2015/11/01

「ワークショップを作るワークショップ」のうらばなし

公開研の授業「ワークショップをつくるワークショップ」について、忘れないうちにいくつか書き留めておこうと思う。

◆授業のそもそもの発想
この授業は「コミュニケーション・デザイン科」の授業。
そもそも、コミュニケーションはどこに向かうべきなんだろう、何のためのコミュニケーションなんだろう。情報を効率よく伝えたり、相手を意のままに動かそうとする力が本当にコミュニケーションの力なんだろうか。そんなレベルのものでいいのだろうか。
「コミュニケーション」の語源は「分かち合う」にあるというのを聞いたことがある。(諸説あるらしいが)本当のコミュニケーションって、相手を意のままに動かしたり、情報を一方通行に流し込んだりするものではなくて「一緒に考えようよ」とか「これやってみよう」という共有とか共感がともなうものなのではないか。
中学生のコミュニケーションスタイルもそうだ。優等生ほど、しらじらしい「未成年の主張」の演説会プレゼンテーションになってしまう。本当にそれが優れたコミュニケーションなんだろうか。育てたい力なんだろうか。それだけでいいんだろうか。
昨今、一方通行的なコミュニケーションがなんだか増えてきているような気もする。
自分の主張を一方的に相手に押しつけたり、炎上させるようにのべつまくなしにまき散らしたり。必要なコミュニケーションって、一体何なのか? 
これからのコミュニケーションで必要なのは、相手をねじ伏せるのではなく「一緒に考えようよ」というものであって欲しい。それを探究するのが「コミュニケーション・デザイン」なんじゃないか。
そんなふうに、求めたいコミュニケーションのカタチがだんだんとはっきりとしてきた。
では、そのようなコミュニケーションが埋め込まれた活動のモデルって社会のどこにあるんだろう、それは何なんだろう。そう考えたときに探し出した答えが「ワークショップ」だった。
(実は、この夏休みに、私自身が先生向けのワークショップを作って実践したんだけど、それがことのほか楽しく貴重な経験になった。ワークショップデザインを自分でやってみて楽しかったという経験も単元の発想にはある)

とりあえず、以下の文献を読み返した。
『協同と表現のワークショップ』

『ワークショップデザイン論』

『市民の日本語』、これはまちづくりなどのワークショップを精力的に取り組まれていた加藤さんの遺作。これからの日本に必要な「市民の日本語」としてのコミュニケーションについて次のようなことが述べている。加藤さんがファシリテーターとして取り組んだワークショップでのさまざまな「言葉」やエピソードがとりあげられていて、国語教師としてずきずきと刺さってくる一冊だ。
「声が大きくて、理路整然と話ができる人だけではなく、声が小さくても、まとまっていなくても重要なことばを発する人もいる。多数決だけでは、貴重なことばを練り合わせていくことは難しい。過去の美しいことばを美しく朗読しても、それは市民のことばにはなりにくい。新しい社会を作り出していくためには、新しいコミュニケーション方法が生み出されなければならない。」

近年、まちづくりなどのコミュニティーの問題を考えるワークショップや、ものづくりなどの制作系、そしてダンスや演劇などの表現活動でワークショップの手法が取り入れられてきているそうだ。
そこでのワークショップの特徴はいくつかある。
・お客さんではなく主体的な「参加者」「参画者」であること。
・具体的な活動、しかも楽しいものが含まれていること。
・この活動を通して「気づき」が得られるものであること。

私なりに、ワークショップの定義をつぎのようにした。
「参加、体験を通して『気づき』が得られる活動」である、と。

ワークショップに特定のフォーマットはない。(むしろ既存の学び方をくずしていく「まなびほぐし(アンラーン)」がその本質だという人もいる)しかしそれでは中学生は途方に暮れてしまうので、取りあえず『ワークショップデザイン論』を参考に、流れの例を提示した。


