2013/07/31

国語教育における「大好き」と「お気に入り」の落とし穴~理解と好悪の絶妙な関係~

「大好き」と「お気に入り」の蔓延
最近、(特に小学校の)国語教育でこんな言葉をよく聞くようになった。
「大好きな……を……ではっぴょうしよう」
「お気に入りの……を……でしょうかいしよう」

もちろん、子どもの自発的な意欲を尊重すると言うことは大切なことだろう。
「大好き」結構、「お気に入り」大歓迎だ。
しかし、教師にとってより大切なのは、「大好き」になるまでに、どのような指導なり、支援をしているかということではないか?

「好き嫌い」について、少し遠回りになるけど、私の経験をお話しする。

私は音楽(とくにクラシック)が好きだ。
たまにコンサートにも出かける。
私はコンサートで聴く曲が初めての場合、必ず事前にCDを買って予習することにしている。
ちょっとずるいかなあと、何となく後ろめたくは思うことは確かだ。しかし、しっかりと予習をして、作品をだいたい理解しておくことは、私にとっては、作品を鑑賞するために必要なことだと思っている。
作品のだいたいを理解できて初めて、その作品の良し悪しが判断できるようになる。
初めて聴く作品を、その場で良し悪しとかは判断できないものだ。

すると、不思議なことが起こる。
はじめは何となく嫌いだった作品が、しつこく聞いていくうちに、全体が理解できるようになり、いつの間にか好きになっていることがあるのだ。
なにごとも、嫌いなのは単に理解不足なだけかもしれない、とりあえず理解しようとつとめることは大切なのだ。

そこで、はじめのテーマに戻る。
こどもの素朴な「好き嫌い」を尊重するのは結構だ。しかし、大して理解もしているわけではないのに、浅はかな直感で「好き」とか「嫌い」とかを言わせることに、どれだけの価値があるのかと言いたいのだ。
「好き」の前提となる「理解」を深める指導なり、手立てをどれだけしているかこそが、重要なのではないかと思うのだ。


理解と好悪の心理学
と、こんな放談をしていたら、お知り合いの心理学の先生がこんな研究があることを教えてくれた。


大抵の音楽は,接触回数とともに好意が増えるという知見はあります。心理学で有名な単純接触効果というものです。何度も聴くうちに内容がわかってきて,理解が流暢になることが理由です。ただし,単純な音楽はそのピークが早く,複雑な音楽はピークがゆっくりと来ます。こちらは最適複雑性理論という考え方で説明されます。本だって,何度も読むうちに次第にほだされやすいものです。小学校などで教科書で触れた作品が多くの人に好まれるのも,そういう理由かもしれません。
元々は記憶や感性認知のモデルですね。正確にはバーライン(Berlyne, D.E., 1971)の最適複雑性モデルと言います。対象への印象が,親近性の上昇に伴い逆U字カーブを描くというものです。知覚される覚醒水準によって説明され,社会心理などでも頻繁に使われる理論です。音楽では,心理学者や認知科学者によって頻繁に使われています。
 クラシックでもその他の音楽でもそうですが,何年か聴いているとある時「ガツン」とその良さに気づくような時もあります。クラシックは複雑性が比較的高いので,時間的経過は重要かもしれませんね。
 学生には,お気に入りのアーティストの新譜を初めて聴いた時「今回はイマイチかなあ」と思うことがあるかもしれないけど,次第に好きになったりする経験があれば,大抵これがもとになっている。と説明します。
 単純接触効果とは繰り返し触れれば触れるだけ好感を感じるというもの、「読書百遍」の効果を言い換えた言葉かもしれない。
 一方、最適複雑性モデルというのは、複雑で難解な音楽は、何度も聞いていくうちに理解できていき、それが「快さ」を感じるという知見らしい。底の浅い、単純な作品は逆にすぐに飽きられてしまうということも、この理論から説明できるそうだ。

ようは、好きか嫌いかというのは、そのものに対する理解度とか、それにどれだけ触れているかということに大きく左右されると言うことだ。これは実感レベルでも納得できることだ。

好きか、嫌いかより、理解しているか、理解していないか。
「大好き」とか「お気に入り」を取り上げるのは、とりあえずいいとしよう、
しかし、好き嫌いや、良いか悪いかという価値判断そのものには、あまり教師は踏み込むべきではないと感じている。それはある面では思想教育であり、極端に言えば洗脳になってしまう可能性があるからだ。
しかし、子どもの好き嫌いを手放しで放置していいというわけではない、それらは理解度とか接する頻度によっても変化していくものなのだから、少なくとも、好きとか嫌いとか、良いとか悪いとか判断できる材料や、そのものへの理解を導くことくらいは、教師がサジェスチョンしてもいいのではないかと思っている。