しかし、その時に与える環境やツールが作り込まれすぎ、ブラックボックスと化した便利すぎるモノ(ICT)だったら、かえって選択の幅が狭まり、ICTに使われている状態にならないか?
たとえば、「レゴブロック」は創造力を育てるとなんとなくは理解できるけど、精巧な「プラモデル」は創造力をより育てるとは思いづらい。
このように、作り込まれすぎ、精巧過ぎるICTの発展によって、かえって活動が不自由になることにはならないか?
そこには、ボトムアッブ的に獲得されるはずの知が、トップダウンに与えらているという矛盾が存在するのではないか?
私が「ICT活用教育」の楽観的過ぎる万能感には賛同できないのも、凝り過ぎたゲーミフィケーションによる教育にいまいちついていけないのも、そのへんのモヤモヤがあるかららしい、