こうして、「ワークショップ」に焦点を絞って授業開発をすることに決意した。
次はこれをどう授業にしていくかだ。

◆ワークショップを考えることはコミュニケーションを問い直すこと
ワークショップづくり、ちょっとかっこよく「ワークショップデザイン」は「分かち合う」ためのコミュニケーションを成り立たせるために必要な要素がぎっしりと含まれている。
総合などの学習でプレゼンは行うことが多い。しかし、プレゼンのような伝達手段と、ワークショップのようなコミュニケーションのデザインは大きく異なる。
たとえば、ワークショップでは次のような要素を考えなければならない。
空間……座席配置、部屋の広さ、レイアウト
時間……無理のない活動の流れ(導入・活動・ふりかえり)
伝え方……相手の立場に立った説明、行動や気づきを促すファシリテート
道具………活動を構成するためのツールの検討
などなど。
だから、ワークショップはプレゼンや研究発表の延長線上ではなく、全く違う次元で相手と共有するための方法や関わり方を考えなければならない。二次元のパワポから、時間、空間を伴った三次元の活動デザインへと意識を変えていかなければならない。

ワークショップを作ることは、効果的な学びの場、コミュニケーションのあり方を子どもたち自身が問い直すことになる。学びは与えられるものでも、一方的に与えるものでもなく、参加者が自分で生み出していくもの。そしてその気になれば、そんな学びの場を自分たちでも作ることができる。それがワークショップづくりの醍醐味だ。
もっと言えば、ワークショップづくりに目覚めてしまうと、普段の授業が何でつまらないかも見破ることができるようになってしまう。空間への配慮、活動や時間への配慮、インストラクションの配慮など……。そこまでは、さすがに子どもたちには言わなかったけど……。

◆ワークショップのテーマをどうする?
子どもたちがワークショップをするとして、そのテーマや場の設定をどうするか?
ワークショップの相手は、本当は下級生とか外部の人とかがいいんだろうけど、たった7時間でそんなに大がかりなことができない。
結局、同じ学年の生徒どうして、ワークショップを作り、お客さんとして体験してもらうことにした。
これには裏テーマもある。中三の今の時期のかれらが取り組むことの意義だ。
本校は中高一貫のように見えて、実は完全には直結していない。多くの生徒はそのまま系列校に進学できるが、そうでなく、男女とも外部への受験を余儀なくされる生徒も一定の割合存在する。(内部入試は11月に行われ、それでほぼ帰趨を決することになる)だから、実はクラス、学年内の同級生はライバルでもあるのだ。決してクラスで「みんなで頑張って合格しよう」とは口が裂けても言えない状況。ちょっと考えれば想像できないようなプレッシャーに負われている状況であることがわかるだろう。そんな受験生たちが、この今の時期に、ひとときでも協働で何かを作り上げる経験をする。そのこと自体にとてつもない価値があるような気がする。
もう一つは、学習者にとって最も切実なテーマとは何かという問いだ。
いわゆる学習発表会なら、こちらが具体的なテーマを示して、それに沿って調べてきて、発表して……という流れになるだろう。しかし、そんなあてがわれたテーマで、学習者が本当に「共有」したい、ワークショップを作りたいと思えるようなテーマとなるだろうかという不安があった。
結局、彼らにとって一番の問題である、「受験生の心身の健康」に焦点を当てた。
これは、前任校での「ヘルスプロモーティングスクール」(健康的な生活を、自分たちで作り上げていくことのできる力を育成する学校)の実践に触れたのがヒントになった。
受験生としての彼らは、想像以上のプレッシャーに追い込まれている。休日になれば昼と夜の模試のダブルヘッダーも当たり前、学校に行けば競争に追い込まれる。不規則な生活や孤立した日常など、心身に与えるダメージは計り知れないだろう。
そういう自分たちのQOL(生活の質)そのものに目を向け、高めていく。しかも自分たちで助け合ってその課題を解決していく。それがいいんじゃないかと思ったのだ。

こうして、単元の課題がまとまった。
「私たちのQOLを向上させるためのワークショップを運営する」

◆授業の流れ
授業は次のような流れで進められた。
3学年4クラスのうち、2クラス合同で7時間で実施。(他の2クラスは他のコミュニケーション・デザイン科の授業を同時間に行っていて、7時間実施したら入れ替わる)
この授業に取り組むスタッフは、学年の担任および副担任の4人。

