2014/08/08

「わたし」がいない写真

夏休みのつれづれに、パソコンのHDに記憶されている写真を探したり、学級通信を片っ端から読み返している。
が、残念なことに、私は保存とか記録とかに全くこだわりのない性分らしく、整理がぐちゃぐちゃ。とくに後で整理してまとめようなんて思っちゃいないから、、散逸してしまった資料も多い。
それでも、記憶の断片であるこれらの写真や資料を読み返すことは楽しく、心の中が満たされる体験になった。

デジカメになって、学級の掲示物や、学級通信に写真を入れるようになって、いつもカメラ(ケータイ)を持ち歩き、生徒の姿を撮影するようになった。
それで、あらためて気付かされたことがある。写真には、ほとんど私は写っていないのだ。まあ、当たり前だ。自分がカメラマンなんだから。私が子どもたちと一緒に写っている写真は、100枚のうちの1枚くらいなものだ。いや、500枚くらいか。
しかし、私は、その「私のいない写真」に確かに私の存在を感じ取ることができる。
写真を見つめているだけで、その時、生徒たちはどんな状況や気持ちだったか、どんなことを話していたか、どんなストーリーがあったのかを思い出すことができる。もちろん、その時の、シャッターを切った時の私の気持ちも。

学校はつくづく不思議な場所だ。教師だけでも、子どもだけでも学校という場は存在しない。どちらもが同じ時、同じ場所に存在し、影響を与えあうことで「教師」となり、「生徒」となる。ときにはその立場がぐちゃぐちゃになったり、「教師」が「生徒」となって「生徒」に教えられ学ぶこともある。
教師であるわたしは「生徒」という存在、「生徒」という鏡があるからこそ、教師としての自分を映し出し、その存在を感じることができる。
「わたし」がいない写真のなかには、確かに、そのときのわたしの姿が映し出されている。

学級通信をあらためて読み返すと、生徒に向けた言葉を通して、自分が何を感じ、何を伝えようとしていたのか、ほとんど忘れかけていた思いをあらためて振り返ることができた。
どこかになくしてしまうかもしれないので、せっかくの機会なのでここに転載しておく。


※これは4/8 3年に持ちあがりで進級した時の初めての学級通信の文章。
東日本大震災で3.11以降、卒業式以外は休校で久しぶりに登校した際のものである。
当時学級で運営していた掲示板に書き込まれた、K君のコメントを転載した。

今しかやれないこと
 K君の言葉にとっても共感したので、今日はそれを紹介します。
 よく考えてみれば、この一年が終わっちゃうともう一生このクラスはなくなっちゃうわけなんですよね。このもうすぐ始まる運動会もよく考えてみれば最後なんですよね。ましてやK○団長の紫系列なんて一度しかないんですよね。そう、一度。たった一度。一回逃したら、それきりの。優勝逃せば、それきりなんですよね。このクラスが優勝するのは。なんかさびしいの一言に尽きないんですよね。はかないって言えば言いすぎだけど、結構、出会いと別れってそう思いません?今はとても楽しくていいクラス。けれど、そんなクラスはあと365日もしないで終わってしまう。今、自分に何ができるのか。何をやっても終わってしまうという焦り。いろいろ複雑な心情です。二年間のクラス。そして、今、その折り返し地点にいるわけです。振り返ってみてください。楽しいとか最高のクラスだとか思いますよね。それは、折り返し地点までやってきた2Dがよくやってっくれたから感じるんですよ。そして後半戦は3Dなんです。2D以上にパワーアップできたらいいですよね。いくらパワーアップしても終わってしまうというのが、なんとも心苦しいですけど・・・。2Dも本当にいろいろなことがありましたよね。最近のことで言うとあのホワイトスクール。あれも、終わってしまってもう、絶対にこのクラスで行くことはないんですよね。終わってしまえば思い出となってしまうんですものね。
 そして、K○団長の率いる運動会や修学旅行、更には受験までもが一年後には思い出となっているんですよね。そう思うと、行事も受験も今だからやれることだって思いません。今だからやれること。それがいわゆる青春っていうやつなんですよね。全力で当たって砕けてほろ苦いものだといわれますが、むしろそれはそれで楽しいのではないのかなと思います。この3Dも全力で運動会、あたっていけたらと思います。 コメントよろしくね。


