2015/04/11

「学力」は時代や社会によって変わっていく

ということを、つい忘れがちになってしまう。
日本の学校教育で定義する「学力」は、とりあえずは「九教科で分類される知」ということになっている。
しかし、たとえば大昔ではすべて文系も理系もすべてひっくるめて「哲学」として学ばれてきた歴史もあるし、海外には体育や美術、技家のない国なんていくらでもある。ダーウィンの進化論を教える学校もあれば、それを答案に書いたら不合格になる国もある。(多分……)
日本も、高等学校で工業科が減ってきているのも、情報科が必修科目として新設されたのも、そうした時代や社会の流れをうけてきたからだ。

教育は、とりあえずは、そうした社会の流れを反映するものであり、また、未来の社会のために、社会を発展させるためのものとして機能している。
だから「かつては通用していたけれども、いまでは学校でしか通用しない知」は、淘汰されるべき知となってしまうことも仕方が無い。 必然的な流れだ。
と同じように、社会で通用している知が、まだ学校では取り上げられていない知として存在するならば、そういう知のなかから、新たな教科が生まれてくるものと考えるべきだろう。