2013/08/19
板倉聖宣『模倣と創造―科学・教育における研究の作法』の紹介
仮説実験授業の板倉聖宣氏がかつて直面した盗作問題の裁判をきっかけにして「模倣と創
造」について考察した一冊。
科学研究、教育研究や授業開発などでいつも直面する「模倣と創造」の相克、矛盾についてこの本以上に詳細に論じ尽くした一冊はないだろう。
また、こどもへの教育における「独創」「創造」についても鋭い問題提起を行っている。
この本の概要
教育研究には「独創」や「オリジナリティー」を尊重するあまり、「模倣」が軽視される風潮がある。しかし、「模倣より独創がいいに決まっている」という考えによって日本人の創造性をダメにしているのではないかというのが筆者板倉氏の中心的な関心である。
板倉氏は模倣を「創造のための必要悪」としてとらえるのではなく「模倣と創造は相対立しながらなおかつ不可分なものである」というようにとらえ、「模倣と創造」の関係を矛盾論的、弁証法的に考え直すことの重要性を説いている。
以下、私が気になった言葉
・もともと科学における創造とは、模倣を前提になりたつものである。創造は他人の研究成果の模倣の上にたって行われるというだけではなく、創造は他の人々が模倣するに足るような新しい知識の提供を目指すものだ。
・創造を大切にするためには模倣も大切にしなければならない。
・日本人の創造性のなさはむしろ模倣性のなさにその端を発している。
・翻訳、紹介だって単なる模倣ではなくて、そこには創造的な努力が含まれている。
・模倣はかっこわるいとか、独創がすばらしいという思い込みが盗作を生む。模倣を嫌うと独創性も失われる。
・教育者が過度に創造性を重んじ、それをカッコイイものと思い込むようになると、それは子どもたちにも悪い影響を与えるようになる。
・自由研究では……先生から「自分で考えてやってこい」といわれたことを気にする子どもたちは、そこで自分でやったようにウソをつくように追い込まれてしまう。何かの本を読んだり、親からヒントを得たことをひた隠しにして……
・決められた権威以外のものを模倣する創造性を
・無理に模倣しないことに独創性が表れる。「何をいかに模倣するか」独創的に考える
・模倣はやっぱりすばらしいいので、模倣することを無理に抵抗しない方が良いが、しかし、だからといって、特に受け入れがたいと思われることまで無理に受け入れずに、そんなときは自分で新しい考え方を探るとよい。
・権威を十分に尊重すること。しかし、その権威は自分が権威と認めることによって権威なので、自分どうしても納得できないと思うところがでてきてもなおかつ権威として信じ込むことはやめた方が良い。その権威を疑っても、それでもその権威を認めざるを得ないことの方が多いだろうが、たまにはその権威からそれて、新しいものを発見できるかもしれない。