2013/08/23

「言語活動」に浮かれてはいけない~授業における「創意工夫と試行錯誤」~

今回の学習指導要領国語科の最大のウリは「言語活動」だ。
以前の学習指導要領では「言語活動例」は指導上の計画として配慮する程度のレベルだった。
今回は言語活動が「内容」に格上げされ、指導事項と言語活動が同等の重みで取り上げられるようになった。
文科省公認で「言語活動を通して指導事項を指導する」という「言語活動主義」の国語教育の立場が鮮明になったのである。

私は、基本的には言語活動を通して言葉の力をつけていくという学習スタイルには異論はない。
「畳の上の水練」ではなく、実際にプールで泳いでみないことには泳ぐ力が身につかないのは自明のことだからだ。
これからの授業では、何を教えるかという「指導事項」を研究するのと同じくらい、いや、それ以上の比重で「言語活動」についても「教材研究」をすることが求められることとなる。
……これは一言で言い表せるほど簡単なことではない。

言語活動を通した授業(「単元を貫いた言語活動」とも)が、さまざまな学校で取り組まれるようになってから、いろいろと楽しそうな言語活動が開発されてきている。

たとえば、小学校では次のようなユニークな「言語活動」が開発されている。
・本を紹介するリーフレット
・パンフレット
・ポスター
・本のショーウィンドウ
・本の小箱

・ペープサート

これらの活動はとても目新しく、魅力的なものだろう。
紹介されたらすぐに「やってみたい!」という気になるはずだ。
文科省サイドから、最近このような楽しそうな言語活動がたくさん紹介されている。(これは以前では考えられなかったことだ)文科省から公認、奨励されればなおさら多くの先生方は飛びつきたくなるだろう。

準備さえしっかりとすれば子供もそれなりに動くし、見た目もよいし、なにより楽しそうに活動している。「単元を貫く言語活動」大賛成! 先生方は大喜びだ。

しかし、教育界において、「経験主義」と「系統主義」の振り子が何度となく揺れ動いていることを知っている人なら、安易に言語活動に飛びつく愚は痛感しているだろう。
一見楽しそうな活動にこそ、落とし穴があることを知っているからだ。

文科省の打ち出す「単元を貫く言語活動」の提案の、最も不満、不十分なだと感じることは、
言語活動を通して、子供にどのように力がついていくか、そのために教師がどのように支援や指導をしていくか、という「学力が育っていくプロセス」や「具体的な指導の姿」がほとんど説明されていないと言うことである。
楽しそうな言語活動だけ取り上げて、授業の中での、言語能力を育成する教師の指導なり、子供が学んでいくプロセスをほとんど説明していないという点である。

料理番組を例にとって説明しよう。
まず、料理の準備を事細かに説明する。
こんな食材を用意します。
こんな調味料が必要です。
こんな味になります。
などなど。

で、その後いきなり、
はい、できました!
と完成作を見させられるのである。

料理をする人が一番知りたいのは、その料理をどのように調理するかだ。
食材を煮たり、焼いたりというプロセス、授業で言うと、子供が学力をつけるためにどのようなプロセスをたどっていくかという要素をすっ飛ばして、完成した料理のすばらしさだけをプレゼンテーションしているようなものなのだ。

どんなにすばらしい言語活動でも、「ほれやってみろ」では十分に力をつけることはできないだろう。
どんなに面白い言語活動でも、「やらせっぱなし」ではまずいだろう。
しかし、文科省のこのようなプレゼンテーションでは「ほれやってみろ」的な言語活動が量産されるおそれがあることを、ぷんぷん感じている。
どんな力を育てるかという、最も重要な「調理」過程がすっ飛ばされて、見栄えのする言語活動という「美味しい料理」を完成させることだけが目的化してしまうのではなないかと心から心配している。

子供が活動を通して力をつけるためには何が必要だろうか?
最もシンプルに言えば、活動の中に「創意工夫と試行錯誤」のプロセスをたどらせると言うことではないか。
自分たちなりに、上手くいく方法をイメージして取り組み、
いろいろな手段を試してみて、
それでも上手くいかなくて失敗をしたり、
何度もやり直したり
……
それらの「創意工夫」と「試行錯誤」のプロセスをたどることで、はじめて力というものは身につくのではないだろうか?
「創意工夫」と「試行錯誤」のプロセスを、教師がどう効果的に設定し、指導や支援を加えていくかと言うことこそ、活動の中での学びでは必要になってくると思っている。
「やらせっぱなし」の活動では「試行錯誤」の学びは生まれない。
何が失敗なのか、どうすればよいのか判断することが難しいからだ。
プログラムされすぎた活動では「創意工夫」の余地はない。
そんな活動だったら教師はいらない。思考力も育たない。

繰り返すが、「やらせっぱなし」ではなく、「創意工夫と試行錯誤」のプロセスを、どう教師が介入し、指導し、支援していくかというところこそ「活動を通した学び」では重要なカギとなるところだと思う。

魅力的な言語活動に浮かれてはいけない。
魅力的な言語活動に飛びついてはいけない。
飛びつく前に、子供に経験させたい活動に、子供たちが「創意工夫」をする余地があり「試行錯誤」をする経験があるのかを考えよう。そして、そのプロセスに、どんな教師の指導の手立てがあるのかを考えよう。

また「いつか来た道」をたどらないことを切に願う。
「活動あって学びなし」
「這い回る経験主義」
という言葉が聞かれることを。