「事実」はいらない。「現実」があれば十分。
「事実」という言葉が嫌いだ。
特に、人に対して突きつけるときの「事実」が。
それはときに、人を威圧したり押し付けがましいものとなって語られる。
それは「現実」として語れば十分なのに。現地、現場で、他ならぬ自分によって語られる「現実」。人の数だけ語られる「現実」として語るだけで十分なのに。
「現実に、現場に行って、現物を手にする」とは中坊公平さんのことば。
「現場に神宿る」と現場主義を中坊さんは貫いた。
私もときおり、天下国家を論じたくなる誘惑にかられることがないわけではない。でもやはり自分は、日常と現場とにへばりついたことを考え、語るのが好きなんだなあとあらためて実感する日々だ。