2015/11/14

やはり、「評価」という言葉をなるべく使わない方がいい。

よく言われることだけど、評価を語るときに、ABCと生徒を値踏みするための評価(エヴァリュエーション〕と、生徒の学習が進んでいるかどうかを見るための評価〔アセスメント)とが混同していることが非常に多い。私自身も時々ごっちゃに考えてしまっていることがある。
そしてそれらの「評価」も、同時期、全員に対して行う必要があるものと、全体をざっと眺めたり、抽出児で把握できるものもある。〔そうでないとやっていけない)
さらには、教師にとっての授業評価と、生徒にとっての能力評価とも混在している。
もっと言えば、教師が確認できる評価と、生徒自身が実感できる評価もある。(自己評価チェックなどで)
これらの多様な意味が全て「評価」の一言で語られてしまうのだ。
これで食い違いが起きない方がおかしい。
授業で評価が大切なことは誰でも理解している。そして意識的にせよ、無意識的にせよ、誰だって、学習状況から何らかの判断(それが「評価」なのだが〕をしているはずだ。
だから、たとえば、教師の授業中の評価は、「評価」という言葉を使わずに、「今日のみどり」とか、「ここに注目する」などのタイトルで、つけたい力に応じて
「この姿を注意して見る」
とか、
「こういう表情が見られるはずだ」
「こういう発言や動きを見逃さない」
という程度の記述がギリギリのところなのではないか。
やってないこと、やりたくてもできないことを論じる、建前のための評価の議論ほど不毛なものはない。〔それがさらにエスカレートすると、評価のためのアリバイ作りの授業になる。ああ!)
※もちろん、単元終了後の評価〔エヴァリュエーション〕の方策は別途検討するべきだろう。