お金がたくさん入るような石油や天然ガスなどの企業に就職することが夢なのだという。

Bさんは今でもレーニンやスターリンを尊敬している。
社会主義は思想としては悪くないと感じている。
スターリンの郷土では、彼はいまでも天才的な指導者、偉人として顕彰されているという。
Bさんのこの話を聞いて私はとても意外に思った。
私は、粛正をしまくったスターリンは悪の権化であり、共産主義、社会主義などの全体主義的思想は人を縛り抑圧するものだと感じている。共産主義なんてまっぴらごめんだ。
だから、ソ連を崩壊させ、民主化を成し遂げた多くのロシア国民にとっては、ソ連時代は憎むべきものなのかなあと思っていた。その予想は大きくくつがえされた。
もっとも、これはBさんだけの、一部の見解に過ぎないかもしれない。
しかしモスクワの町なかには今でもレーニンや社会主義指導者の銅像が建っている。それらはとてもきれいに整備されている。
ひょっとしたら彼らにとってソ連時代はそれほど悪いもの、憎むべきものとしてとらえられていないのではないかという気さえしてくる。
ウラシマタロウの竜宮城はいったいどっちなのだろう?

爛熟・退廃の街、サンクトペテルブルグ
サンクトペテルブルグの街に訪れて感じたキーワードは「爛熟・退廃」の人工都市だ。

そもそもサンクトペテルブルグは街としてはそれほど古くはない。
ピョートル大帝がモスクワからサンクトペテルブルグに街を建設したことから歴史はスタートしている。それが1703年ということだから、日本で言えば江戸の元禄時代のことだ。
ピョートル大帝は、青年時代にお忍びでオランダなどに留学したこともある、
そしてヨーロッパの進んだ文化や科学技術をいち早くロシアに移入しようと考えていた。
だから、内陸部のモスクワではなく海に面したこの都市を建設し、ヨーロッパ進出への足がかりを得ようとしていたのだ。
サンクトペテルブルグの街自体もオランダのアムステルダムをモデルとした、運河が縦横に張り巡らされた美しい人工都市である。
この辺の事情は文明開化を進めた明治の日本国家と似ている。
ロシアも日本も、地政学的に「辺境」なので、進んだ中央文化にいかに追いつくかというのがつねに課題であったのだろう。
サンクトペテルブルグは、
運河が縦横に走っている美しい街だ
夏の宮殿は噴水が見事

エカテリーナ二世が大黒屋光太夫と謁見した広間

ロシア革命の舞台となった冬宮前の広場
サンクトペテルブルグに訪れると、近代ヨーロッパが「冷凍保存」されたような町並みが現在でも残っている。運河、宮殿、教会、広場、そのどれもが18世紀の様式で残されている。
サンクトペテルブルグばペトログラード、レニングラードなどいくつもの呼び名に変わっているが、大戦中は「レニングラード包囲戦」というナチスドイツの攻撃によって、一度壊滅状態になっている。
レニングラード包囲戦(レニングラード封鎖とも)では、900日もの間ドイツ軍に包囲され、街全体が兵糧攻めの攻撃を受けた。
死者は100万人とも言われている。これは日本本土における民間人の戦災死者数の合計(東京大空襲、沖縄戦、広島・長崎を含む全て)を上回るほどだったという。驚くべき損害だ。
サンクトペテルブルグの教会や宮殿などには、わずかながらではあるがかつての戦争の痕跡を伺うことができる。きらびやかな宮殿の奥には戦争の記憶が眠っている。

レニングラード包囲戦とともに古都を襲いかかった衝撃は、ロシア革命とそれに伴う社会主義の政策だった。
社会主義は基本的に宗教を否定している。
そのため多くの修道僧がシベリア送りにされたり、教会の見事な建物が爆破されたり、当てつけのようにじゃがいも倉庫や迷信を否定する科学博物館にされたという。
そのような社会主義者による宗教弾圧も、愛国心の発揚や窮乏への慰みのために次第に容認されるようになってきたという。
これほどの美しい教会やロシア民衆の深い信仰心は、理性や論理の力ではねじ伏せることができなかったのだ。
ねぎ坊主が印象的なロシア正教の教会
ロシア正教の教会は、イコン(聖人の絵)を信仰する
ドストエフスキーを体感する
私にとってサンクトペテルブルグといえばドストエフスキーだ。
ドストエフスキーの数々の小説の舞台となったこの町には、ドストエフスキーの家や、『罪と罰』のラスコーリニコフの家、金貸し老婆の家、ソーニャの家などが残されている。(もちろん実話ではないけれども、街の建物にそのような表示がさりげなくしてある)
『罪と罰』のクライマックス、ラスコーリニコフが大地に接吻する「センナヤ広場」ももちろん残っている。
ラスコーリニコフの家

ドストエフスキーのレリーフが!
ラスコーリニコフの家からセンナヤ広場までは歩いて五分程度。うすら明るい白夜の中これらの街を歩いて回ったことは、どきどきするほど興奮する経験となった。
『罪と罰』(米川正夫訳!)の冒頭の言葉が頭の中でなんどもリフレインしていた。

ドストエフスキーの家近くの街角
七月の初め、方図もなく暑い時分の夕方ちかく、ひとりの青年が、借家人から又借りしているS横町の小部屋から通りへ出て、なんとなく思いきりわるそうにのろのろと、K橋のほうへ足を向けた。

ラスコーリニコフやドストエフスキーが歩いたであろう街は、サンクトペテルブルグ市内でも下町に属する。
きらびやかな宮殿がある中心地が位置から二〇分ほど歩いたところに、この下町が広がっている。観光客が歩き回るような街では決してない。
くたびれた建物とむんむんした臭気と、おじさんたちがうろうろとしている雑踏や路地裏は、おそらくドストエフスキーが暮らしていた頃とかわっていないだろう。
退廃を感じさせる町並み
ドストエフスキーが生活した時代、革命が起きる前夜の時代もきっと、きらびやかな宮殿のすぐふもとに、この薄汚れた街が広がっていたことだろう。
「猖獗を極める」とか「退廃」とかいった、ドストエフスキーの小説を読んで知った言葉たちの意味が、この街を訪れて初めて実感できたような気がした。






ロシアののどかな風景、じゃがいもおばあちゃん
ロシアの若い女性はびっくりするほど美しい。
ミスユニバースに選ばれてもおかしくないような、ものすごいスタイルと美貌とファッションセンスをもっている。そんな女性があちらこちらを歩いている。
しかし、3,40代を過ぎるとその容姿は一気に革命を起こす。
ロシア人曰く「じゃがいもおばあちゃん」。マトリョーシカのようなふくよかな体型、ロシアの母なる大地を体現したかのような恰幅のよいおかあちゃんになってしまう。
ロシアの家庭ではだれよりも女性(母)が強いのだという。
しかし最近では離婚率もとても高く、出生率もかなり低いらしい。これも女性の自立の現れ??
スズタリというのどかな村
モスクワを少し離れるだけで、とこのような緑が広がる
ロシアは大地に対する信仰や愛着がとても強いという。
どこかうそくさく幻想的な宮殿の美しさも確かにすばらしいが、ロシアの悠然とした大地やのどかな風景の美しさもまたすばらしい。
モスクワからサンクトペテルブルグの間の村をすこし巡ったに過ぎないが、ゆるやかに広がる野原はとてもすがすがしかった。日本のように急峻な山があまり見当たらず、とても見通しが広いのだ。
このような豊かな自然に触れることができたのもロシアを訪れた収穫だった。

永遠にして女性的なるもの われらを引きて昇らしむ

自分はあらゆる偏見や差別からは自由でありたいと思っている。
無意味なレッテル貼りやカテゴリーわけは愚かだと思っている。
しかし、男性と女性の違いというものはある程度あるような気がしている。
そして女性(的)なもの(女性であるかどうかではなく)に惹かれるのを自覚している。

いきなり何を言い出すんだと自分でも感じているんだけれども、私の携わる教育の世界でも、好きな文学や音楽、芸術の世界でも、身近で尊敬する人のなかでも、私が注目しているのが「女性」の占める割合が多い気がする。
……やはりこういう言い方は不適切なのだろうか。
その人がその人であるということと同じくらいに「女性だから」「女性的だから」という部分に着目してしまうからかもしれない。
しつこいようだけど、男性/女性というカテゴリーでくくること自体がやはり背徳感というか、ジェンダー意識があるのはよくわかっているんだけど、仕方がない。