1時間目 課題をつかむ
まず、QOLという考え方、ワークショップとはなんぞやというところを講義形式で伝えた。

もちろん、これだけで「ワークショップ」についてイメージが持てるわけではないので、ここで実際にワークショップを演じて見せた。演示をしたのは学年スタッフの他の先生。ワークショップを運営する経験もあり、手慣れているので短時間でポイントを押さえた楽しいワークショップを披露することができた。

2時間目 課題を絞る
このあと、QOLについて具体的にブレーンストーミングで課題を出し合い、さらにそれらをKJ法でまとめ、班で取り組みたいワークショップのテーマを決めた。
そして現時点でのワークショップ企画書を次のフォーマットでまとめた。
2時間でここまでまとめるのが精一杯。
次の授業は秋休みを挟んでいたので、この間に各自で書籍やWebなどで調べてくるように宿題を出した。学校司書は、この授業がスタートする前にはすでに本をかき集め、この授業用の資料コーナーを校舎の一角に作ってくださっていた。
調べ学習では、必ず複数の情報に当たるように、また出典を示すように指示し、それらを明記したワークシートを配布した。

◆3・4時間目 監修者(スーパーバイザー)にワークショップの相談をする。
子どもたちの発想だけではどうしても浅いものとなってしまうので、ここでゲストティーチャーを教室に招き、ワークショップの内容についての相談をする機会を設けた。
授業に協力したのは次の三人
・医師&栄養学の研究をしている大学の先生
・認知心理学を研究している大学の先生
・起業家を応援する会社を経営している社長
この三名のうち、自分が探究するテーマに近い先生を選び、自分たちが調べたことやワークショップで取り上げたい内容についての相談を行った。
やはり、専門家に自分たちのテーマについて質問をすることは、学習者にとって大きなインパクトがあったようだ。ちょっとした思いつきのテーマでも、そのテーマにまつわる膨大な知の世界の蓄積がある、研究の厚みがある。探究してきた研究者たちがいる。それらを知ることで、自分たちが探究しようとするテーマの背後には大きな世界が広がっていることに気づかされたようだった。(実際にどの程度ワークショップに活かされたかはうーんだけど……)
これらのリサーチを経て、20分間のワークショップの活動案をまとめていった。

◆5時間目 ワークショップの準備を行う
本来の計画では、ここまでの4時間で準備を済ましておく予定だったが、とても時間が足りなかったので、一時間授業を増やして準備をする時間とした。ワークショップに必要な道具を用意したり、説明用のパワポを作ったりする活動を行った。

◆6時間目 ワークショップのリハーサルを行う
実際のワークショップを行う前に、リハーサルを行うことにした。
これは「よいワークショップとは何か」を考えさせるための取り組みだ。
子どもたちにとっては、リハーサルは「よいワークショップにする」という目的の活動である。しかし「よいワークショップ」にするためには「よいワークショップってこういうものだ」というイメージができていないといけない。リハーサルを行うことで、「ワークショップのよしあしを評価すること」に意識が向くようになる。「よいワークショップとは?」(よい「コミュニケーション・デザインとは?」と言い換えてもいいだろう)という問いが生まれること、それがこの授業の目的だ。つまり「ワークショップ」を運営側、参加者側の目からメタ認知する機会となるのだ。
そのようなメタ認知を促すための助言を次のように示した。



参加者を「モニター」として設定し、主催者は参加者から積極的に「聞き取り」をするという場になるようにリハーサルを設定した。
さらに、リハーサルをするために事前に、主催者側の意図と、モニターに聞きたいことをホワイトボードにまとめ、提示させるようにした。

たとえば、このグループは「こんなときDoする??」というテーマで、ややこしい人間関係のトラブルをロールプレイングするワークショップを作った。

二段目の、「QOL」と「CD科」と書かれていることは、それぞれQOLの観点からのねらい(人間関係のトラブルを起こさないよう)、コミュニケーション・デザインの観点からのワークショップのねらい(楽しく体験……)となっている。さらに下段には「モニターに聞きたいこと」と示している。
これはモニターからの聞き取りの際に、自由にフィードバックしてもらうだけだとやや不安なので、事前に質問事項を示した上でモニターに体験してもらうという意図がある。
「モニターに聞きたいこと」も、やはりQOLとCD科の観点に対応した質問事項に一応なっている(つもり)

