2013/08/17

米原万里『嘘つきアーニャの真っ赤な真実』レビュー

民族とは何か? 国家とは何か? イデオロギーは人にどんな影響を及ぼすか?
普段、「平和」な日本に住んでいたらほとんど感じることのないこれらの問いを、切実に感じる時代と土地があった。それが冷戦崩壊前後のチェコスロバキアだ。

この『嘘つきアーニャの真っ赤な真実』はチェコで幼少時代を過ごした作者、米原万里(マリ)の少女時代を描いた自伝的エッセイ(小説)である。

マリは少女時代、チェコの「在プラハ・ソビエト学校」に通っていた。
この学校は名前の通り、世界中から集まってきた共産党員の子弟のための学校だった。
当時ソビエト連邦は共産主義者の国際的なネットワークを築いていた。マリの父親も共産党員としてプラハに派遣され、『平和と社会主義の諸問題』という雑誌の編集局に勤めているばりばりの共産党活動家だった。
そのような一風変わった共産党員のための学校に集まってきた友だちとの出会いと交流がまず3つのエッセイの前半に描かれている。
しかし、のどかな子供時代とは対照的に、エッセイの後半には、卒業後、彼らが直面した過酷な人生の経過が明らかにされる。
冷戦の崩壊が始まり、「プラハの春」という民主化運動の大きなうねりがわきおこった。それとともに、ソ連の巻き返しによる紛争や弾圧が、各国共産党員や社会主義諸国に襲いかかってきたからだ。
大人になったマリは、仲のよかった友人のその後を、あらゆる手段で追跡し、再会しようと試みる。3人の友人との再会がかなったものの。彼らの意外な真実を知ることとなる。
イデオロギーに翻弄され、民族や国家に縛られ、傷つき変節し、たくましく生き延びる彼らの姿は痛々しいほどだ。
国家とは? 民族とは? イデオロギーとは? それらは人間にとってどんな影響を及ぼすものなのか、マリの友人たちのその後を通して描いている。
一番衝撃的だったのは、ルーマニア要人の娘だった、アーニャである。
チャウシェスク政権崩壊寸前のルーマニアは国民のほとんどがひどい困窮の中で暮らしていた。しかしアーニャの父のような政府の役人たちは、宮殿のような豪華な屋敷で暮らしていた。アーニャはそのような矛盾には全く気づかない「パパは労働者階級のためにブルジョア階級と戦っているのよ!」と、まるで模範的な共産党員のような発言を、何も悪びれることなくするのだ。
そしてチャウシェスク政権崩壊後、再会したアーニャは祖国ルーマニアをさっさと捨て、イギリス人の男性と結婚し、幸せな生活を築くことになる。そしてこう言うのだ。
「マリ、民族とか言語なんて下らないこと。人間の本質にとっては、大したものじゃないのよ。……人間は、そのうち、たった一つの文明語でコミュニケートするようになるはずよ」
それに対してマリ(米原万里)はこう言い返す。
「だいたい抽象的な人間の一員なんて、この世の中にひとりも存在しないのよ。誰もが、地球上の具体的な場所で、具体的な時間に、何らかの民族に属する親たちから生まれ、具体的な文化や気候条件のもとで、何らかの言語を母語として育つ。どの人にも、まるで大海の一滴の水のように、母なる文化と言語が息づいている。母国の歴史が背後霊のように絡みついている。それから完全に自由になることは不可能よ。そんな人、紙っぺらみたいにぺらぺらで面白くもない」
…………
この一冊は、米原氏の単なるノスタルジーでも思い出話でもない。
社会主義に翻弄され、特異な経験をおくった米原氏の感性と批評精神が随所にうかがえる作品である。しかし決して理屈っぽくはない。時代に生きる個性的な人間たちが生き生きと描かれ、時折見せる米原氏の知性に何度もうならされた。
ちなみに、3つのエッセイの題名にもある「仕掛け」がある。それに舌を巻かされた。
時を置いて何回でも読み返したい作品だ。