自分も含めて、男性(的なもの)を構成するものの中には、やはり権力志向があり、人の上に立ちたい、偉ぶりたい、格好つけたいというプライドとか見栄とか体面を気にする志向が強いように感じる。それが物事の本質を見たり、語ったりするときの障害になったり、逆に促進し、励ますことにもなることはよく実感している。良い面も悪い面もある。
しかし、そのプライドや自信が傷つけられることを恐れるし、プライドが維持できることに汲々としたりするところがあるのはいかんともしがたい。
「……の誇り」とか「……は失礼だ!」とかっていう言い方をするのが、私は体質的に好きではない。
これらは、男性であろうと女性であろうと関係ない。が「男性的なもの」に属するような気がする。

しかし、女性(的ななにか)は、上から目線で、変なプライドとか権力志向でものを考えるのではなく、身体全体で包み込むような感情さとか、大地から根ざすようなまなざしで物事をとらえているような気がする。そういう圧倒的な気持ちの深さには心から尊敬する。
教育の世界でもそうだ。
国語科は特に女性の割合が多いからそう感じられるのかもしれないけど、私が私淑する実践家は女性の方が多い。
男性の実践レポートでたまに見られるのが、言っていることはもっともでとってもカッコイイんだけど、見かけ倒しというか、実践としては貧弱なものがあってがっかりすることがある。(格好つけようと体裁を気にしているとところが、よけいに実践そのものをみすぼらしくさせているのだ)……ああ、これは天につばするコメント、私のことだ……
反対に、女性の先生の実践は、格好つけようという虚飾がないぶん、地味で目立たない、一見提案性のないようなものがあるんだけど、どこかに必ず見るべきものがあるものが多い。無意味な見栄とかプライドではなく、自分の目で見、手でつかみ、築いた記録だからだろうか。
いや、やはり、女性のほうが多いと言うよりは、教育実践や考え方の軸の中にある「女性的なもの」に惹かれるといった方がいいのかもしれない。

2013/08/17

米原万里『嘘つきアーニャの真っ赤な真実』レビュー

民族とは何か? 国家とは何か? イデオロギーは人にどんな影響を及ぼすか?
普段、「平和」な日本に住んでいたらほとんど感じることのないこれらの問いを、切実に感じる時代と土地があった。それが冷戦崩壊前後のチェコスロバキアだ。

この『嘘つきアーニャの真っ赤な真実』はチェコで幼少時代を過ごした作者、米原万里(マリ)の少女時代を描いた自伝的エッセイ(小説)である。

マリは少女時代、チェコの「在プラハ・ソビエト学校」に通っていた。
この学校は名前の通り、世界中から集まってきた共産党員の子弟のための学校だった。
当時ソビエト連邦は共産主義者の国際的なネットワークを築いていた。マリの父親も共産党員としてプラハに派遣され、『平和と社会主義の諸問題』という雑誌の編集局に勤めているばりばりの共産党活動家だった。
そのような一風変わった共産党員のための学校に集まってきた友だちとの出会いと交流がまず3つのエッセイの前半に描かれている。
しかし、のどかな子供時代とは対照的に、エッセイの後半には、卒業後、彼らが直面した過酷な人生の経過が明らかにされる。
冷戦の崩壊が始まり、「プラハの春」という民主化運動の大きなうねりがわきおこった。それとともに、ソ連の巻き返しによる紛争や弾圧が、各国共産党員や社会主義諸国に襲いかかってきたからだ。
大人になったマリは、仲のよかった友人のその後を、あらゆる手段で追跡し、再会しようと試みる。3人の友人との再会がかなったものの。彼らの意外な真実を知ることとなる。
イデオロギーに翻弄され、民族や国家に縛られ、傷つき変節し、たくましく生き延びる彼らの姿は痛々しいほどだ。
国家とは? 民族とは? イデオロギーとは? それらは人間にとってどんな影響を及ぼすものなのか、マリの友人たちのその後を通して描いている。
一番衝撃的だったのは、ルーマニア要人の娘だった、アーニャである。
チャウシェスク政権崩壊寸前のルーマニアは国民のほとんどがひどい困窮の中で暮らしていた。しかしアーニャの父のような政府の役人たちは、宮殿のような豪華な屋敷で暮らしていた。アーニャはそのような矛盾には全く気づかない「パパは労働者階級のためにブルジョア階級と戦っているのよ!」と、まるで模範的な共産党員のような発言を、何も悪びれることなくするのだ。
そしてチャウシェスク政権崩壊後、再会したアーニャは祖国ルーマニアをさっさと捨て、イギリス人の男性と結婚し、幸せな生活を築くことになる。そしてこう言うのだ。
「マリ、民族とか言語なんて下らないこと。人間の本質にとっては、大したものじゃないのよ。……人間は、そのうち、たった一つの文明語でコミュニケートするようになるはずよ」
それに対してマリ(米原万里)はこう言い返す。
「だいたい抽象的な人間の一員なんて、この世の中にひとりも存在しないのよ。誰もが、地球上の具体的な場所で、具体的な時間に、何らかの民族に属する親たちから生まれ、具体的な文化や気候条件のもとで、何らかの言語を母語として育つ。どの人にも、まるで大海の一滴の水のように、母なる文化と言語が息づいている。母国の歴史が背後霊のように絡みついている。それから完全に自由になることは不可能よ。そんな人、紙っぺらみたいにぺらぺらで面白くもない」
…………
この一冊は、米原氏の単なるノスタルジーでも思い出話でもない。
社会主義に翻弄され、特異な経験をおくった米原氏の感性と批評精神が随所にうかがえる作品である。しかし決して理屈っぽくはない。時代に生きる個性的な人間たちが生き生きと描かれ、時折見せる米原氏の知性に何度もうならされた。
ちなみに、3つのエッセイの題名にもある「仕掛け」がある。それに舌を巻かされた。
時を置いて何回でも読み返したい作品だ。

本を紹介することの意味~「ビブリオバトル」改善プラン~

人が好きなことを語っているのを聞くのは楽しい
どんなものでも、その人が大好きなことについて語っているのを聞くのは好きだ。
たとえば、
大好きな本のこと
大好きな料理のこと
大好きな鉄道のこと
大好きなテレビドラマのこと……などなど。
私にとってほとんど興味のない分野のことであっても、他の人が、自分の大好きなことについて熱く語っているのを聞くと、とつい耳を傾けたくなる。そして質問をしたくなる。
私は好奇心が強い方なので、自分にとって未知の分野を知りたいと言う気持ちがある。
しかし、それ以上に、その人が、何をどのように愛しているかを知ることによって、その人のことを深く理解できるような気がするからだ。

本の紹介は、本を読んでもらうことが目的ではない?
本の紹介もそれに似たところがある。
自分は読書傾向がおそらく偏っているようなので、話題の本とか、売れている本とかはほとんど読まない。むしろ読もうとしない。
失礼ながら暴露すると、人から紹介された本は、実際のところ全ては読めない。いや、読みたいとは思うんだけど、ほかにも読みたい本、読まなければいけない本が山のようにあって、どうしてもそれを読むまでの余裕がまわらない。
もっと失礼なことには、人から、「これいいから読んでみて!」と貸してくださることがあるんだけれども、そういう本はほとんど読めずに本棚に積まれていてそのまま……いつか読もうと思っている気持ちだけはあるので、いつになっても返さずに……なんていうパターンがほとんどだ。

でも本を紹介しているのを聞くのは、とっても大好きだ。
本の紹介を聞いて、きっと読むことはないかもしれない本の題名のメモを思わずとってしまっている。

本の紹介は、ひょっとしたら本を読んでもらうことが目的なのではなく、本を通してのその人を知ることに意味があるのかもしれない。
その人は何が好きなのか、何を考えているのか、どう感じる人間なのか……本という鏡を通して人となりを知ることができる。その、「人に対する興味」が本の紹介にはあるのだろう。

