当時は自分の腕も未熟で、授業を成立させることもおぼつかないくらいの毎日だった。
それでも何とか良い授業を作りたいと思って試行錯誤していた。
そんな暗中模索、五里霧中の中で、少しでもヒントを得ようと思って参加したのがこの研修会だったのだ。
壇上に上がったのは四〇代くらいのベテランの先生。
その先生は、いかにも楽しそうな取り組みの授業を紹介していた
紙芝居、ペープサート、朗読劇、絵本づくり、など、それぞれの子どもたちが、各自で選んだ表現活動で、文学の作品世界を味わう実践である。
こんな大胆な授業をしている先生がいることが驚きだった。興奮してしまった。
そして、やむにやまれず、こんな失礼な質問をしてしまったのだ。
「先生の授業はとても楽しそうな授業だと思いました。
ですが、もし私がこの授業をしたら、子どもたちが遊んでしまうような気がします。
勝手なことをしだして授業にならないような気がするんです。
生徒が遊んでしまわないようにするためには、どうすればいいんでしょうか?」
わらをもつかむ思いでした質問だった。
壇上の先生、落ち着き払って、穏やかな表情で、実に明快に、ひと言、こう答えた。
「それは子どもを信じればいいんですよ」
私は、質問したことを恥じ、そして二の句もつげずに席に座った。
何かいいようのないもやもやした気持ちを持ったことは確かだった。
その研修会を終えたあと、私は心に誓った。
自分は、絶対に「子どもを信じればいいんですよ」とは言わない教師になろうと。
……それから十何年、私もそろそろベテランと呼ばれてもいい年齢の教師になりつつある。
もし、いま、若手の先生に、同じような質問をされたらどう答えるだろう。
きっと、こう答えるだろう。
「それだったらまず……という手を打つことかな。
……に配慮して、……するようにさせて、……を準備しておけばいいかもしれないね。
それでもだめだったら……してみたらどうだろうか。
いっそのこと……なんかは……」
あらゆる可能性を想定する。
できること、できないことを一つ一つつぶしていく。
考えなければいけないこと、準備しておくといいことをリストアップする。
そこまで考えに考え尽くして、はじめて言うだろう。
「あとは、子どもを信じればいいんですよ」と。
いまでは、あのときの研修会で出会った先生に感謝している。