というように、ワークショップのリハーサルにおいては、事前に自分たちで評価ポイントを設定、評価ポイントに沿ってモニターから聞き取りという流れで、ワークショップ運営のメタ認知を高めようとした。

◆リハーサルの授業を行ってみて
「言うのとやるのは大違い」「言うほど簡単ではない」というのが実際のところだ。
ワークショップだって、大人が作るようなものにどのくらい近づけたか比較すると、それは厳しいものとなるだろう。モニターからのフィードバックがどれだけ有益だったかも疑問だ。しかし、彼らなりに、プレゼンではないワークショップをイメージし、作り上げようとしていた。そのチャレンジに意味があると思いたい。
実際、授業後のふり返りには「よいワークショップ」についての気づきがたくさん書かれていた。

「よいワークショップとはどんなワークショップだと思いますか? そのために本番ではどうしていきたいですか?」についての生徒のコメント

◆お客さんをうまく誘導しながらも、お客さんに主体となってもらう学びの場だと思います。お客さんに主体となってもらおうとして学びが浅くなってしまったり、学びを深めてもらおうとするあまりお客さんが学ぶことに受け身となるだけになってしまうとあまり良いワークショップとは言えないと思うので、バランスが大切だと思います。
◆モニターが楽しくかつなにか学んで帰れるもの、ファシリテーターとモニターの間に意見交換などコミニュケーションがあるものだと思う。
◆いいワークショップとは、ファシリテーターとお客さんが等しく話したり、行動しつつ、お客さんだけでなく、ファシリテーターもたくさん気づきがあるワークショップだと思います。
◆お客さんがどうしたら楽しめるかのかを一番に考える。ワークショップをやる側も体験する側も同じテンションで温度差がなく、一緒に楽しめるワークショップにしていきたい。
◆きちんと計画が練られているもの。サプライズ(考えをくつがえすような)があるもの。教えるだけでなく、気づかせるもの。
◆相手に主権がある体験コーナー。楽しいもの。→一方的に発表して、体験しても何も言わせないものだと、プレゼンになってしまい楽しくない。
◆進行があいまいで、共感してもらうことができなかった。体験してもらうことが少なかったのも原因だったと思いました。雰囲気づくりを心がけたのですが、なかなか本番ではうまくいかなかった。
◆ロールプレイングをして、それが、やりっぱなしになってしまったので主催者側も意見を伝え、それをやった趣旨を説明するべきだと思いました。また、やってみてどうだったか意見を聞けると良いです。

つまり、「よいワークショップ」について
「わかっていて、できる」を最上級だとすると、
「わかっているけど、できない」をB
「わかっていないし、できていない」Cとすると、そのうちBくらいまでには、あと二時間の授業で到達させることができるのではないかと思う。

あとは、取り上げるワークショップの内容の質をどう高めていくかという問題がある。
やはり、たかだか3時間くらいでリサーチを済ますのはもったいなかった。あらかじめ決められた授業の制約上、仕方がないが、やはり総合的な学習の時間の活動とからめるなどして、全体で20時間くらいとって、もっと課題にどっぷりとつからせて、リサーチも十分にさせたものをワークショップとして取り組むべきなんだろう。その辺の浅さが露呈してしまったことは反省すべき点だ。

◆研究授業としてこの授業を取り上げてみて
授業をご覧いただいた方は気づいていると思うけど、この授業は「完成形」では決してない。「これはいい授業ですよ」「全国の学校でもそのままこれができますよ」というつもりはさらさらない。
自分の役割は、面白い授業を開発すること。研究授業では、その授業を「未完成」であってもたたき台、踏み台として提案し、「コミュニケーション・デザイン」のような現代的な課題に対する解決策を一歩進めるヒント(反面教師??)としてもらうことが使命だと思っている。(最後はちょっといいわけを……)