2015/06/10

「指導力」とはどれだけ「個」をイメージすることができるかだ。


昨日の研修でもっとも驚嘆させられたのが、練達の先生がじつにリアリティーを持って学習者を把握できているかということだ。そしてその生徒にあわせて、即座に指導計画を立てられるということだ。
たとえば、演習ではこのようなお題が出された。...
課題 次の3人の生徒にあわせた学習プログラムを考えてください。
A ベトナム人のトルンさん
インドシナ難民の両親
日本生まれ・育ち
小学一年生
就学前は家庭で祖父母と生活。

B ネパール人のハッサンさん
調理師の父
小学校三年生で来日
現在は小学6年生
日本語でおしゃべりできるようになったが、勉強はわからない。
C 中国人の王さん
留学生(博士)の両親
中学二年生
来日直後
保母では主要教科が非常によくできた
英語もよくできる。
さて、このような簡単なプロフィールが出された段階で、即座に3人の生徒にあわせた学習プログラムを考えなけばいけない。
「うーん、そうね、Cの王さんは家庭がしっかりしていそうだから、まず日常生活で必要な言葉を教えれば後は……」
「一番大変なのはBかなあ。おしゃべりはできるんでしょ。三年間日本にはいるけど授業にはついていけていないっていうことは、勉強に必要な学習用語が入っていないという可能性はあるわね……。でも今更易しいところからやるのはプライドもあるだろうし……」
と、まるで今ここにその生徒がいるかのような鮮やかなイメージを持って子供の姿が立ち現れてくる。
理屈や理論を学べば誰でもある程度は「上からのカリキュラム」は作れるようなってくるだろう。しかし、この先生のように、子供のなまなましいイメージからその場でアレンジしていく「下からのカリキュラム」を作ることができるのは並大抵の経験、努力、見識が必要とされるのだろう。昨日の研修でかいま見たある先生の「指導力」に心から驚嘆させられた一こまだった。