2014/05/29

教師が教えたつもりになっていても、中学生が古文を読めない理由

古文が読める国語教師は、ささいな言葉の意味を教えることを見落としてしまうようだ

中学生に古文の解釈をさせてみると、国語教師からみれば、全く取るに足らないような些細な部分の逐語訳ができずに、読みが止まってしまうことが意外と多い。

たとえば、
「……などいふやうなる者の」
(というような者が)

「年久しくなりぬ」
(年が何年かたった)

「(いと危く見えしほど)は言ふ事もなくて」
「(  )は言うこともなくて=言わないで」

「……に候」「……侍る」(……でございます)
など。
本文には、ほかにもっと難しい言葉がたくさんあるため、そういう難しい言葉にかかずらわされて、国語教師にとって簡単だと思っている言葉にはなかなか注意が向かない。そしてそういう些細な言葉をわざわざ手取り足取り教える気にはなかなかなれない。
学ぶ生徒の方も、些細な言葉の意味を軽視して、それらを注意して読み取ろうという気にならない。(さらには、当たり前すぎて調べても古語辞典に載っていない場合も多い)だから誤読が誘発される。
※ノーヒントで現代語訳をさせてみるとその躓きがすぐに発見できる。
けっこうそういうところが、古文を教える際の盲点かもしれない。