2015/06/14

「強み」という言葉がきらい

そうだ、ぼんやりと感じていたんだけど、自分は「強み」という言葉があまり好きではない。それがどこに由来しているのか、「弱さ」の視点からそう感じたのだった。
「強み」はその人の自覚している得意なものとか、能力を指していると思うけど、それって容易に「交換可能な利用価値」に転換されてしまうものでもある。しかも「俺は他の人とは違ってここがすごい!」という意識も「強み」にはあるのかもしれない。
それって、裏を返せば「他の人と同じ」だと一気に色褪せちゃうということでもあるわけで。
つまり、「強み」を語る言葉の裏にある「強がり」とかナルシシズムがあまり好きではないということなのかもしれない。
それに比べて「弱さ」のなんと頼りなさげなことか。「弱音は吐かず」に表には決して出さず、言葉にさえ明瞭に意識できていないものなのかもしれない。しかしその人の存在につねに働きかけているもの。ひょっとしたら「強さ」とか「強み」で人は立っているのではなく、「弱み??」で立つものなのかもしれない。「交換可能な『強み』」で立つのではなく、誰にとっても役には立たない「弱さ」があるからこそ、「交換可能な自己」ではない自分でいられる。その「弱さ」を媒介に、他に共感できたり、他ともつながろうとするのだろう。「強み」よりも「弱み」だな。〈そんな言葉あるのか???)