2013/08/22

成長すると学ぶことが難しくなる

「成長すると学ぶことが難しくなる」
これは一面において真理だと思う。

新入社員は、どんな職場に行っても学ぶことがたくさんある。
周りにいる先輩方も色々なことを教えてくれる。
時間が経つと、新人さんも色々な経験を積み、ぐんぐん成長していく。
そうなると、「一人前」だと見なされてだれからも教えてもらえなくなる。

教えるとか学ぶということは、どんな段階であっても必要なことだ。
新入社員であろうと、10年目の人であろうと、退職間際の人であろうと。
少なくとも、私はいつまでも学んでいたいと思う。
しかし、経験を積めば積むほど「一人前っぽいオーラ」とか「批判を受けたくないオーラ」、「偉そうなオーラ」を自然に身にまとってしまう。子どもの前に立つ教師ならなおさらそういう傾向は強いだろう。
そうなると、だれもが、めんどくさそうな相手に対しては、助言とか意見を言わなくなる。
(いいね!とかすごいね! とかのおべっかは言ってくれるかもしれないけどね。)
同質性の高すぎるコミュニティーからは学びは生まれにくい。どんどん視野が狭くなる。
なれ合いの集団は心地よいかもしれないけど、退屈だ。

学びで必要な「他者」とは、おだてたり、賛同する人ではないだろう。
むしろ異質性を持った他者ではないか?
自分にとって、「冷や水を浴びせる」存在ではないか?
うどんの「びっくり水」のように、ちょっと自分が調子に乗っているとき、視野が狭くなっているときに、我が身を振り返らす存在ではないか?
自分とは別の、異質性を持っている存在として、新たな切り口から観点を提示し、さらに、人が変わることをそそのかす存在ではないか?
その人と対話することによって、内省が促される存在ではないか。

偉ぶっていると、それだけで「意味ある他者」を遠ざけることになる。
成長したり、地位や肩書きを手に入れると、そのたびごとに「意味ある他者」を見失い、学ぶ機会が失われていく。
だから、成長すればするほどに、より積極的に意味ある他者を求めなければならない。
意味ある他者を探すためには、まず自らが、誰かにとっての意味ある他者になれているのかを自省する必要がある。