私も本を紹介するのは好きだ。
本を紹介したときに、それを聞いた人が、その本を手に取ってくれるのはとてもうれしい。何か、心が通じ合ったような気さえする。
本を紹介することは、他のもの(たとえば、おすすめのラーメンとか、おすすめの文房具とか、アプリとか)の紹介とは、全く意味合いが異なると思う。
本の紹介は、自分の考え方とか感じ方を、相手に手渡すような気さえする。
だから、(あまりないけど)本を紹介したあとに、面と向かってイヤだと言われたり、拒絶されたら相当ショックを受けるだろう。自分の存在の一部を否定された気さえするかもしれない。

「ビブリオバトル」使用上の注意点
ビブリオバトルという「本紹介ゲーム」がある。
もともとは大学生が考案したゲームだ。
最近では、高校~大学院生が参加する大規模な大会も開催されるようになった。
(出版社などのバックアップもあるんだろうか)
公式サイト
ビブリオバトルの全国大会「ビブリオバトル首都決戦」のサイト

ビブリオバトルの【公式ルール】
  1. 発表参加者が読んで面白いと思った本を持って集まる.
  2. 順番に一人5分間で本を紹介する.
  3. それぞれの発表の後に参加者全員でその発表に関するディスカッションを2~3分行う.
  4. 全ての発表が終了した後に「どの本が一番読みたくなったか?」を基準とした投票を参加者全員で行い,最多票を集めたものを『チャンプ本』とする.
ビブリオバトルとは、ようは「本紹介ゲーム」だ。
グループで本を紹介しあい、一番読みたくなった本を多数決で決めるというシンプルな活動だ。
手軽な読書活動なので、これから、大学や高校だけでなく小・中学校でも一気に広がっていく可能性が大である。(2013年8月時点)
ビブリオバトルのようなゲームを通して、本を紹介し合うことが気軽に行われ、日常的なものになっていくことはとてもいいことだと思う。

しかし、「本を紹介すること」にはどのような意味があるか。ということへの考えなしに、形だけゲーム感覚で飛びつくのはやや危険な気がする。
ゲームには競争や勝ち負けがつきものだ。しかし、それが加熱してしまい、生徒の意識が勝ち負けに集中してしまうようになってしまっては逆効果だろう。
紹介した本が、多くの人に支持されて読まれることを目的とするのは。本の作者や、本屋さんや、出版社の発想ではないか。なぜ私たちが出版社のように競争しなければいけないのだろうか。多数決によって「勝ち負け」を決める必要があるのだろうか。
紹介した本を、できれば手にとって読んで欲しい、しかしそれ以上に、たとえ読まれなくても、本の感動を伝えたい、本の魅力を伝えたい、そして、この本が好きな自分という人間を受け入れて欲しい思う気持ちのほうが、勝ち負けを求める気持ちよりも自然なのではないか。
「本を紹介すること」の隠された意味は、「自分について知ってもらうこと」にあると思うからだ。
だから、自分にとっての思い入れのある本を他の人に受け入れてもらう経験を誰にでも味わって欲しいと思う。自分が紹介した本が、みんなから否定されるような経験はできればさせたくないという思いがある。
高校生や大学生ほど精神の耐性がないのが小中学生だ。ただでさえ、自己肯定力が高くなく、そしてそれほど本が好きではない生徒が、このような熾烈な競争のようなものに参加させられたら、一気に読書嫌いになってしまう可能性すらあるのではないか。考えすぎだろうか。
取り扱いにはよくよく注意する必要がある。

本紹介ゲーム、わたしならこうする

たとえば、無作為な競争とか、価値観の拒絶にならないように、本紹介ゲームを次のようにカスタマイズしてみたらどうだろうか。

・匿名でチャンプ本を決める
純粋に本の紹介文だけを印刷して読みあい、どの本を読みたいか決める。
「誰が」という要素がなくなるのでややおもしろみには欠けるが、人気投票やプレゼン能力に左右されないというメリットはある。

・誰が紹介したかを当てる
これは、むしろ「誰が」という要素をクローズアップしたもの。
匿名の本紹介を読み、誰がこの本を紹介したのかクイズ形式で考えるのだ。
意外な人が、意外な本を紹介していたりして盛り上げるかも知れない。
お互いのことを知り合える活動にもなる。

・他の人の本を紹介しあう。
自己紹介ならぬ「他己紹介」のように、たとえば2人組で協力し合い、他の人が取り上げた本を代わりに紹介する。
お互いに本についての思いを共有し、理解しあってから、協力して売り込んでいく活動だ。

・グループで一冊の本を売り込む
上記の他己紹介をグループ単位に広げたもの。CMのようにしても面白いだろう。

・「チャンプ本」ではなく、誰にとっておすすめの本になるかを考えあう
万人に支持される本ではなく、この本だったらこの人に、とターゲットを明確にする活動。
「受験生向けの本ベスト3」とか、「部活動で頑張る君に送る本10選」のように、紹介された本をいくつかのカテゴリーに分類してみる。
個人でまとめても、グループで選んでもよいだろう。
ユニークな「くくりのフレーズ」を考え合う活動なんて楽しいかもしれない。

2013/08/08

私の絵画鑑賞法~誰でも楽しめる絵の見方、語り方20+α(仮)~

絵を見るのは好きだ。
私はちっちゃい頃から画集とかを飽かずに眺めていたタイプの人間だ。
だから、美術の専門的な知識なんかに触れるずっと前から、何か絵には惹かれるものがあり、見続けてきた。
保育園に行っていたときに一度だけ絵を習いにいったことがある。しかし絵の才能なんてなくすぐにやめてしまった。
絵を描く世界には進むことはできなかったが、せめて絵を見て楽しむ人生はこれからも送っていきたいと思っている。

ちなみに、お気に入りの画家はブリューゲル。
子供の遊戯

雪中の狩り
この何とも言えないほっこりほんわかな雰囲気が大好きだ。
もちろん、ブリューゲルだけでなく、ゴッホも、若冲も、マグリッドもなんでもかんでも、絵でも彫刻でも眺めていることは大好きだ。
彫刻?というか仏像ではなんと言っても興福寺の五部浄像。何かもの言いたげな表情に引き込まれる。腕がとれてしまっているミステリアスなところも引きつけられる。ちなみにこの失われた片腕は上野の国立博物館にあるそうだ。興福寺に所蔵している仏像はすべて大好きだ。何時間でも見ていられる。
五部浄像(興福寺)
さて、芸術作品を鑑賞するには、作法というか知識が必要で、ある程度勉強をしないとその価値がわからない、ということがある。それはまさしくごもっともだと思う。
しかし、そういうアカデミックな見方ではなく、もっと素朴に楽しめるような見方もあっていいのではないかと思っている。
そんな楽しみ方の価値に気づかせてくれたのがみうらじゅんさんだ。


みうらじゅん×いとうせいこうの『見仏記』は異色の仏像鑑賞本だ。
仏像を小難しい用語を使うことなく語っている。それも、あのみうらさん特有のねちっこさで、仏像をロックのライブにたとえたり、サンダーバードの出撃シーンにたとえたりと、ともかくはちゃめちゃに語り倒しているのだ。
もちろん、仏像に対する深い深い「愛」も感じられる。この一冊から。取っつきづらかった仏像が身近に感じられるし、仏像の楽しみ方、見方も教えてくれる、私にとっては偉大な一冊だ。

そんなみうらさんほどの過激さはなくても、みうらさんのように、取っつきづらい芸術作品を楽しく語る味わい方もあっていいのではと感じている。

確かに、芸術に関する知識があると「分かった気」にはなる。
けれど、やはり知識だけでいいの?本当に味わっていると言えるの?という気になる。
私のような半可通が、中途半端な知識を振り回して「分かった感」をまき散らすことほど、芸術の世界からははほど遠いような気さえする。
芸術を味わう際に一番大切なのは、「理解すること」よりも「感じること」ではないのか。
理解がおざなりになってはいけないだろう。しかし、中途半端な理解が先行するあまりに「感じること」が大切にされないのならば、本末転倒だ。

というわけで、私流の絵の見方、絵の語り方を20個紹介する。
……見方というか語り方、イメージの仕方、遊び方といった方が適切かもしれない。
本当に優れた作品、衝撃的な作品に出会ったら、人は何も言えなくなる。そういう「沈黙の力」が美術作品にはあると思う。語るだけ野暮な世界かもしれない。
まあ、私みたいな素人の、絵を遊ぶ方法として。

◆絵を買うつもりで見る
・自分の部屋に飾るとしたらどの絵がいい?
・この絵はどんな部屋だったら似合うかな?
・この絵、額に負けちゃっていない? むしろこっちの額のほうがよくない?
・こんなでかい絵、どこで描いたんだ? どうやって運んだんだ?

