「〈話し合い〉は目的を明確にすることが重要」
という言葉にずっと違和感を感じていた。
「〈書くこと〉は目的を明確にすることが重要」
「〈読むこと〉は目的を明確にすることが重要」は、まあ言われるけど、
「〈歩くこと〉は目的を明確にすることが重要」
「〈食べること〉は目的を明確にすることが重要」
「〈生きること〉は目的を明確にすることが重要」
まで「ずらす」と何かおかしなことになってくる。
目的ねえ、そもそも、目的もなく話したり、読んだりすることを、それだけ教室でさせてきてるって言うことでしょ? とか、
食べることや生きることなんかの「目的」を意識しては生きていないのに、どうして教室で話したり読んだりするときには「目的」が出てくるんだろう。とか。
それらの「ずれ」に、考えなきゃいけない大切な部分があるような気がする。