それに対してはこう答えたい。
プロ棋士は、すべからく常人の持ちえないセンスも、創造力も兼ね備えているはずだ。しかし、彼らは始めから野放図に、自由自在に将棋をさしていたわけではあるまい。
定跡や戦法を学び、真剣勝負を反復する中で力をつけていったのである。
定跡のような型を学ぶことと、センスや創造力を伸ばすこととは矛盾しない。たかが定跡を学んだくらいで崩れてしまうセンスや創造力にどれほどの価値があるのだろう。定跡を学ぶことで、センスも創造力も洗練される。そしてその中のほんの一握りが、プロとしての力を発揮するのだろう。
我々アマチュアは、定跡を学ぶこと、それを理解することだけでも、将棋を楽しむためには十分だ。
と、こういう書き込みをフェイスブックでしたところ、Fさんの深いい返信が。
担任の頃,休み時間等に子どもと指していると「筋のいい手」を指すことができるようになる子がいます。その子は,ほぼ間違いなく定跡を勉強するようになった子です。
私も強くなったのは定跡を学んでからです。定跡は長年の棋士の汗と涙の結晶なので,それを学ぶと自然と「筋のいい手」が指せるようになります。
しかし,レベルの高い「筋のいい手」が指せるようになるには,強い相手と対戦して,ああやられたという「筋のいい手」を見ることと,感想戦といって初手から最後までお互いに指しながら,「ああでもない,こうでもない」と対局を振り返ることをきちんとしていくことです。
所詮,定跡は初手から50,60手ぐらいまでしかありませんから,それ以降は自分自身の力量で戦うしかありません。この後は「筋のいい手」がどれくらい指せるかで勝敗が決まっていきます。
授業力の向上と似ているように思います。
深いなあ。定跡を学ぶことで、将棋の見方も学ぶことができる。
リフレクションの意義や方法も、このコメントから学ぶことができる。
将棋の定跡は、あらゆる領域で応用できそうだ。