◆絵を見ている人に思いをはせる
・この絵を初めて見た人は、どんな場所で見たんだろう?そのときどんな反応だったんだろう?
・(絵が描かれたあとの)○○時代の人はこの絵をどう見たんだろう?
・この絵は最初に誰が買ったんだろう?どんな人の手を渡ってどうやって保存されてきた?
・歴史上の人物(ナポレオンなど)もこの絵を見たのかなあ?それをどう感じたんだろう?

◆作者についての想像
・作者は何を描こうとしていたんだ?それにどんなこだわりや、工夫があるんだろう?
・描いているときにどんなことを考えていたんだろう?
・描かれている人と作者との関係は? どんなやりとりがあった?
・(宗教画などの場合)どんなところに作者の思い(信仰など)が表れているんだろう?

絵の情景を再現フィルムで再生
・絵に描かれている人々同士はどんな話をしているんだろう
・どんな音が聞こえてくる? 風は?天気は?気温は?光は?
・絵の額縁の外側にはどんな世界が広がっているんだろう?
・どんな順番で描かれたんだろう?制作の過程を巻き戻してみると、きっと……。

◆そのほか
・この絵についている傷はきっと深読みすると……この絵の具の盛り上がっているところはきっと……
・この絵を見ていて流れてきそうな音楽は……
・この絵に題名をつけるとしたらなんてつけようかな? どんなキャッチコピーがいいかな?
・展示会の構成、絵の配置、見せ方は……

絵を楽しむためには、こんな視点で語り合うのも面白いのではないだろうか?

絵の見方を学ぶことの意義~『まなざしのレッスン』レビュー~

『まなざしのレッスン』についての内容を紹介する。
大学での美術鑑賞の講義をもとにして書いたテキストで、まるで講義を聞いているかのように分かりやすく説明している。
主として近代以前までの絵画作品を取り上げ、その絵の見方を具体的に伝授している。
解説のアプローチとして工夫されているのは、時代や作者ごとに作品を説明するというのではなく、何が描かれているのかという主題ごとに解説した点である。
取り上げている主題は、ギリシャ神話、キリスト教の宗教画、寓意画、歴史上の出来事、肖像画、風景、風俗画、そして静物。
それぞれの主題にどのような描き方のパターンがあり、それをどのように描いてきたか、どんな技術が反映しているか、それらにどんな意味が込められているのかを、代表作を取り上げつつ、具体的に説明している。
また、絵画鑑賞を楽しむための視点を10あげている。
たとえば、絵がどこに置かれていたか(教会や宮殿など)や、絵を注文した人の存在など。
こういう、一見美術の本質とは関係のなさそうな知識を身につけることが、絵の見方の大きな影響を与えていることをこの本から学ぶことができる。
一つ一つの説明が目からウロコで、筆者の解説を聞いただけで、今まで見たことのある有名な絵画作品の見方が一変したのはとても新鮮な経験だった、

ただ、難を言えば絵画の写真が小さかったりモノクロで見にくいのと、文章中心のレイアウトがやや取っつきづらところが残念だった。
その点、下記の本(シリーズにもなっている)は、美術鑑賞の手引きとして楽しく、分かりやすく読めてよい。東大生向けでなくぜひ一般向けにも書き下ろして欲しい。


















巨匠に教わる絵画の見かた

視覚デザイン研究所  (1996)



紙面はこんな感じ。とっても分かりやすい!楽しい!
さて、西洋絵画の見方や知識を学ぶということ以上に関心があったのは、そもそも「絵の見方」を学ぶとはどういう意味を持つのかという点だ。
筆者はそれを「自分自身のイメージのネットワークを作る」という言葉で表現している。絵を見る時の前提となる知識、さまざまな絵画を鑑賞してきたという経験、そして自分の生活経験から培われた価値観や審美観、その三者が網の目のような繊細なネットワークを作ることで、作品を十全に味わうことができるということである。
その「イメージのネットワーク」を広げることが、すなわち「まなざしのレッスン」であると言うことに他ならない。

作者は「絵の見方を学ぶことの意義」を次のように述べている。
***
絵など自分の目で自由に見ればよいとする考え方には、実は大きな錯誤があると私は思っています。たとえそう意図したとしても、私たちは必ずしも「自分の目」で見ているわけではなく、「自由に」眺めているわけでもないのです。どこかで聞きかじった断片的知識が、自分の絵の見方に全く作用していないと言い切れる人が果たしているのでしょうか。

「視線」は本来決して「無垢」ではない。見るという行為は学ぶものであり、まなざしは「すでに」教育されているものです。


しかし、純粋に主観的な視線が存在しないように、完全に客観的な視線も存在しえないのです。過去に属する特定の歴史的、社会的、文化的状況下で、自分とは異なる価値観を持つ人間が作り出したイメージという条件が無視できないように、そのイメージを今この私が見ている、特殊な人生を背負ってこの時代を生きているある個人の眼が眺めているという条件も決して消去できない。絵を見るとは、したがって、この二つの条件の間をまなざしが揺れ動くことに他なりません。……知的な手続きを通した作品理解と、文字通り絵肌に触れるような新鮮な視覚体験が、互いを損ねることなく折り合わされたときほど、言いかえれば、今この私が自分の目で歴史的な存在としての作品の内実を追体験したときほど、絵を見る醍醐味を感じる幸福な瞬間はないでしょう。


美術史家が絵に関してさまざまな判断を下したり、おもしろさを見いだしたりできるのは、単に知識の多寡だけの問題ではなく、十分な広さと密度の濃さを持ったイメージの網の目を、一種のデータバンクとして脳内に持っているからなのです。……専門家でなくても、実際の作品を見たり、作品相互を比較したりすることによって、誰のものでもないあなただけのネットワークがきっとできていくはずです。そうした自覚体験の蓄積とあなたの感性とが合わさった時、独自の「趣味」や「美的な判断」と呼べるものが生まれてくることでしょう。


「見ること」を意識化し、自らの「視覚の戦略」を立て直す必要がある。

「見ること」を媒介しにして他者を発見し、自らを再発見すること。

絵というのは自分流に見ても十分面白いが、筋の通った見方を知って接すると、もっと深く、さらに面白く見えてくるものなのです。


2013/08/07

古文教材の固定化から脱出するために~古典の教材開発の視点~

古典教材のパターン化の危険性
学習指導要領に「伝統的な言語文化」の項目が登場し、小学校段階から積極的に古典が取り上げられるようになった。
国語という教科を通して、日本の文化を享受、継承、そして発展させていくというコンセプトにはとても共感ができる。教養教育としての古典の価値については、今更言うまでもないことだろう。
そこで、問題は何を古典のテキストとして取り上げ、どんなことを学ばせるのかという視点だ。
私が憂慮するのは「伝統的な言語文化」として古典が重視されればされるほど、教師が気軽に古典に取り上げ、触れさせる機会が減少してしまうのではないかということだ。
「教えるべき古典」、「優れた古典」というテーゼが、古典教材や古典教育の教条化、固定化を招いてしまわないかという危惧である。
たとえば、音楽では学習指導要領にて昭和三十三年度から「共通教材」として「荒城の月」や「ふるさと」のような「古典」的な文部省唱歌が学習指導要領で取り上げられている。
国語科ではどうだろうか? 現行の学習指導要領では、小学校においては、低学年では昔話や神話、伝承、中学年では文語の短歌や俳句、ことわざや慣用句、故事成語、そして高学年では親しみやすい古文や漢文、近代以降の文語調の文章を取り上げるように指示されている。
このように踏み込んだ古典教材選択の視点の提示は前代未聞のことである。
かたや中学校ではどうか? 散見する限り、中学校の古典においてはここ一〇年、ほとんどパターン化されてしまっているように見える。
1年生 竹取物語
2年生 枕草子・徒然草・平家物語
3年生 おくのほそ道・和歌
※このテキストに、故事成語や論語、漢詩などの漢文が入る。が、漢文は日本の古文ほど固定化されていない。

