2014/03/21

「あいつはめんどくさいやつだ」の「めんどくさい」の用法について

最近気になるのは、他人について使う「めんどくさい」という言葉だ。
たとえば、人の性格がちょっと変わっていたりすると、「あいつはめんどくさいやつだ」などと言ってみたりする。
これは、人を「わかりやすく」理解したいという欲求から生まれているのではないかと思われる。
他者を、ラベル付けしたり、区別したり、パターンわけすることによって、その人を「わかった」気になるものである。
とくに、不特定多数の人と「出会う」ことが可能になったインターネットの世界では、その人の「めんどくさい」ごちゃごちゃさよりも、「わかりやすい」ラベルや文脈を与えて理解したい気になってくることもあるのだろう。(もっとも、自分自身もそういう「わかりやすい」枠組みに従って、ポジショントークをして、自分自身を「わかりやすく」見せようとする傾向があるのかもしれない)
そういう状況や発想のよってきたるところに「めんどくさい」という言葉があるような気がするのだ。
そしてこの、「めんどくさい」人間を「わかりやすく」理解しようという試みは、ありとあらゆる領域で加速しつつあるような気がする。