2013/07/31

書くか、書かないか、それが問題だ~教育実践を記録に残すことのささやかな喜び~

実践を書く人と書かない人がいる。
実践記録は「記録」ではあるけど、客観的なデータを残したり、資料としての価値があるということ以上の、教師の成長や喜びにとって不可欠なものだと思う。
では、記録を書くことにはどのような意味があるのだろうか、なぜ記録を書くのだろうか。

1、形になって残るという喜び
過去の授業記録を読み返すと、ついそのときの子どものことや授業の様子が目に浮かんでしまう。夜遅くまで準備したり、先生方と議論したときのことを思い出してしまう。
実践記録にはさまざまな記憶が形として残っている。
私たちの仕事は、モノを作るのではないから、その成果は目に見えず、何も残らない。
しかし、ほんの0.001パーセントくらいは、書いて記録として残すことができる。そんなかすかな仕事の痕跡を、実践記録を通して感じ取ることができる。これはこの仕事をしているささやかな喜びの一つだ。

2、共感を得られるという喜び
実践記録を発表する。ブログで発表したり、いろいろな勉強会などで発表する機会を得る。
そうすると、その発表を通してさまざまなリアクションがかえってくる。質問、反論、議論などなど。
それらの議論を通してさらに学びを深めることができる。
これらは、記録を残さないと決して得られないことだ。勉強し、実践をし、そして記録を残すことで、さまざまな質問や反論や議論などの意味も理解できる。
傍観者として、批評家として見て、語っているだけでは、実践の議論は絶対に理解できない。
実践を発表し、それへの反応から学ぶことができることも、記録を残すことで得られる喜びだ。

3、自分の成長を実感するという喜び
実践を記録に残そうとする、そうすると、いかに自分が文章が書けないかが分かる。
いかに自分が独りよがりであるかが分かる。
以前書いた実践を読む、そうすると、以前の自分の未熟さ、不勉強さに思わず恥ずかしくなる。
過去の実践の不勉強さに恥ずかしくなる自分は、きっと一歩前に進んだ自分なのだ。
記録を残すことで、自分のふがいなさ、不勉強さを身にしみて感じることができる。そして、人は他人との比較ではなく自分との比較を通してしか、成長していかないのだとさえ思う。

地域の国語科の研修会が、勤務校で行われる。
そのときにお土産として、私の最近の実践記録を配布することになった。
自分の記録をまとめ、印刷し、ホチキスで綴じ込みながら、あらためて記録を残すことの意味について考えてみた。