提出する順番、そして内容までもがほとんど同じ。
基礎基本を考えれば、これらの古文は間違いなく「教えるべき古典」であり、「優れた古典」である。
しかし問題は、教材が固定化、パターン化されてしまっていることにより、古典の学習そのものが固定化、パターン化されてしまう危険性があると言うことだ。
なぜこの古典を選択するのか、どうやってこの古典を学んでいくのかという、当たり前の教材開発の発想が、固定化された古典分野では十分に生かし切れない危険性があるのだ。

古典を学ぶ意義
我々にとって古典を学ぶ意義とはどこにあるのだろうか?
(本来「古典」といえば日本のものだけではないが、とりあえず日本(漢文含む)のテキストに限定する。

A、文語のことばの響きを味わう
文語文を体を通して味わい、その響きをつかむ
古語の深層にある、日本人を形成している価値観に触れる

B、古人に共感する
・古代から連綿と続く人々の営みや、その喜怒哀楽に共感する
・古典に表れた、日本文化や日本人の精神思潮について思いをはせる

C、古文の世界との違いから学ぶ
・現代とは大きく異なる価値観に触れて、自分たちの価値観を相対化する
・いにしえの人々の生活や生き様を想像する

D、古文を生きる糧にする
・古典に表れた知恵を、自らの生きる糧とする
・温故知新、古典テキストに埋もれている新しい知見に出会う

上記のA~Dが古文学ぶ主ななねらいになってくる。
A~Dはすべて満たさなければいけないというものではない。
最近では、原文ではなく現代語訳を積極的に活用した学習活動も開発されている。

そこで、これらの視点を学ぶために最も適した古典テキストを選択することが必要だろう。

古文教材の固定化から脱出するために
小学校、高等学校ほど、柔軟に古典教材の開発が進んでいないのが現状である。
中学校でも触れることのできる、そして価値ある古典のテキストにはどのようなものがあるだろうか。

A、文学以外の歴史書などの史料的なテキストと関連して扱う
・古事記、日本書紀とヤマト政権
・壬申の乱と万葉集(額田王!)
・方丈記と大地震

B、人物に焦点を当てたテキスト
・紫式部日記と紫式部の短歌
・御堂関白記と藤原道長

C、ゴシップ的なテキストをおもしろおかしく扱う
・今昔物語(本朝世俗部は面白い!)

D、現代語訳との重ね読み
・竹取物語と、複数の現代語訳との比較
・「お伽草紙」と現代の昔話

E、社会科で習った歴史的な文章を読む
・憲法十七条と日本国憲法の比較
・蘭学事始や解体新書、和算などの理科的な内容の古文
・大黒屋光太夫の漂流記
・学問のすすめ
・東海道中膝栗毛などの旅行記と地図

F、地域に残る歴史資料を読む
・神社やお寺の創設の由来
・地域の民話、伝承

G、現代にも残る古文
・お経や祝詞
・地名の由来

これらのテキストを学習材として与える時に重要なのは、読者である生徒の「古典との出会い」を効果的に演出すると言うことだろう。
教科書に出ているから教えるのではなく、理想は、生徒が必要観や興味関心に迫られて読みたくなるような学習活動をデザインすることだろう。
古典は、「偉い人が、この作品が古典!」と言っているから古典なのでなく、一人一人の読者が、テキストと出会い、古典の価値があると認めたときに、初めて古典となるのだ。一人一人が、自分にとっての古典を見いだし、出会っていくというプロセスこそが重要なのだ。
そう考えると、古典との出会いを演出するための、古典の学習活動はもっと多彩であっていいはずだし、教材となるテキストの開発ももっと多様であっていい。
教師の教材研究、創意工夫の余地は大きいと思う。
古典教育はまだまだ十分に開発されていない。

単元 わたしの「学問のすすめ」~古典が語る「学び」のヒント~

Ⅰ 単元名 わたしの「学問のすすめ」~古典が語る「学び」のヒント~

Ⅱ 単元の考察
新学習指導要領では、古典指導は「伝統的な言語文化に関する指導」へと転換した。今までの古典指導のねらいであった「古典に親しみ、文化や伝統に関心を持つ」ということから発展させて「言語文化を享受し継承・発展させる態度を育成すること」を重視するように内容が構成されている点が大きな違いだといえる。言語文化を享受し継承・発展させる態度を育成するための、これからの伝統的な言語文化に関する指導のあり方について授業を通して検証していきたい。
本単元は「学ぶこと」というテーマをめぐって複数の古典を読み、互いに感想交流をし、古典の言葉を活用して自分の考えをまとめるという学習活動を展開する。感想交流、情報活用といった言語活動を通して、古典を読む力を確かなものにしていく。
古典を読む力とは、たんに古文を読んで理解するということにとどまらない。古典を解釈し、それをもとに感想を述べたり、いくつかの古典を必要に応じて読み、自分の考えを豊かにする力も古典を読む力には含まれている。また、多くの古典に親しみ、古典の読書生活を豊かにするという態度や古典を享受し継承・発展させるためには欠かすことはできないだろう。
本単元ではとくに「古典を読んで自分の考えを豊かにする力」に焦点を当てて授業を構成する。
この力は、次のような力に細分化することができる。
①古文の意味をつかみ、書かれている内容を理解する力
②古典のなかの考えを、現代に置き換えて理解する力
③古典のなかの考えと、自分の考えとを比較する力
④古典のなかの考えを取り入れたり、批判したりすることで自分の考えを豊かにする力
これらの力をつけるために、本単元では以下の点に留意して学習活動を構成した。
一つめは、学習テーマの設定である。古典を読み進めるために「学ぶこと」をテーマに設定してい
る。受験のための勉強に追われる生徒にとって「学ぶこと」は身近であるがあまり考える機会のない、意義あるテーマであるといえるだろう。「学ぶとは何か」「なぜ学ぶのか」「どのように学ぶのか」などのテーマは、生徒にとって関心を持って読み進めたり、自分の意見を述べたりすることが期待できる。
二つめはテキストの構成である。テキストは『論語』、伊藤一斎『言志四録』、福澤諭吉『学問のす
ゝめ』、を取り上げた。この三つの文章は、漢文(的)な文体を持っているところが共通している。
簡潔で、力強く、歯切れが良いこの文体は、音読して心地よく、簡略化された表現は含蓄に富んでいる。古典の言葉を読み自分の考えを表現するのに十分な内容と深さを持っている。古典に触れ、楽しむ段階から、解釈し、味読する段階へと移行するこの時期のテキストとして適切であるといえる。
三つめは、つけたい力に適した言語活動をとることである。複数の古典を取り上げて読む活動は、
自分の考えに活かせそうなものを選択させたり、読み比べたりすることで思考を深めることができる。
また、感想交流という場は、テーマについて考えを深め、古典から学んだことを表現する学習の場となる。単元の最後には、学習を通して学んだ古典を引用して文章にまとめる。古典を引用して自分の意見をまとめることで、自分の体験や意見とを関連付けながら古典を読む力を高め、古典にいっそうの親しみや愛着を持つことができる。
古典は、自分の生活の中で活かされてこそ、その価値を持つ。古典を読んで自己の考えを豊かにする学習活動を通して、より一層古典に親しみを感じ、古典の読書生活を豊かにし、古典を継承、発展させる態度を養っていきたい。

Ⅲ 単元の目標
(1)古典のなかの考えを読み取り、「学ぶこと」についての自分の考えを豊かにすることができる。
(2)複数の古典の中から適切な情報を得て、自分の考えをまとめることができる。

Ⅳ 指導計画
第一次
単元の流れを知る。
・日頃の「学ぶこと」を振り返り、テーマについて考える。
・本単元で取り上げる古典について知る。

第二次
「学ぶこと」をテーマに古典を読み、感想を交流する。
○『論語』『言志四録』『学問のすゝめ』を読み、内容を理解する。
○追求したいテーマについて参考になる言葉を「名言集」として書き留める。
○私の「学び」論を書く。(古典を引用して自分の意見をまとめる。)
○意見交流会を行い、自分の考えを深める。
第三次古典から学んだことを文章にまとめる。
○単元の学習を通して学んだことを「あとがき」として文章にまとめる。
○表紙・奥付を作り、『私の「学び」論』の小冊子を完成させる。

