2015/06/30

「うちの学校では無理!」から「うちの学校だったらこうしよう!」へ

先進的な学校に行ったり、カリスマ的なテクを持つ先生の授業を見たりする。そうすると協議会などで決まって聞くセリフが「うちの学校では無理なんですが……」というコメントだ。
ご当人は謙虚な気持ちでそうおっしゃっていると思うんだけと、なんか本質的な部分でずれてない?と私が感じちゃうのも事実だ。
ご当人のコメントをもう少し具体的に分析してみる。
おそらくおっしゃりたいのは
「うちの学校では(こういう授業は)無理!」と言いたいのではないかな?
こういう授業を「名人の授業」でも「アクティブラーニング」でもなんでもいいんだけど、とにかく同じようにやることがゴールなんだ。
そこで、こうつっこみたくなる。なんで「同じように授業をすること」があなたの目的になるんですか?と。
「うちの学校でも同じ授業をしたい」というのではなく、本当は「同じように子どもを成長させたい」とか、「同じように子どもにこの力を伸ばしたい」っていうのが本物じゃないのか?
そう考えれば「成長させる道筋」なんていろいろありえるし、「伸ばす方法」が他の現場とぴったり同じ方がおかしいでしょう。それぞれの現場で、それぞれのやり方で、ベストを尽くすだけなんだ。
共有したいのは「同じように授業をやること」「同じように授業がなること」じゃなくて、「同じ志を持つこと」「理念を共有すること」なんじゃないかなって思う。
志や理念が共有することができれば、「よーし、うちだったらこう育てるぞ」「わたしならこうやろう!」って語り合えることもできるはずだ。
「うちでは(同じ授業はできないから)無理!」という言葉を聞いてしまうことの底知れぬ寂しさは、そういう意識のズレにある気がする。
※ついでに言うと「うちでもそっくりそのまま使わせてもらいます!」っていうのも、なんか違うんだよなあと、同じ意味合いで。悪い気持ちはしないんだけど、もうちょっとカスタマイズしようとしてよと。