「引用無きところ,印象はびこる」
これはもちろんオリジナルではなくて、宇佐見寛先生の言葉の引用です。
調べ学習などで、資料を集めた後にそれをまとめる学習があります。
そのときに「コピペ厳禁!」と生徒に指示をすることがよくあります。
先生はどういう意図で「コピペ」を禁じるのでしょうか。
きっと、コピペをしてそのまま貼り付けるような安易な方法ではなく、集まった情報をまとめてほしいとか、自分の考えを述べてほしい、という意図なのではないかと思います。
さらに丁寧な先生ならば、コピペを禁じた跡に、
・具体的な情報のまとめ方(たとえば、グラフィックオーガナイザーなどを提示して)
・自分の考えの導き方(たとえば、推論などの論理のパターンを例示して)
などの情報活用の支援をすることでしょう。そこまで指導できてこその「コピペ厳禁!」です。
※情報活用の指導の参考として、この3冊はおススメです。
しかしもし、そういう情報活用の手順をしっかりと指導していなかったとしたら……、
コピペを封じられた生徒は、いったいどう対処するのでしょうか。
A 引用したことを隠して自分の意見ということにする
B 文章の一部を入れ替えたり、語尾をちょこっと変える
そうですね。Aは盗用、剽窃。Bは改変。
つまり、著作権違反、情報活用の悪用の手法です。
大学の研究者がそれをやったら一気に職を失います。
それほど、学問上では重大な違反行為なのです。
剽窃や改変をする誘惑に駆られる生徒の気持ちはよくわかります。
オリジナリティーあふれる「自分の考え」なんてそうそう簡単に出せるものではないし、情報をまとめろといわれても、どうやったらいいか途方にくれてしまうわけですから。
「まねが悪く、オリジナルはすばらしい」という発想が、どこか教育界には根深くあると思います。
「まねがわるい」という強迫観念が強ければ強いほど、子供はできるだけ模倣していることを隠し、オリジナルを繕おうとすると思います。
しかし、学ぶことの出発点は、「まねぶ」です。この語源どおり、学ぶことはすなわち模倣することにほかなりません。
私のこの意見だって、(記憶にはないですが) どこかの誰かが言い出したことをパクって言っているに過ぎません。
パクるという言い方は下品だから使わないようにするとして、引用するとか、参照する、参考にするということの重要性を、しっかりと教え込むことが重要だと思います。
現在は膨大な情報に囲まれた時代です。インターネット等で必要な情報はすぐに手に入れることができます。だからこそ、短時間で、適切な情報を、必要な情報量だけ取り上げて、引用する技能や習慣を身につけていることが重要だと思います。
膨大な情報の中から、必要な情報をすばやく探し出せるようになること、情報を適切に取り出せるようになることの力は、ひょっとしたら、独創性のある考えを述べることよりも世の中では重要かもしれません。
剽窃や改変を誘発する「オリジナル礼賛」という信仰こそ、百害あって一理なしと知るべきです。