2013/08/05

理論と実践との関係

実践的研究家(研究的実践家)にとっては、実践と理論をつなぐ嗅覚のような感性は必要だと思う。
実践にもよいものとそうでないものはあるし、理論だってすべて優れているわけではない。
ともあれ、膨大なエビデンスに日々触れることのできる実践家として胸を張っていきたいと思う。

理論や実践はイデオロギーであってはならない。本質に近づくための手段でなければならない。
イデオロギーになったとたん、本質から目を背けてしまうようになる。
私にとっては、理論は「メガネ」、いいメガネは本質がよく見える。
しかし、見るべきものに気づかず、見ようとしない人には本質はとらえられない。
そして、いくらいいメガネを持っていたとしても、実践が伴わなければ現実を変えることはできない。

教材としての小林一茶  ~キュレーションとしての価値に着目して~

1、問題の所在
 現行の学習指導要領では小学校国語科で「伝統的な言語文化」が取り上げられるようになった。そのため、小学生向けのさまざまな古典が発掘され、教科書にも採録されるようになってきた。
 低学年では昔話や神話、伝承、中学年では文語の短歌や俳句、ことわざや慣用句、故事成語、そして高学年では親しみやすい古文や漢文、近代以降の文語調の文章を取り上げるように学習指導要領では指示されている。このように踏み込んだ古典教材の具体的な指示はおそらくそれ以前のものでは出されていないはずである。改訂の経緯の中に、伝統的な言語文化の享受、継承し、そして我が国の言語文化を発展想像するという重点が示されているが、それを具体的な形で示したのが、「伝統的な言語文化」の項目というわけだ。
 さて、学校現場で触れることのできる古典として小林一茶の俳句がある。一茶の作品は小学生にもとても人気がある。分かりやすい表現、ユーモアたっぷりの内容など、子どもたちを引きつけるその理由はよく理解できる。芭蕉、蕪村と並んで一茶は俳聖と並び称されているほどの代表的な俳人であるが、彼の作品は、芭蕉や蕪村ほど難解ではなく、「古典」らしさを感じさせないものが多い。おそらく、その時代固有の文化や価値観を超越したまなざしを持っているからこそ「現代性」というアクチュアリティーを持ち続けているのだろう。一茶の作品は郷愁や回顧で語られる作品ではなく、いつの時代になっても「現代文学」でありつづける価値が内包されている。
 一茶の作品をあらためて読み返してみると、教材として取り上げられ、学んできた一茶のイメージと、大人になってからあらためて出会う一茶の魅力が全く異なることに気づくだろう。後述するが、一茶の作品や、そこから垣間見える彼のまなざしは彼の人生と分かちがたく結びついている。先ほどの俳聖の3人で比較をすると、芭蕉は「道」としての俳諧を、蕪村は「芸」として、そして一茶は「生」を詠んだ俳諧とも言われている(山下1967)。一茶の俳句は彼の複雑な生き様と切り離して理解することはできない。一人の人間の人生が、一つの物語に収斂するような単純なものではないように、一茶の作品は、彼の複雑な生き様を理解すればするほど、作品を読めば読むほど複雑な様相を呈する。彼の作品は決して分かりやすくなんかはない。諧謔に満ち、ニヒリズムから発せられる哄笑を感じさせ、そして世にはびこるステレオタイプな価値観を吹き飛ばすエネルギーに満ちている。教科書を通して学ぶ一茶の俳句は、彼の二万句にも及ぶ作品のごく一部を切り出し提示したものに過ぎない。教科書編集の意図によって都合よく加工され、脱色された一茶作品群なのだ。
 それでは、一茶の多様、複雑、重層的な魅力に近づくためにはどのようなアプローチが考えられるであろうか。
 本稿では、一茶の作品の魅力をどのようにとらえ、それをどうやって教育現場において味わうことができるか考察する。

2、小林一茶の人生とその作品
「盥(たらい)から盥へうつる ちんぷんかん」
(赤ん坊のときはたらいで産湯を使い、そして死んだら、たらいで湯灌をして天国へ送ってもらうもらう。人生とは、そのたらいからたらいの間の「ちんぷんかん」なものだ)
 一茶辞世の句という伝説が残る句である。実際は偽作の説が濃厚ではあるが、一茶の人生とその人柄を表す一句ではある。一茶にとって彼の人生はまさに「ちんぷんかん」としか形容できないほどの紆余曲折を経たものであった。
 一茶は北信濃の百姓の家に生まれた、一茶にとってはじめに訪れた転機は、三歳の時に母「くに」を失ったことである。幸いにして祖母が健在だったため、しばらくは父と祖母との三人で暮らしていた、しかし、八歳の時に父が後妻をもらい、その継母に面倒を見てもらうことになったときから彼の置かれた状況は一変した。継母が産んだ義弟仙六の子守をさせられたり、家の手伝いをさせられたりと、苦労、心労の絶えない幼少時代であったようだ。
「抑(そもそも)汝は三歳の時より母に後れ、やゝ長(おさ)なりにつけても、後の母の仲むつまじからず、日々に魂をいため、夜々に心火をもやし、心のやすき時はなかりき。」(『父の終焉日記』)

 後年、一茶は彼の幼少時代を次のように述懐している。
「親のない子はどこでも知れる、爪を咥えて門に立つ、と子どもらに唄はるゝも心細く、 大かたの人交りもせずして、うらの畠に木・萱など積みたる片陰に跼(かがま)りて、長の日をくらしぬ、我身ながらも 哀也けり
 我と来て遊べや親のない雀 六歳弥太郎」(おらが春)

 彼の二度目の転機は、陰ひなたとなって一茶をかばってくれた祖母の死去であった。
「明和五年八月十四日、杖柱とたのみし老婆、黄泉の人と成り消たまふ。有為転変、会者定離は、生あるもののならひにしあれど、我身にとりては、闇夜に灯失へる心ちして、酒に酔へるがごとく、虚舟に浮めるがごとし。旦暮(あけくれ)称名のみをちからに日をおくる。」(『父の終焉日記』)

 祖母の死去に対する彼の落胆は大きかった。一茶はついに決意して郷里を飛び出し、単身江戸に奉公に出る。
「ふとおもひけるやうは、一所にありなば、いつ迄もかくありなん。一度古郷(ふるさと)はなしたらば、はた、したはしき事もやあるべきと、十四歳と云春、はろばろの江戸へはおもぶかせたりき。」(『父の終焉日記』)

 江戸での奉公先で俳諧に出会い、めきめきとその才能を開花していく。二十九歳で俳諧師(業俳)として独り立ちするようになった。全国各地を渡り歩き、弟子に俳諧の手ほどきをすることで生計を立てていたようである。
 三十九歳の時にようやく一茶は帰郷する。しかし、郷里に帰るやいなや、彼を襲ったのは父の発病、そして介護であった。
 一茶が書いた『父の終焉日記』にはこの時の様子が克明に記されている。この『父の終焉日記』は文学史上最古の「介護小説」ともいう内容である。病に倒れた父を懸命に介護するも、絶命し、初七日を迎えるまでを淡々と日記形式で描いている。
「寝姿の蝿追ふ今日が限りかな」
「父ありてあけぼの見たし青田原」
 父の死後、遺産の相続問題で義母や弟と揉めることになるが、その近親との確執や、病床の父に冷たく当たるさまなども、かなり生々しく描かれている。読んでいて痛々しいほどだ。この作品が最初の私小説とも、自然主義文学とも言われる所以である。ただし、相続で揉めた義母らをかなり悪人に描いているところは、やや誇張して書かれているような節を感じる。
 相続問題が決着して、遺産の一部を譲り受け、ようやく故郷に帰り、安住の地を得たころにはすでに五十歳になっていた。故郷柏崎に戻ってきた一茶は、ここで精力的に俳諧の指導にあたる。妻もめとることができた。子どもも四人授かった。彼にとって、五十代になってようやく人並みの幸せを手にすることができたのである。
 『おらが春』からその頃の一茶の様子をうかがうことができる。
『おらが春』には、やっと授かった我が子の誕生と、子どもがすくすくと育つ様子が生き生きと描かれる。
「名月を取ってくれろとなく子哉」
「這へ笑へ二ツになるぞけさからは」
 しかし、その幸せもやはり長くは続かない。子どもが順調に育っていたかと思ったら、あっという間に、次々と我が子に先立たれてしまう。
「露の世は露の世ながらさりながら」

