2013/08/02

「相手意識」と「自分意識」

下世話な趣味だが「人生相談」のような記事を読むのは結構好きだ。
読売新聞『人生案内」はもちろん、
中島らも「明るい悩み相談室」
今東光「極道辻説法」
ドリアン助川「もう君は一人じゃない」
北方謙三!
ラジオの電話相談室
ウェブの「発言小町」、「Yahoo!相談室」
そして竹原慎二のボコボコ相談室 http://charger440.jp/bokoboko/bokoboko.php
などなどなど。

この手の「人生相談」は、悩んでいる当事者にとっては、悩みを晴らしたい、聞いて欲しい、解決したいという欲求から相談を持ちかけているのだろう。
しかし、それをはたから眺めて読んでいる読者にとってはどのような意味があるのだろうか。
この手の「人生相談」を読むことの楽しみは、「あの悩みを、あの回答者だったらどんなふうに答えてくれるだろうか」という期待にあるのではないか。
答えの解決策なんて結局見つかりっこない。解決策や「模範解答」を知りたいのではなく、回答者の、悩みに対する解釈や、切り口の妙、ユニークな発想の転換術のようなものを期待して読んでいるのではないかと思う。
この手の人生相談の回答者は、ある程度キャラが立っていないとおもしろみがない。エッジが効いている人の方がよい。いや、むしろあえてキャラを立たせて答えているような節さえ感じられる。強面キャラとか、おとぼけキャラとか、熱血キャラとか云々。
「人生案内」の、相談者と回答者のやりとりで必要なのは、相手の相談をしっかりと受け止めて理解し、相手に届く言葉で表現する「相手意識」。そして、相手と自分との関係性や、自分がどのように見られているかというキャラ意識、「自分意識」とでも言うべきものもあるのではないだろうか。
だって、おなじ答えだって、「誰が」言っているかによって、相手の受け止め方が全く違ったものになるのが普通ではないか。
論理的な説得力も大切かもしれない。熱意を持って親身に聞いてくれることも必要だ。しかし、ひょっとしてそれ以上に大事なのは、「誰が」メッセージを発信しているかという要素ではないか。
「相手意識」も大事、しかし回答者は、回答者が、おのれ自身が相手にどう受け止められているかという意識、自分意識」を持って相手に向かっていくことも必要かもしれない。
そんなことを「人生案内」のやりとりの中から感じた。
匿名性が強いSNSでは、ディスプレイの向こうにいる人の顔が(ほとんど)見えず、相手がどんな人か見えにくい。
だからこそ、むしろ、自分がどんなバックボーンや立ち位置で発言しようとしているのかという「自分意識」をもって発言することは、ひょっとしたらフェイストゥーフェイスのコミュニケーション以上に必要なことなのではないかと感じている。