※これは卒業する直前の学級通信に書いた文章

    3Dの「旅」の終わりに
 つい最近、ある人の言葉で、とても考えさせられたものがあるので紹介します。
 人生は旅である。これは良く言われる。でも、この意味を考えた事はあるだろうか。人生は旅とは言うが、人生は旅行とは言わない。また、新婚旅行、修学旅行とは言うが新婚「旅」、修学「旅」とも言わない。……では、旅と旅行の違いは何だろか。一言で言ってしまえば、旅行は移動があって、目的地での活動がメイン。旅はその道筋そのものを味わうものと言えるだろう。だから、新婚旅行は南の楽園で楽しむのがポイントで、その途中の移動は何事も無く予定通りに過ぎなければならない。修学旅行も同じである。
 ……もし、人生が旅だとしたら、その人生の多くを占めている仕事というものも旅ではないかと思うのだ。自分が行きたい方向、生きたい方向とは違うところから降ってくる仕事。上手く行ったり行かなかったり。だけど、それをなんとか乗り越えていく。その乗り越えの連続が、いつの間にやら、なんらかの形をなし、人に業績と呼ばれたりするようになるのだ。 (池田修さんの言葉から抜粋)
 私は、この文章を読んで、「人生」を3Dでの生活に置き換えて考えてみました。○○中での生活、3Dで過ごす日々は「旅行」ではなく「旅」なのだと。確かに、みんなが○○中を選んだ理由はさまざまでしょう。「将来のため」「偏差値の高い高校に行きたいから」などなど。しかし、「高校に行く」というゴールのためだけに、毎日の生活があるとしたら、これほど味気ないものはないでしょう。私は、残り少ない3Dの日めくりカレンダーをめくりながら、かけがえのない毎日をとても楽しんでいます。特別な出来事やイベントがなくても、みんなが揃う教室での毎日は充実しています。みなさんはどうでしょうか。「卒業」というゴール。「高校進学」というゴールだけをみるのではなく、クラスで過ごす毎日の、かけがえのない意味を、今だからこそ、日々、しみじみと感じてほしいと思います。
※そして、卒業した日に書いた「ごあいさつ」の文章
3Dを巣立つみなさんへ ~卒業後の人生を生きるためのヒント~
 昨日の学級卒業式では、笑いあり、涙ありのすてきな時間と、プレゼントをありがとうございました。色紙に書かれた一人ひとりのコメントを、その人の顔を思い浮かべながら読んでいました。昨日のひとときは、クラスで過ごした2年間分の思いが凝縮した、濃密な時間だったと思います。
 さて、卒業文集や集会などで、2年間の思い出とか感想は、いろいろな所で書いたり、話したりしたので、ここでは重ねては述べません。折角の機会ですので、私が、生きていく上で大切にしたいなと感じていることを書きたいと思います。
一、今しかできないことをする
 もう、耳にタコだと思いますが、大切なので何度でも言います。「いま・ここ」を大事にして欲しいということです「いま」よりも五年先のことをがんばろう、ではなくて、今日、この時にしかできないことをやることのほうが、ずっとずっと大切です。「いま」はダメだけど、去年は良かったんだ。……こういう人間には永遠に、自分が欲している「いま」はやってきませんよ。
 中学生には中学生しかできないことが、高校には高校の、二〇代には二〇代にしかできないことがあります。それを追求して欲しい。
二、人をうらやまない。同調しない。人は人、自分は自分。
 ○中生はみんな個性的なので、人と比べる機会がそれほど多くはないかもしれませんが、人と比べて落ち込んだり、不安になることは全く生産的では無いのでやめたほうがいいです。○○くんはいいな…勉強ができて。△△さんはいいな…可愛くて……こういうことを、冗談でも言っている人は絶対に幸せにはなれません。なぜなら幸せの基準が「他人」にあるからです。幸せは自分の心がけ次第でどうにでもなります。自分は自分。卑下する必要もないし、高慢になるのも虚しいです。
三、人の言い分はまず聞いてみる
 自分と価値観が違う人、意見が対立する人は必ずいます。そういう人に自分の意見を否定されると、あまり気持ちのいいものではないですし、感情的になってしまいそうになります。しかし、その人がどういう理由で、どんなバックボーンがあって言っているかはよくよく考えてみる必要があります。ひょっとしたら、自分の視野が狭かったり、理解力が不足しているだけかもしれません。まずは、自分の固定概念とか思い込みを一旦置いておいて、その人の目線で物事を考える方法を身につけるといいと思います。
四、賢い人とは偏差値の高い人ではなく、率直に受け止め、謙虚に学び続けることができる人である
 「賢いな」と感じる人はだいたい似た傾向を持っていると思います。①聞き上手である、②気が回る、③頭が柔らかく、臨機応変に対応できる。④他の人を心から認められ、優しい。
 「賢さ」の根底にあるのは、自分の身の回りの状況を率直に受け止め、学び取る謙虚さです。状況を鵜呑みにしないで「なぜか、本当か、正しいか」を追求すると更に学びは深くなります。 
五、結局、本を読んでいる人にはかなわない
 発想が柔らかく、知性がにじみ出る人は、やはり本を大量に読んでいます。高校時代は、名作と呼ばれる、日本や世界の文学に触れることをおすすめします。(大人になってからは、必要に迫られて読む本などに追われ、なかなか文学を読む時間がない)新潮文庫や岩波文庫、光文社古典新訳文庫など、比較的手軽に買える本もあります。とにかく、手当たり次第にどんどん読んでください。ネット全盛の時代ですが、教養を身につけるためには、評価の高い、名作や古典に触れることは不可欠のことです。もし心に残った名作に出会ったという人がいたら、今度一緒に語り合いましょう。 
 
それではごきげんよう! また会いましょう。 さようなら。