 四人の子を一年足らずで失い、さらに十年間付き添っていた妻も病で亡くなってしまう。その後後妻を得るも80日ほどで離縁、六十四歳で三番目の妻さやを迎えることになる。
 最晩年の一茶にも不幸が襲いかかる。一茶の住んでいる柏原宿に大火が発生し、彼の住んでいる家も焼けてしまうのだ。結局一茶は焼け残った小さな土蔵で生涯を終えることとなる。(その土蔵は今でも残っている。幸いにして三人目の奥さんは、一茶の死後に子どもを授かることができた。今でも小林家の子孫がご健在だそうだ)
 決して幸せは言えない生涯を送った一茶であるが、どうしてあのような、からっとした句を作ることができたのだろうか。
「われと来て遊べや親のない雀」
「やせ蛙まけるな一茶これにあり」
「悠然(いうぜん)として山を見る蛙(かへる)かな」
「大の字に寝て涼しさよ寂しさよ」
「やれ打つな蝿が手をすり足をする」
「これがまあ終(つひ)の栖(すみか)か雪五尺」
など。
 一茶の人生と彼の句とを重ね合わせて読み味わうと、そのニヒリストながらも吹っ切れたエネルギーに圧倒される。

3、小林一茶の享受史
 一茶が生涯で詠んだ句は、なんと2万句と言われている。芭蕉は約千句、蕪村は約三千句。桁違いに旺盛な創作量である。一茶が生涯で読んだ句は膨大だ。
 その、あまりにも巨大すぎる一茶を、どう理解するか、どんな切り口で迫るかというのはとても難しい問題だ。
 時代を追って、一茶の作品がどのように享受されてきたかを整理してみたい。

1)正岡子規の一茶観
 批評の対象として初めて一茶作品が取り上げられたのが明治期、正岡子規によってである。「一茶の俳句を評す」という批評の中で、子規は一茶を取り上げている。
  「天明以後俳諧壇上に立ちて、特色を現したる者を、奥の乙二、信の一茶とす。一茶最も奇警を以て著る。俳句の実質に於ける一茶の特色は、主として滑稽、諷刺、慈愛の三点にあり、中にも滑稽は一茶の独壇に属し、しかも其軽妙なること、俳句界数百年間、僅に似たる者をだに見ず。」
 一茶の俳句の特徴として「滑稽、風刺、慈愛」を取り上げているが、この三点がその後の一茶観に大きな影響を与えることになる。

2)束松露香
 その後、束松露香が『俳諧寺一茶』(明治三十三年)を信濃毎日新聞紙上で連載。一茶の評価がさらに高まることになる。
 束松露香は一茶の性格をさまざまな角度からとらえている。「皆一視同仁の愛情に富む一茶」「小児の如き痴態を演じる一茶」「剛胆な一茶」「滑稽人としての一茶」「風刺家としての一茶」。そして総合的に見て「極端なる一種の潔癖家」「激烈なる特殊な熱血家」と一茶をとらえている。

3)自由主義文学としての一茶
 大正期に入ると、一茶の研究は一層活況を呈するようになる。一茶研究を後押しする気運となったのは、当時流行した自然主義文学の影響である。特に『父の終焉日記』の生々しい記述を、日本文学における自然主義文学の嚆矢としてとらえる見方も生まれてきた。また、一茶の俳句の再評価として、自由律俳句の隆盛との関係も考慮する必要がある。とくにその急先鋒に立ったのが荻原井泉水である。自由律俳句を積極的に推し進めた荻原井泉水によって、一茶の大胆な句風は大いに評価されるようになった。荻原井泉水の他にも、島崎藤村らも自然主義文学としての一茶の文学を共感を持って迎えられるようになる。
 大正期を経て、その後、一茶がどのように受容されてきたかをたどる。昭和期に入り、さらに毀誉褒貶、紆余曲折を持って迎えられることとなる。

4)プロレタリア文学としての一茶
 大正期においては自然主義文学として受容されてきた一茶であるが、昭和初期になるとそれは無産派的立場としての「貧困庶民詩人」としての一茶像がクローズアップされるようになってきた。(高倉輝『一茶の生涯と芸術』昭和十三年)いわばプロレタリア文学としての一茶作品である。                                          
5)愛国主義者としての一茶
 さらには、太平洋戦争に突入すると愛国的、農本的立場からの一茶像が切り取られるようになってくる。(栗生純夫。伊藤正雄)
 以外と思われるかも知れないが、一茶の作品の中には「日本」や「神国」を取り上げた句は意外に多い。
 君が世や風おさまりて山ねむる
 神国は天からくすり降りにけり
 日の本や天長地久虎が雨
など。それらの句を意図的に取り上げると「国土礼賛の農民詩人」としての一茶像を浮かび上がらせることができるのである。

6)民主主義詩人としての一茶
 戦後になると、当然、愛国主義的な一茶像は否定されることとなる。代わりに登場じたのが「民主主義詩人」としての一茶(妹尾義郎)、「ヒューメンな詩人」としての一茶(井泉水)、「文化人」としての一茶(中村白民)などもあげられる。
 究極的には一茶の全体像をとらえて「一茶の作品とは○○だ」と言い切ったり、批評することはおよそ不可能なのだろう。その時々の時流や、文化や、読む人の価値観を投影して、さまざまな色を一茶像として映し出すプリズムのようなものなのだろう。
 プリズムのような多様な価値を見いだすことのできる作品であるということこそ、一茶の作品世界の本質であるのかも知れない。

4、教材としての小林一茶
 時代によって変化する一茶像の影響を、当然教育現場でも受けることになる。教育現場において一茶の作品はどのように読まれてきたのだろうか。

1)明治期の教材から
 一茶の作品が初めて教材として登場したのは明治四十三年、信濃教育会が編集した副読本「補習国語読本」のなかであった。
 そのなかで取り上げられているのは一茶の評伝と、「勧農詞」という文章である。
 一茶の評伝の中には次の俳句が採録されている。
 我と来て遊べや親のない雀
 たらいからたらいに移るちんぷんかんぷん
 何のその百万石も笹の露
 松蔭に寐て喰ふ六十餘州かな
 やせ蛙負けるな一茶これにあり
 けふからは日本の雁そ楽に寝よ
 ちなみに「勧農詞」については一茶の作ではなく、伊那の宮下氏による作であることが分かっている。
 一茶の作品の中でこれらの俳句が採録された意図として、当時信濃の教育界に大きな影響を与えていた束松露香の解釈が参考になる。束松によればこれらの俳句は、国家安全、天下太平をことほぐ俳句だとされている。この教材では、国家礼賛者の立場として意図的に一茶像を切り出してきていることが分かる。

2)自然主義詩人としての一茶教材
 大正期の自由教育では自然主義文学としての一茶像がクローズアップされるようになってきた。とくに長野では白樺派教員によって創刊された同人雑誌「地上」などに一茶の『父の終焉日記』などが採録され、その作品を副教材として活用する学校も登場したという。
 『父の終焉日記』や『おらが春』がここでは取り上げられている。
 また、俳句としては次の作品が教材に見える。
 正月や梅のかはりの大吹雪
 ふるさとや餅につきこむ春の雪
 大の字にふんぞり返る涼哉
 山水に米をつかせて昼寝かな
 長き夜の化けくらべせん老狸
 松茸や犬のだくなも嗅歩く
 雪舟引や屋根から落とす届状
 これがまあついのすみかか雪五尺 
 これらの俳句を読めば分かるように、身近な生活経験を素朴に読んだ俳句が多いことが分かるだろう。写実的、自然主義的な色彩の濃い作品から編集されているのだ。

3)大正の教科書
 大正七年になると初めて第3期の国定教科書(大正7~昭和7)に一茶の作品が採録されることになった。
 ここで取られている作品は、自由主義的、児童中心主義的な思想を反映させた作品が多く、一茶の作品もその編集意図に沿ったものが選ばれているように思える。現在でもおなじみな「雀の子」がここで教材として登場する。
 雀の子 一茶
 雀の子そのこけそこのけお馬が通る
 さあござれここまでござれ雀の子
 赤馬の鼻で吹きけり雀の子
 やせ蛙まけるな一茶これにあり
 やれうつなはへが手をする足をする

