2014/07/30

夏の自由研究「また行きたくなる観光地の構造」〜期待と充実感のオーバーフロー理論〜

旅路から帰る妻と「また来たくなる観光地の法則」について協議した。
一度行くともうやみつきになって、また行きたい!と思わせる観光地がある。
その反対に、どんなに素晴らしい観光地でも「一度行けば、もういいかな」という観光地もある。その違いは何だろうか?
「もう一度行きたい観光地の法則」はなんなんだろうか。

私はそれを「期待と充実感のオーバーフロー理論」と勝手に名付けることにした。
簡単に言うと、それは、旅に行く前の期待感と、旅に行って得られる充実感との関数になる。
期待感が高ければ、失望も大きい。
期待を上回る価値が得られると、また行きたくなる。

「旅の期待感」を、さらに分析してみた。
旅の期待感には、次の要素が影響する。
A、物理的なコスト
・距離 遠ければ遠いほど期待感は高まる。
・経費 お金をかければかけるほど期待感は高まる。

B、情報量
・話題性 話題性が高いものは期待感は……以下同じ。
・予備知識 予備知識があると……。

C、自分のニーズ
・興味関心 自分の関心とのフィット感があると……。 
・タイミング ちょうど見たいときに見に行くと……。

このように、「旅の期待感」は 
A、物理的なコスト、
B、情報量、
C、自分のニーズとの3つの要素が複合的に関連し合って膨らんでいく。
あたかも、三角錐のように、底辺の三つの頂点の距離が開けば開くほど、期待感は大きくなっていく。
「旅の期待感」の三角錐

この三角錐を逆向きにして、コップのような形してみて欲しい。
これが「旅の期待感」のコップだ。
旅行とは、「旅の期待感」のコップに、「旅で得られる価値」をどくどくと注ぎ込んでいく行為だと思っていただいてよろしい。

一回目の旅行で、「旅で得られる価値」が「期待感」のコップにちょうど満たされた場合は「だいたい見尽くしたかな」という状態になる。
逆に「期待感」のコップよりも、「価値」の総量が少ない場合は「もう次は行かなくてもいいや」となってしまう。
さらにさらに、「期待感」よりも感じ取る「価値」がずっと少ない場合もある。そういう観光地は「がっかり名所」「がっかりスポット」と呼ばれて、逆に思い出深い旅行となるかも知れない。
旅で得られる価値が、行く前の期待以上に、コップにどぼどぼとあふれんばかりに注がれていくと、「こりゃあ、コップ一杯じゃ足らんぞ、もう一回行かないと!」ということになる。価値が期待のコップからあふれ出る(オーバーフローしちゃう)わけだ。

繰り返すが、旅の充実感は「期待感」と「得られる価値」の関数になる。
期待やコストが低ければ(安かったり近かったりすれば)「また行ってもいいかな」という気になる。
コストが高すぎると、「もう次はいけなそうだな」と断念してしまう。
期待感が高ければ高いだけ、「え、これだけ?」と残念ながらがっかりしちゃう可能性も高い。

面白いのは、この「価値」の総量は、時間の経過とともにいつまでも流れ、注がれ続けていることもあるということだ。

たとえば、スペインの「サグラダ・ファミリア」

「世界で最も有名な工事現場」と言われるこの教会は、時間がたつに従って「価値」を発し、増していく観光地の一つだ。
私もかつてここを訪れたことがあるが、「完成したらもう一度行きたい!」と固く誓ったのは言うまでもない。
観光地の価値は決して固定されていない。時間によって変わってくる。
廃れていく観光地もあれば、逆に「次に来るときは、もっと変わっているだろうなあ」と思わせる勢いのある観光地もある。
たとえば、インドなんて私にとっては「止めどない価値」を感じさせる魅力的な観光地だ。いつ行っても変化し続けているし、そして期待を裏切る刺激を与えてくれるだろうと予測させる。
こういう観光地は、こんこんと湧く泉のように、「観光地としての価値」をいつまでも発し続けているのだろう。