私はちっちゃい頃から画集とかを飽かずに眺めていたタイプの人間だ。
だから、美術の専門的な知識なんかに触れるずっと前から、何か絵には惹かれるものがあり、見続けてきた。
保育園に行っていたときに一度だけ絵を習いにいったことがある。しかし絵の才能なんてなくすぐにやめてしまった。
絵を描く世界には進むことはできなかったが、せめて絵を見て楽しむ人生はこれからも送っていきたいと思っている。
ちなみに、お気に入りの画家はブリューゲル。
子供の遊戯 |
雪中の狩り |
もちろん、ブリューゲルだけでなく、ゴッホも、若冲も、マグリッドもなんでもかんでも、絵でも彫刻でも眺めていることは大好きだ。
彫刻?というか仏像ではなんと言っても興福寺の五部浄像。何かもの言いたげな表情に引き込まれる。腕がとれてしまっているミステリアスなところも引きつけられる。ちなみにこの失われた片腕は上野の国立博物館にあるそうだ。興福寺に所蔵している仏像はすべて大好きだ。何時間でも見ていられる。
五部浄像(興福寺) |
しかし、そういうアカデミックな見方ではなく、もっと素朴に楽しめるような見方もあっていいのではないかと思っている。
そんな楽しみ方の価値に気づかせてくれたのがみうらじゅんさんだ。
みうらじゅん×いとうせいこうの『見仏記』は異色の仏像鑑賞本だ。
仏像を小難しい用語を使うことなく語っている。それも、あのみうらさん特有のねちっこさで、仏像をロックのライブにたとえたり、サンダーバードの出撃シーンにたとえたりと、ともかくはちゃめちゃに語り倒しているのだ。
もちろん、仏像に対する深い深い「愛」も感じられる。この一冊から。取っつきづらかった仏像が身近に感じられるし、仏像の楽しみ方、見方も教えてくれる、私にとっては偉大な一冊だ。
そんなみうらさんほどの過激さはなくても、みうらさんのように、取っつきづらい芸術作品を楽しく語る味わい方もあっていいのではと感じている。
確かに、芸術に関する知識があると「分かった気」にはなる。
けれど、やはり知識だけでいいの?本当に味わっていると言えるの?という気になる。
私のような半可通が、中途半端な知識を振り回して「分かった感」をまき散らすことほど、芸術の世界からははほど遠いような気さえする。
芸術を味わう際に一番大切なのは、「理解すること」よりも「感じること」ではないのか。
理解がおざなりになってはいけないだろう。しかし、中途半端な理解が先行するあまりに「感じること」が大切にされないのならば、本末転倒だ。
というわけで、私流の絵の見方、絵の語り方を20個紹介する。
……見方というか語り方、イメージの仕方、遊び方といった方が適切かもしれない。
本当に優れた作品、衝撃的な作品に出会ったら、人は何も言えなくなる。そういう「沈黙の力」が美術作品にはあると思う。語るだけ野暮な世界かもしれない。
まあ、私みたいな素人の、絵を遊ぶ方法として。
◆絵を買うつもりで見る
・自分の部屋に飾るとしたらどの絵がいい?
・この絵はどんな部屋だったら似合うかな?
・この絵、額に負けちゃっていない? むしろこっちの額のほうがよくない?・こんなでかい絵、どこで描いたんだ? どうやって運んだんだ?
◆絵を見ている人に思いをはせる
・この絵を初めて見た人は、どんな場所で見たんだろう?そのときどんな反応だったんだろう?
・(絵が描かれたあとの)○○時代の人はこの絵をどう見たんだろう?
・この絵は最初に誰が買ったんだろう?どんな人の手を渡ってどうやって保存されてきた?
・歴史上の人物(ナポレオンなど)もこの絵を見たのかなあ?それをどう感じたんだろう?
◆作者についての想像
・作者は何を描こうとしていたんだ?それにどんなこだわりや、工夫があるんだろう?
・描いているときにどんなことを考えていたんだろう?
・描かれている人と作者との関係は? どんなやりとりがあった?
・(宗教画などの場合)どんなところに作者の思い(信仰など)が表れているんだろう?
◆絵の情景を再現フィルムで再生
・絵に描かれている人々同士はどんな話をしているんだろう
・どんな音が聞こえてくる? 風は?天気は?気温は?光は?
・絵の額縁の外側にはどんな世界が広がっているんだろう?・どんな順番で描かれたんだろう?制作の過程を巻き戻してみると、きっと……。
◆そのほか
・この絵についている傷はきっと深読みすると……この絵の具の盛り上がっているところはきっと……
・この絵を見ていて流れてきそうな音楽は……
・この絵に題名をつけるとしたらなんてつけようかな? どんなキャッチコピーがいいかな?
・展示会の構成、絵の配置、見せ方は……