4)戦後の教科書
 戦後、小学六年の教科書に一茶の作品が再登場するようになる。
 「かえる」という教材文である。この教材文では一茶の評伝とその作品を紹介する構成になっている。「かえる」の中では厳しい自然を生きる雪国の生活を紹介しつつ、一茶の人柄を描き出している。
 雪とけて村いっぱいのこどもかな
 雀の子そこのけそこのけお馬が通る
 ゆうぜんとして山を見るかえるかな
 犬どもがよけてくれけり雪の道
などの俳句を取り上げつつ、こども好き、動物好きな一茶の姿を強調している。
 一方、高等学校の教科書にも一茶作品は収録されている。『父の終焉日記』のなかで父を懸命に介護している場面を取り上げている。『父の終焉日記』は前述したように義母や弟との確執などかなり生々しい部分も描かれているが、そのような箇所は慎重に避けられ、純粋に父親のために思いやりを持って接する姿が文章から受け取れるように加工されている。
  これら両者に共通する一茶像は、いわば、博愛主義者としての姿である。
 現在、さまざまな教材で一茶作品が取り上げられているが、この博愛主義者としての一茶像が一番一般的なものとして流布しているのではないかと思われる。

5、キュレーションとしての一茶教材
 一茶が詠んだ俳句は約2万句である。教育における一茶の享受は、必然的に、一面的というか、加工されてしまっている。しかし、何を、どう切り取っても、それをするするとすり抜けてしまうのが一茶という巨大な存在だ。
 ならば、むしろそれを逆手にとって、それぞれの読者が、「一茶の作品群をどのように読むか」に焦点を当てて学習すると言うことができないだろうか。
 私は、一茶の巨大な作品世界を味わうための切り口として「キュレーション」という視点を取り上げたい。
 キュレーションとは、本来は博物館や美術館の学芸員を意味する「キュレーター」から派生してできた言葉である。博物館や美術館におけるキュレーターの役割は、展示するテーマやコンセプトを考え、参加アーティストや作品を収集、選別し、それらを効果的に展示するために作品を設置することである。テーマや意図を持って作品を読み、選んだり、コンセプトに沿って作品を組み合わせたりする「編集力」が、キュレーションの根幹となる力となっている。このように、キュレーションとは「特定の視点をもとに情報を収集したり選別したりして発信していくこと」を指す。
 高度情報化社会が到来し、膨大な情報に囲まれた我々にとっては、多様な情報に埋没せずに、その中から価値ある情報を選び取る力も求められてきている。それらの、多様な情報の中から関心に応じて情報を組み合わせ、新たな価値を生み出していくことがキュレーションである。キュレーションは、価値観や鑑識眼を持った目利きである「人」の介在が不可欠だ。機械では選別できない価値ある情報を選び取るための、」キュレーションとしての編集力は今度ますます求められてくるものと思われる。
 さて、一茶の俳句とキュレーションとにはいったいどのような関係があるというのだろうか。
 前述したとおり、一茶の作品は、その膨大な作品群の中で何を選択し、どう組み合わせるかによって作品の見え方が全く異なるところにその大きな特徴がある。だから、「どう読むか」という学習を「どう組み合わせるか」というキュレーションの力によって顕在化させようというのがこの学習のねらいなのである。

6、一茶を味わう授業の構想
 たとえば、次のような授業はどうであろうか。
1)単元名
  小林一茶企画展

2)単元の概要
 本単元では、小林一茶の企画展をするという設定で、一茶作品を、ディスプレイポートフォリオ(屏風のようなもの)を用いてテーマを決めて展示・紹介する言語活動を行う。
 小林一茶の多様な魅力を、学習者一人一人がそれぞれの切り口で提案し、複数の俳句を紹介して展示をすることを最終的な単元のゴールとする。
 一茶の俳句は、小学生にも理解できるような平易な表現の作品が多いが、その作品には多様な魅力が秘められている。
 一茶の作品にはどこをどう切り取るかによって、さまざまな魅力の切り口を見いだすことができる。それぞれの読み手が、それぞれの立場で興味や関心をもって読むことのできる作品が多い。切り口次第でさまざまな魅力を引き出すことのできる、多面的な奥行きのある作品群であるとも言える。このような多様な魅力を持つテキストは、キュレーションの素材として適切である。一茶の企画展として独自の切り口で一茶の俳句を選択し、それに解説をしたり鑑賞文を書いたりする活動を通して、複数の情報を関連づけて自分の考えを表現する学習へとつなげていきたい。

3)単元の目標
(1)「小林一茶展」を開催するために、小林一茶の作品を読んでその魅力に迫り、自分が見いだした一茶作品の魅力をわかりやすく紹介しようとすることができる。(関心・意欲・態度)
(2)自分が感じとった一茶作品の魅力について、その感動の根拠や鑑賞の切り口を明確にさせて鑑賞文を書くことができる。(書くこと ウ)
(3)小林一茶の作品をテーマに沿って読み、作品の魅力を紹介する活動を通して、一茶作品の根底にあるものの見方や考え方をつかむことができる。(読むこと エ)
(4)俳句を味わうことを通して、言葉の辞書的な意味と文脈上の意味と関係に注意し、語感を磨くことができる。(伝統的な言語文化と国語の特質に関する事項)

4)指導計画
第1次 小林一茶の魅力を見いだす。(1時間)
○単元の概要を知る。
○小林一茶の解説文を読み、どのような視点で俳句を読むか見当をつける。
例)働く者の見方・自然や草花を愛する・不幸に負けまいとする心・風刺と滑稽

第2次 「小林一茶展」を開催するための準備をする。(4時間)
○小林一茶の魅力を紹介する切り口を決め、展覧会のコンセプトを決定する。
○テーマに沿って俳句を集める。
○俳句を展示する順番やレイアウトを考え、鑑賞、解説文を書く。
○展覧会の内容について助言し合う。

第3次 「小林一茶展」を開催する。(1時間)
○「小林一茶展」を鑑賞し、ギャラリートークを行う。
○単元の学習を振り返る。

5)授業構想の課題
(1)一茶作品の教材化
膨大な一茶作品をそのまま与えるわけにはいかない。
 ・平易なもの
 ・親しみやすいもの
 ・多様な切り口が生まれそうなもの
 ・一茶の魅力がよくあらわれているもの
などから、ある程度与える俳句を絞り込んで子どもたちに提示することが必要になる。

(2)俳句を理解するための指導
平易な俳句であってもそれを理解、鑑賞するためにはある程度の手ほどきが必要となるだろう。俳句の読み方、鑑賞の仕方などがどの程度支援が必要なのかは授業を実践していく上で検討していかなくてはいけない。

(3)「編集の妙」をどう支援するか
キュレーションの一番面白いところは、工夫された編集には「組み合わせの妙」が生まれるということだ。同じ作品であっても複数の作品を組み合わせることによって全く違った魅力を輝かせる。そのような学習につなげていくためには、どのような支援なり、指導が必要であろうか。今後考えていく必要がある。

参考文献
矢羽 勝幸『一茶大事典』(大修館書店 1993)
渡辺 弘 『小林一茶―「教育」の視点から』(東洋館出版社 1992)
小林一茶著, 矢羽勝幸校注『父の終焉日記・おらが春 他一篇』 (岩波文庫 1992)
小林一茶著, 丸山一彦校注『新訂 一茶俳句集』 (岩波文庫1990)
山下一海『一茶~生涯と作品~』(講談社 1986)
宋左近『小林一茶』(集英社新書 2000)
半藤一利『一茶俳句と遊ぶ』(PHP研究所1999)
正岡子規『一茶の俳句を評す』(1897)
束松露香『俳諧寺一茶』(一茶同好会  1910)
荻原井泉水『一茶随想』 (講談社 2000)
高倉輝『一茶の生涯と芸術』(ルミノ出版社, 1938)
栗生純夫『土の俳人一茶』(長野県農会 1915)
伊藤正雄『小林一茶』(三省堂 1942)
スティーブン・ローゼンバウム (著), 監訳・解説:田中洋 (翻訳), 翻訳:野田牧人 (翻訳)『キュレーション 収集し、選別し、編集し、共有する技術』(プレジデント社 2011)佐々木俊尚『キュレーションの時代 「つながり」の情報革命が始まる』(筑摩書房 2011)