2013/08/03

価値ある実践記録とは何か

先生方が授業実践などのレポートを持ち寄って発表するタイプの研修会がたまに行われる。
そのときに、ぱらぱらっと読んで、直感的に「この資料は捨てられないな」と思ってしまう資料がある。
その違いは何なのだろうか。


1、「作り込み」感が感じられるレポート
 書き手のこだわりとか、のめり込み感が伝わるレポートはやはり読み応えがある。
 そういうこだわりは、細部に現れる。生徒の思考の流れを丁寧に押さえていたり、教材を入念に研究していたり、子どもを見るまなざしがとても温かく繊細であったり。
 そんなレポートがあったら、捨てずに取っておきたくなる。

2、「じたばた」感が感じられるレポート
 授業実践はうまくいくことばかりではない。むしろ、試行錯誤の中で少しずつ前に進んでいくものだ。
 そういうじたばたを誠実に記述している実践記録はとても好感が持てる。
 こうしたら失敗してしまったとか、こうやったら少し良くなったとか、地道に、着実に研究を進めている姿勢が伝わってくるレポートを読むと、自分もその研究に参加しているかのような追体験ができる。

3、「使える」感が感じられるレポート
作り込んだ年間指導計画とか、参考文献一覧とかの、指導の体系とかを示される資料を見ると、「あとで使えるかも」と思って捨てられない。
結局あとで使うことはほとんどないんだけど……

4、「踏み込み」感が感じられるレポート
 ある分野について、月並みでない、他の人が言っていないようなことを言い切っているのを見かけると、「こりゃ何かすごいことを言っているかも」と思って、じっくりと読み込もうという気になる。
しかもそれが先行研究や基本的な研究の流れを的確に押さえているものであると「おおっ!」という気になる。
 その提案が、1「作り込」んであり、2試行錯誤の「じたばた」も記述しつつ、3資料として「使える」ものであれば、それだけで十分、教育研究に名を残すレポートになるかもしれない。
 そんなレポート、いつになったら私にも書けるのだろうか……。