2014/05/30

競争しないと子どもは動かないのか?

これは難しい問だ。

前任校の教育方針で私が気づかされ、考えさせられたのは、学校行事のあらゆるところで「競争」が慎重に取り除かれているということについての洞察だ。
表だって「競争」するのは運動会くらいだ。
クラスごとに合唱を歌いあう機会(「三年生を送る会」)はあるけど「合唱コンクール」はない。
(……正確に言うと、一度だけあった。学年のスキー合宿の時に、ある先生が「合唱コンクール」をやりたいと提案し、特別に行われたのだ。私は合唱が誰よりも好きなので、もちろん反対したけれども)
漢字、計算コンクールや、掃除コンクールのようなものもない。
もちろん、挨拶コンクール、挙手コンクールや風紀コンクールのようなものない。

運動会のときには、各軍ごとに巨大なパネルを制作する。しかし、それに点数をつけて評価し、コンクールのような形で競わせることはしない。
そのことを長く在籍している先生に聞いたことがある。
「この運動会のパネルって点数つけて表彰したりしないんですか?」
「前はそうしてたんだけど、ある年から、そういう競争をしなくても子どもたちは一生懸命やるんだった、あえて教師が点数をつけて子どもに競争させる必要はないということになったんだよ」
(勘違いをしないでほしいのは「おててつないで仲良くゴール」のように差をつけないのではなくて、第三者による評価そのものが存在しないと言うことだ)
この先生の話を聞くうちに、すべて合点がいった。
競争をしなくても子どもが生き生きと取り組めるのであれば、あえて競わせる必要はないのだ。と。
パネルコンクール、合唱コンクールや××コンクールがないのは、「競争」ではない教育方針で子どもを育てようとしているのだと。

事実、運動会のパネルは、教師が点数をつけなくても、子どもたち巨大なパネルいっぱいに自分たちを表現するために全力で制作をする。競争をしようがしまいが、モチベーションが下がると言うことは決してない。
合唱もそうだ。子どもたちの間では「他のクラスに負けたくない」という競争意識が全くないかと言ったら嘘になるけれども、そんなあおり方をしなくても、クラスの仲間と一生懸命歌声を響かせようとする。
競争がないので、「勝負をしている」というようなある種の切り詰めた緊張感がないのは確かだ。しかし、そういうインセンティブは、真のモチベーションといえるのだろうか?
子どもを育てるためのベストな方法なのだろうか?

これはとても難しい問題だ。
いままで「競争」に頼り、あおってきた教師が、いまさら「競争」というインセンティブを教育手段として捨てるのは相当覚悟のいることだろう。
しかし「競争」しないのならやりたくない、と子どもに思わせてしまうような教育が、もしそこになされているというのであれば、それはそれで大きな問題だとはいえないだろうか。
「競争」以外にどのような手段を、教師は、学校は持ち得るのだろうか?