2015/11/14

場数を踏む、あるいは創造的な失敗

場数を踏むという視点が大事
アクティブ・ラーニング型の学習のような、学習者の自由度が高い学習活動では「場数を踏む」という経験値がどうしても必要になる。だから、研究授業だからとか、思いつきでたまーにやる程度では「場数」はこなせない。うまくいくかは運次第になる?
結局、生徒も教師もいっぱい失敗しながら、その失敗をしたたかに次のステップとさせていくような、「次はこれこそは!」というフィードフォワードの発想が、アクティブ・ラーニングでは大切なんだろう。
だから、たった一回の授業の成否を、それだけの良し悪しで判断するのでは無く、子どもたちが場数をこなせばできるようになるものなのか、それともそもそも無理な活動だったのかという視点で見ていくことが必要になるのだ。場数をこなさないうちからあれやこれや言っても仕方がない。

場数を踏むのための「場」の条件
というわけで、生徒にとってどういう「場」が値打ちがあるのかという問いにつながっていく。
一言でいうと、「ルーチンでありながらルーチンを超えるもの」となるのかな。
子どもにとってルーチン(反復して取り組む価値のあるもの)という認識が無いと、そもそも経験として定着しずらい。教師の思いつきで振り回されているだけ、という意識では次への取り組みにつながらない。
反対に、単なるいつものルーチンで、出来合いの力で自動的にさくっとできてしまうようなものではあまり力とはなっていかない。「箸の上げ下ろしでは筋肉がつかない」のと同じだ。
「ルーチンでありながらルーチンを超える経験の場」を、どう設定するかなのだろう。